いままでにも何度か示してきたが、ここでは「カントの三界」「宇露戦争の三界」に引き続き、「マルクスの三界」を掲げよう。
人間の物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係の総体が、社会の経済的構造[die ökonomische Struktur der Gesellschaft]を形成する。これがリアルな土台[die reale Basis]であり、その上に一つの法的政治的上部構造[juristischer und politischer Überbau]がそびえたち、この土台に一定の社会的意識諸形態が対応する。物質的生活の生産様式[Die Produktionsweise des materiellen Lebens ]が、社会的・政治的および心的な生活過程一般[sozialen, politischen und geistigen Lebensprozeß überhaupt]の条件を与える。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定する[Es ist nicht das Bewußtsein der Menschen, das ihr Sein, sondern umgekehrt ihr gesellschaftliches Sein, das ihr Bewußtsein bestimmt. ](マルクス『経済学批判』「序言」1859年) |
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見ての通り、リアルな経済の下部構造があり、その上部構造に政治と社会がある。これが、「マルクスの三界」である。
マルクス主義のすぐれたところは、歴史の理解の仕方とそれにもとづいた未来の予言にあるのではなく、人間の経済的諸関係が知的、倫理的、芸術的な考え方に及ぼす避けがたい影響を、切れ味鋭く立証したところにあるこれによって、それまではほとんど完璧に見誤られていた一連の因果関係と依存関係が暴き出されることになった。 |
Die Stärke des Marxismus liegt offenbar nicht in seiner Auffassung der Geschichte und der darauf gegründeten Vorhersage der Zukunft, sondern in dem scharfsinnigen Nachweis des zwingenden Einflusses, den die ökonomischen Verhältnisse der Menschen auf ihre intellektuellen, ethischen und künstlerischen Einstellungen haben. Eine Reihe von Zusammenhängen und Abhängigkeiten wurden damit aufgedeckt, die bis dahin fast völlig verkannt worden waren. |
(フロイト「続精神分析入門」第35講、1933年) |
◼️資本制生産様式におけるベンサム主義ーー他人を害することによって自分を利する(人間による人間の搾取) ーーの必然性 |
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(資本制生産様式において)労働力の売買がその枠内で行なわれる流通または商品交換の領域は、実際、天賦人権の真の楽園であった。 ここで支配しているのは、自由、平等、所有、およびベンサムだけである[Was allein hier herrscht, ist Freiheit, Gleichheit, Eigentum und Bentham.] 自由! なぜなら、商品──例えば労働力──の買い手と売り手は、彼らの自由意志によってのみ規定されているのだから。彼らは、自由で法的に同じ身分の人格として契約する。契約は、彼らの意志に共通な法的表現を与えるそれの最終成果である。 平等! なぜなら彼らは商品所有者としてのみ相互に関係し、 等価物を等価物と交換するのだから。 所有! なぜなら誰もみな、 自分のものだけを自由に処分するのだから。 |
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ベンサム! なぜなら双方のいずれにとっても、問題なのは自分のことだけだからである。彼らを結びつけて一つの関係のなかに置く唯一の力は、彼らの自己利益、彼らの特別利得、彼らの私益という力だけである。 Bentham! Denn jedem von den beiden ist es nur um sich zu tun. Die einzige Macht, die sie zusammen und in ein Verhältnis bringt, ist die ihres Eigennutzes, ihres Sondervorteils, ihrer Privatinteressen. (マルクス『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化 Die Verwandlung von Geld in Kapital」1867年) |
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功利理論[Nützlichkeitstheorie」においては、これらの大きな諸関係にたいする個々人の地位、個々の個人による目前の世界の私的搾取[Privat-Exploitation]以外には、いかなる思弁の分野も残っていなかった。この分野についてベンサムとその学派は長い道徳的省察をやった。(マルクス&エンゲルス『ドイツイデオロギー』「聖マックス」1846年) |
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言語における仮面が唯一意味をもつのは、無意識的あるいは、実際の仮面の故意の表出のときのみである。この場合、功利関係はきわめて決定的な意味をもっている。すなわち、私は他人を害することによって自分を利する(人間による人間の搾取) ということである。 Die Maskerade in der Sprache hat nur dann einen Sinn, wenn sie der unbewußte oder bewußte Ausdruck einer wirklichen Maskerade ist. In diesem Falle hat das Nützlichkeitsverhältnis einen ganz bestimmten Sinn, nämlich den, daß ich mir dadurch nütze, daß ich einem Andern Abbruch tue (exploitation de l'homme par l'homme <Ausbeutung des Menschen durch den Menschen>); (マルクス&エンゲルス『ドイツイデオロギー』「聖マックス」1845-1846 年) |
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この相互搾取理論は,ベンサムがうんざりするほど詳論したものだ[Wie sehr diese Theorie der wechselseitigen Exploitation, die Bentham bis zum Überdruß ausführte, ](マルクス&エンゲルス『ドイツイデオロギー』「聖マックス」 1846年) |
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資本の論理に駆り立てられているNATO諸国の指導者は、仮に意識的にはそれを知らなくても、彼らは無意識的にベンサム主義者になる、《彼らはそれを知らないが、そうする[ Sie wissen das nicht, aber sie tun es]》(マルクス『資本論』第1巻「一般的価値形態から貨幣形態への移行」)。 これがマルクスの資本の欲動(資本の駆り立てる力)分析である。ーー《資本家の…絶対的な致富欲動[absolute Bereicherungstrieb]…価値の休みなき増殖[rastlose Vermehrung des Werts]》(マルクス『資本論』第一巻第二篇第四章第一節)
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こういった上部構造の心理的ファクターが下部構造の経済的ファクターに遡及的に影響を与えるという事態は確かにあるだろう。 とはいえ、である。日本の政治学者や社会学者、あるいはもっと大きく知識人と呼ばれる種族のほとんどは、あまりにも経済的要素への目配りが欠けている、と私は思わざるを得ない。
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