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2023年5月1日月曜日

遠いアドレッセンスの初葉の時に


このところ蚊居肢子はーー若い魂としてーーかつて何を愛したのかを文学を中心にして振り返っている?!


ここに次のような方法がある。若いたましいが、「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか、お前のたましいをひきつけたのは何であったか、お前のたましいを占領し同時に幸福にしてくれたのは何であったか[was hast du bis jetzt wahrhaft geliebt, was hat deine Seele hinangezogen, was hat sie beherrscht und zugleich beglückt?]」と問うことによって、過去をふりかえって見ることだ。


尊敬をささげた対象を君の前にならべてみるのだ。そうすればおそらくそれらのものは、その本質とそのつながりによって、一つの法則を、君の本来的自己の原則[das Grundgesetz deines eigentlichen Selbst.を示してくれるであろう。

そういう対象を比較してみるがよい。一つが他を捕捉し拡充し、凌駕し浄化して行くさまを見るがよい。そして、それらが相つらなって、君が今日まで君自身によじ登ってきた一つの階梯をなすさまを見るがよい。


なぜなら、君の本質は、奥深く君のうちにかくされているのではなくて、君を超えた測りしれない高い所に、あるいは少なくとも、普通きみが君の「自我」と取っているものの上にあるからだ[denn dein wahres Wesen liegt nicht tief verborgen in dir, sondern unermeßlich hoch über dir, oder wenigstens über dem, was du gewöhnlich als dein Ich nimmst. (ニーチェ『反時代的考察』第3篇第1節、1874 年)



大学時代は、初期大江健三郎や前期吉行淳之介を愛したことを記した。高校時代は森有正の『バビロンの流れのほとりにて』を愛したことを記した(もちろんどちらかの時期もこれだけではないが)。


では中学時代はどうであったか。何よりもまず浮かんでくるのは堀辰雄である。


堀辰雄は語りにくい作家である。


おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章――堀辰雄」)



・・・というわけであり、この今でさえ、堀辰雄=ヴァレリーの「風立ちぬ、いざ生きめやも」がふとした弾みに口ずさむ最も愛する詩句だなどとすると、いっそうのこと狼狽を感じざるを得なくなる。


現在では、次のような野暮なことを言うのが通説になっているのだからさらにいっそうである、ーー《「生きめやも」の「やも」は古典文法で反語を表わし、文法的には、「生きようか、いや断じて生きない、死ぬ」の意味になる》(Wikipedia)


この古典文法的解釈に抵抗するつもりはないがーーちなみに中井久夫は、《風が起こる……生きる試みをこそ[Le vent se lève!. . . Il faut tenter de vivre!]》と訳している(参照:「ヴァレリー「海辺の墓地」)ーー、堀辰雄は「やも」という言葉に新しい意味を吹き込ませたのである、人はみなソウトラネやも・・・


……そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。


風立ちぬ、いざ生きめやも。 


ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠れているお前の肩に手をかけながら、口の裡で繰り返していた。それからやっとお前は私を振りほどいて立ち上って行った。


それは、私達がはじめて出会ったもう二年前にもなる夏の頃、不意に私の口を衝いて出た、そしてそれから私が何んということもなしに口ずさむことを好んでいた、風立ちぬ、いざ生きめやも。という詩句が、それきりずっと忘れていたのに、又ひょっくりと私達に蘇ってきたほどの、――云わば人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉しい日々であった。(堀辰雄『風立ちぬ』)


この「風立ちぬ、いざ生きめやも」の核心は2番目の文でありレミニサンスだよ、プルーストの死をもおそれぬ《きらりとひらめく一瞬の持続[la durée d'un éclair]、純粋状態にあるわずかな時間[un peu de temps à l'état pur]》だ。それを把握していれば人は誤訳などと野暮なことは言わないハズデアル・・・


そもそもヴァレリーの『海辺の墓地』のエピグラフはピンタロスの次の詩句である。



わが魂よ、不死を求めず、

きみの限界を汲み尽くせ。


Μή, φίλα ψυχά, βίον ἀθάνατον

σπεῦδε, τὰν δ' ἔμπρακτον ἄντλει μαχανάν.


 ーーー ピンダロス Pindare「ピュティア祝勝歌 Pythiques


すなわち、「わが魂よ、いざ生きめやも」ーー不死を求めず、吹きぬける風のきらりとひらめく一瞬の持続を愛せよ、である・・・



彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンスにふけっていた[j'étais froid devant des beautés qu'ils me signalaient et m'exaltais de réminiscences confuses]〔・・・〕そして戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった[je m'arrêtai avec extase à renifler l'odeur d'un vent coulis qui passait par la porte. « Je vois que vous aimez les courants d'air », me dirent-ils. ](プルースト「ソドムとゴモラ」)

わたしたちは生が実在だと信じていない、なぜなら忘れてしまっているから。けれども古い匂を嗅いだら、突如として酩酊する[De sorte que nous ne croyons pas la vie réelle parce que nous ne nous la rappelons pas, mais que nous sentions une odeur ancienne, soudain nous sommes enivrés;] (プルースト書簡 Comment parut Du côté de chez Swann. Lettre de M.Proust à René Blum de février 1913)


戸口を吹きぬけるすきま風の匂のレミニサンスに不感症の方々にはトンチンカンな話を記してしまった。いや実に堀辰雄は語りにくい。