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2023年6月8日木曜日

先の見えない薄暗い廊下の先にある分厚い布張りの扉

 


 こんな夢を私は思い出した。
 先の見えない薄暗い廊下を歩いている。なにか塔のような高さのある建物だがひとけはなく、コツコツという自分の足音だけが高い天井に反響している。歩き続けているとやがて分厚い布張りの扉の前にたどり着く。どれくらい歩いたのかわからないが、冷たい風がときおり吹き抜けるので身体の末端の感覚がうすれてきて、瞼も重たい。しかし私はこの扉を開けなければならないと思う。この扉をあける呪文を知っている。ひらく。そこは壁一面にたくさんの本が並べられた図書室のようなところであるとわかる。室内はわずかに明かりがついていて、私はそれをたよりに背表紙をながめやり、一つの書物を手に取る。 (「塔と象」)


ーーという文で始まる若い女性のプルースト小論を読んだが、いやあとってもエロいね。こういう文を読むと他のことはどうでもよくなる「悪癖」が私にはある。大学を出て2年目ぐらいの、さる企業に勤める方のようだが、プルーストだけでなく、ベンヤミンやフロイト、ドゥルーズへの言及も秀逸であり、文章もうまい(もっともプルーストの象形文字[Hyérogriph]とフロイトの象形文字[Bilderschrift]を同列に扱っているように見える記述があるが、穏やかにいえば、私はこの立場を取らない。強くいえば、誤謬だと思う)。


ここでは冒頭の文との直接の関連性は曖昧にしたまま、とはいえ私が思い起こしたフロイトの『夢解釈』第6章「夢の仕事」からいくつかの文を抜き出しておく。


ことさらさりげない夢が、じつにエロス的願望[erotische Wünsche] を隠しているということは、上にも主張したし、無数の新しい例をあげてこれを証明することもできる。


しかし、どこをどう見ても何の変哲もない、意味のない夢の多くが、分析してみると、しばしば意外なほどの、紛れもない性的願望衝動[sexuelle Wunschregungen]に還元させられる。


つぎに引用する夢などは、分析を加えてみなければ、ある性的願望を含んでいるなどとは想像もつかないだろう。


《二つの堂々たる宮殿のあいだの、少し引っこんだところに小さな家があって、門はしまっている。妻が私を通りを少々案内して、その家のところまで連れてゆく。妻は扉を押し開いた。そこで私はすばやく堂々と、斜めに勾配のついた内庭へ滑りこむ》Zwischen zwei stattlichen Palästen steht etwas zurücktretend ein kleines Häuschen, dessen Tore geschlossen sind. Meine Frau führt mich das Stück der Straße bis zu dem Häuschen hin, drückt die Tür ein, und dann schlüpfe ich rasch und leicht in das Innere eines schräg aufsteigenden Hofes.


夢の翻訳の経験がある人なら、狭い空間を押し入ることや、しまった扉をあけることなどがもっとも一般的な性的象徴であることに直ちに思いついて、この夢の中に、後部からの交接の試み(女体の二つの堂々たる臀部の丘のあいだに)の一表現を容易に見だすだろう。狭い、斜めに上っている通路は、いうまでもなく膣である。

Wer einige Übung im Übersetzen von Träumen hat, wird allerdings sofort daran gemahnt werden, daß das Eindringen in enge Räume, das Öffnen verschlossener Türen zur gebräuchlichsten sexuellen Symbolik gehört, und wird mit Leichtigkeit in diesem Traume eine Darstellung eines Koitusversuches von rückwärts (zwischen den beiden stattlichen Hinterbacken des weiblichen Körpers) finden. Der enge, schräg aufsteigende Gang ist natürlich die Scheide;

この夢を見た本人の妻に押しつけられた(道案内という)助力は、われわれにつぎのごとく判断するように強いる、つまり現実生活のうえでは妻に対する遠慮があればこそこのような性交形式を採ることが断念されているのだ、と。なおよくきき出すと、こういうことがわかった。夢の前日、若い娘がこの家に雇いこまれた。彼はこの娘が気に入って、上に述べたようなことを仕かけてもこの娘ならばたいしていやがりもしないのではないかというような印象を与えられた。二つの宮殿のあいだの小さな家は、プラハの城地区のレミニサンス[Reminiszenz an den Hradschin in Prag]に糸を引くものであって、したがってやはりこのプラハ出身の娘に関係している。(フロイト『夢判断』第6章E、1900年)


小箱、箱、大きめの箱、箪笥、長持、暖炉、その他洞穴、船、容器類いっさいは女体の象徴である。ーー夢の中の部屋はたいていの場合「女の部屋Frauenzimmer」、部屋の出口、入ロが表現されていれば この解釈はますます疑いのないものになる。部屋が「あいている」か「しまっている」かという関心は、この関連において容易に理解されるだろう。さてその部屋の扉がどういう鍵で開かれるかは改めていう必要はなかろう。

Dosen, Schachteln, Kästen, Schränke, Öfen entsprechen dem Frauenleib, aber auch Höhlen, Schiffe und alle Arten von Gefäßen. Zimmer im Traume sind zumeist Frauenzimmer, die Schilderung ihrer verschiedenen Eingänge und Ausgänge macht an dieser Auslegung gerade nicht irre. Das Interesse, ob das Zimmer »offen« oder »verschlossen« ist, wird in diesem Zusammenhange leicht verständlich. Welcher Schlüssel das Zimmer aufsperrt, braucht dann nicht ausdrücklich gesagt zu werden; 〔・・・〕


ーー階段・梯子・踏台、ことにそういうものの上を昇降することは性交行為の象徹的表現である。– Stiegen, Leitern, Treppen, respektive das Steigen auf ihnen, und zwar sowohl aufwärts als abwärts, sind symbolische Darstellungen des Geschlechtsaktes 

(フロイト『夢解釈』第6章Die Traumarbeit E)




プルーストの「図書室」も何ものかの隠喩として問い直すべきだという促しを与えてくれる文だね、あれは。


…しかし、まえぶれがやってきて、われわれを救ってくれるのは、ときには、すべてが失われたと思われる瞬間にである、人はすべての扉をたたいた、どの扉もどこにも通じない、ただ一つ人がはいることのできる扉、百年かかってさがし求めても空しかったであろうただ一つの扉に、それとは知らず突きあたる、するとそれはひらくのだ。Mais c'est quelquefois au moment où tout nous semble perdu que l'avertissement arrive qui peut nous sauver : on a frappé à toutes les portes qui ne donnent sur rien, et la seule par où on peut entrer et qu'on aurait cherchée en vain pendant cent ans, on y heurte sans le savoir et elle s'ouvre. 〔・・・〕


長らくゲルマント大公に仕えている一人の給仕人頭が、私だということを知って、私が通されている図書室に、私がビュッフェまで行かなくてもいいように、プチ・フールのとりあわせと一杯のオレンジエードとももってきたので、私は彼がわたしてくれたナプキンで口を拭いたのだ、ところがそのとたんに、あたかも『千一夜』の人物が、自分をただちに遠くへはこんできれる素直な魔神〔ジェニー〕を自分だけの目に見えるように出現させる、まさにそのような儀式をそうとは知らずにやってのけたかのように、コバルト・ブルーの新しい視像が、ちらと私の目のまえを通りすぎた。


しかし、そのコバルト・ブルーは、自然の純粋さをたたえ、潮気をふくんで、さっと青味がかった乳房の形にふくらんだ。そしてその印象は非常に強くて、私がかつて生きていた瞬間が、現時点であるように思われた。私は、自分がほんとうにゲルマント大公夫人にむかえられようとしているのか、それともすべてがくずれさろうとしているのではなかろうか、と自問していた昔のあの日以上に茫然としながら、その召使がたったいま浜辺に面した窓をあけたような気がし、満潮の防波堤におりてそこを散歩するようにすべてが私をさそっているような気がするのだった。


口を拭くために私が手にとったナプキンは、バルベック到着の第一日目に、窓のまえで、あのように拭きにくかったナプキンの、あのかたく糊がついてのとおなじ種類のものであった。そしていま、ゲルマントの図書室の書架をまえにして、ひらいた面と折目にわかれたそのナプキンは、孔雀の尾のように、グリーンとブルーの海原の羽をひろげているのであった。それに私は、単にそんな色彩だけをたのしんでいるのではなくて、その色彩を浮きあがらせている、私の過去の生活のまったき一瞬をたのしんでいるのであって、その一瞬こそは、まぎれもなくそれらの色彩への私の渇望そのものであったのだが、バルベックでは、何か疲労感または悲哀の感情といったものが、その一瞬をたのしむことをおそらく私にさまたげたのであろう、そしていまや、その一瞬が、外的知覚にふくまれる不完全な要素をとりさり、肉体を離れ、純粋になって、私を大歓喜でふくれあがらせたのであった。(プルースト「見出された時」)



ーー《召使がたったいま浜辺に面した窓をあけたような気がし、満潮の防波堤におりてそこを散歩するようにすべてが私をさそっているような気がするのだった。je croyais que le domestique venait d'ouvrir la fenêtre sur la plage et que tout m'invitait à descendre me promener le long de la digue à marée haute ; 》か。潮が満ちたら自ずとひらくんだろうよ。


やがて開かれるであろう「ひらかれない扉」なんてのもあったけど。


隣のテーブルにいる女の匂[l'odeur de la femme qui était à la table voisine]…それらの顔は、私にとって、節操のかたいこちこちの女だとわかっているような女の顔よりもばるかに好ましいのであって、後者に見るような、平板で深みのない、うすっぺらな一枚張のようなしろものとは比較にならないように思われた[leur visage était pour moi bien plus que celui des femmes que j'aurais su vertueuses et ne me semblait pas comme le leur, plat, sans dessous, composé d'une pièce unique et sans épaisseur]。〔・・・〕

それらの顔は、ひらかれない扉であった[ces visages restaient fermés]。しかし、それらの顔が、ある価値をもったものに見えてくるためには、それらの扉がやがてひられるであろうことを知るだけで十分なのであった[ c'était déjà assez de savoir qu'ils s'ouvraient]  (プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)



そういえば昔こんな文を拾ったことがあるな、ー《内蔵の中にいると私たちがどれほど安堵するものかということを知りたければ、眩惑されるままに、暗いところが娼婦の股ぐらにひどく似ている街路から街路へ入り込んでいかねばならない。》(ベンヤミン断章ーー円環の廃墟──図書館と「一九世紀の夢」 | 松浦寿輝、1996年)


松浦寿輝はこの引用の直前にこう書いている、《実際、パリを「遊歩」するとは彼にとって、巨大な女体の秘部をまさぐることでもあった》。もちろん女の股ぐらに似ているのはパリの街路だけでなく、図書館もしかり。


➡︎「図書室は母胎の代用品