前回、自己破壊欲動としてのマゾヒズムと他者破壊欲動のサディズムをサラッと示したけどさ。誰にでもあるってのは、起源は次のようだからだよ、少なくともフロイトの思考においては。
フロイトにおいてはマゾヒズムは何よりもまず受動性だ。 |
母のもとにいる幼児の最初の出来事は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動性である[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年) |
マゾヒズム的とは、その根において女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年) |
上に、女性的受動的[weiblich passiv]とあるが、この女性性は生物学的意味ではない。フロイトは既に1905年の『性理論』で、生物学的意味とは異なった心理学的意味で、女性性[Weiblichkeit]/男性性[Männlichkeit ]を受動性[Passivität]/能動性[Aktivität ]としている。 |
つまりフロイトの用語使いでの心理学的意味では、原初において人はみな女でありマゾヒストである。 とはいえ、乳幼児の段階でも原初の受動性としてのマゾヒズムののちにすぐさま能動性としての口唇サディズムが現れる。 |
最初期の口唇期[die erste orale Phase]。この第一段階では、問題になっているのは口唇的な取り入れ[orale Einverleibung]だけで、母の乳房の対象[Objekt der Mutterbrust]との関係には両価性はまったくない。噛みつき行為の出現によって特徴づけられる第二段階は、口唇サディスティック[oralsadistische]と表現することができる。この段階で初めて両価性の現象が現れ、その後、次のサディスティック肛門期[sadistisch-analen Phase]において非常に明確になる。〔・・・〕ここで、リビドー固着、気質、退行[Libidofixierung, Disposition und Regression]のあいだの関連について学んだことを思い起こす必要がある。(フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年) |
リビドー固着とあるが、口唇マゾヒズムの固着に引き続き、口唇サディズムの固着があるということだ(母の乳房への固着)。固着とは反復強迫を生むものであり、誰にでもこのマゾヒズムとサディズムの反復がある。 だが、繰り返せば、原点にあるのはマゾヒズム的固着である。 |
無意識的なリビドーの固着は…性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年) |
マゾヒズムはサディズムより古い[der Masochismus älter ist als der Sadismus](フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年) |
左項が原初にあるものだ。
フロイトにおいて後年になればなるほど、原初の固着が重要になってくる。出産外傷を母への原固着ともするようになる、ーー《出産外傷[Trauma der Geburt]、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。》(『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)ーー。つまり口唇期のさらに先にある固着である。 |
リビドー組織の段階に対するわれわれの考え方は、一般的に少し変化している。以前は、それぞれの段階が次の段階に移ることを何よりも強調していたのだが、今は、初期の各段階がいかに後の段階の形成と並行して、その背後に居残り、リビドー経済や人の性格に永久的な表象を獲得するか[wieviel von jeder früheren Phase neben und hinter den späteren Gestaltungen erhalten bleibt und sich eine dauernde Vertretung im Libidohaushalt und im Charakter der Person erwirbt]を示す事実に注意を払う必要がある。さらに重要なことは、病的な条件下でいかに頻繁に初期段階への退行が起こるか、またある種の退行はある種の疾病に特徴的であることを教えてくれた研究である。(フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年) |
ここで言われている初期段階へのリビドー退行が、次の文のリビドー固着の残滓である。 |
ほとんど常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
そして、これが母へのエロス的固着の残滓でありーーフロイトにおいてリビドーとエロスは等価ーー、マゾヒズムである。 |
母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
隷属[Hörigkeit]とあるが、マゾヒズム的態度[masochistisches Verhalten]のこと。 |
男性はしばしば女性にたいしてマゾヒズム的態度、隷属さえ示す[daß solche Männer häufig ein masochistisches Verhalten gegen das Weib, geradezu eine Hörigkeit zur Schau tragen](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年) |
つまり、母へのエロス的固着の残滓は、母へのマゾヒズム的固着の残滓[Rest der masochistische Fixierung an die Mutter]と言い換えうる。 |
先に見たようにーー《ほとんど常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある[Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben.]》ーー残滓とは置き残し[Zurückbleiben]を意味するが、リビドー固着の残滓とはエスに置き残されることを表す。 |
自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである[das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
ラカンのリアルな対象aはこのエスへの置き残しとしての残滓にほかならない。 |
残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu. Ce reste, …c'est le petit(a). ](Lacan, S10, 21 Novembre 1962) |
享楽は、残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
母は構造的に対象aの水準にて機能する[C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).] (Lacan, S10, 15 Mai 1963 ) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.] (Lacan, S13, 05 Janvier 1966) |
つまり現実界=残滓=享楽=母=固着であり、マゾヒズムである。 |
享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976) |
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation (…) on y revient toujours.] (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009) |
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なおマゾヒズムには健康ヴァージョンと病理ヴァージョンがあることを付記しておく。 |
ラカンはマゾヒズムにおいて、達成された愛の関係を享受する健康的ヴァージョンと病理的ヴァージョンを区別した。病理的ヴァージョンの一部は、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着を示している。それは母への固着である。Il distinguera, dans le masochisme, une version saine du masochisme dont on jouit dans une relation amoureuse épanouie, et une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère(Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001) |
健康ヴァージョンは例えば次のものだ。 |
他者の欲望の対象として自分自身を認めたら、常にマゾヒスト的である[que se reconnaître comme objet de son désir, …c'est toujours masochiste.] (ラカン, S10, 16 janvier 1963) |
女性的マゾヒズムの秘密は、被愛妄想である[Le secret du masochisme féminin est l'érotomanie](J.-A. Miller, L'os d'une cure, Navarin, 2018) |
たとえば美しくあれという要請は、しばしば美学化されたマゾヒズムの仮面にすぎない[Par exemple, l'impératif d'être belle n'est souvent que le masque du masochisme esthétisé]. (J.-A. Miller, Mèrefemme, 2015) |
他方、究極の病理ヴァージョンは、先に示した出産外傷としての母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]であり、母胎への固着[Fixierung an die Mutterleib]と言い換えうる。つまり母胎回帰欲動である。 |
人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…) eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939 |
子宮内生活は、まったき享楽の原像である[La vie intra-utérine est l'archétype de la jouissance parfaite. ](Pierre Dessuant, Le narcissisme primaire, 2007) |
ここに死の欲動の原点がある。 |
死への道…それはマゾヒズムについての言説である。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[Le chemin vers la mort… c'est un discours sur le masochisme …le chemin vers la mort n'est rien d'autre que ce qu'on appelle la jouissance. ](Lacan, S17, 26 Novembre 1969) |
死の欲動は現実界である。死は現実界の基礎である[La pulsion de mort c'est le Réel …c'est la mort, dont c'est le fondement de Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
つまりフロイトラカンにおいての究極のマゾヒズム的欲動とは、喪われた母の身体を取り戻そうとする運動であり、巷間でそう見なされている表層的な苦痛のなかの快とは異なり、むしろ原ナルシシズム的欲動なのである。
マゾヒストは決して次のことによって定義されるものではない、すなわち苦痛や苦痛のなかの快、快のための苦痛ではない[le masochiste ne peut aucunement être défini : ni souffrir, à avoir du plaisir dans la souffrance, ni souffrir pour le plaisir.] マゾヒストを唯一明示しうるのは、対象aの機能を持ち出す以外ない。それがまったき本質である。私は信じている、重要なのはかつて原ナルシシズムのため確保されていた場処に目星をつけなければならないと。On ne peut articuler le masochiste qu'à faire entrer…que la fonction de l'objet(a) en particulier y est absolument essentielle. Je crois que l'important de ce que…peut être repéré à la place anciennement réservée au narcissisme primaire. (Lacan, S13, 22 juin 1966) |
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自我の発達は原ナルシシズムから距離をとることによって成り立ち、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす。Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年 |
人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む。 haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年) |
これがフロイトラカンのマゾヒズムだよ。そしてこの原欲動の投射としてサディズムがある[参照]。