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2023年7月22日土曜日

プルーストの異者のレミニサンスは原抑圧されたものの回帰


前回の投稿をしたついでにここに示しておこう。


何度も掲げてきたが、プルーストには異者が唐突にやってくるという叙述がある。


私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。〔・・・〕最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての少年の私だった。

je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…] Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, (プルースト「見出された時」)



この異者の回帰は、「見出された失われた時」のことであり、レミニサンスのことだ。


彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンスにふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。


j'étais froid devant des beautés qu'ils me signalaient et m'exaltais de réminiscences confuses ; …je m'arrêtai avec extase à renifler l'odeur d'un vent coulis qui passait par la porte. « Je vois que vous aimez les courants d'air », me dirent-ils. (プルースト「ソドムとゴモラ」)



この異者のレミニサンスは前回示した原抑圧されたものの回帰と事実上、等価。



フロイトラカンの「喪われた対象の回帰」が、プルーストにおいての「失われた時の回帰」に相当する。


そもそもラカンの主体は異者であり、主体の回帰は異者の回帰である。



対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou](Lacan , S16, 27 Novembre 1968)

この対象aは、主体にとって本質的なものであり、異者性によって徴付けられている[ ce (a), comme essentiel au sujet et comme marqué de cette étrangeté] (Lacan, S16, 14  Mai  1969)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)


要するに《対象aは主体自体[le petit a est le sujet lui-même[a ≡ $]》( J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005)であり、つまり主体は異者(異者としての身体)のこと。


そしてこの異者はレミニサンスする。


トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。

das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる。

Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage.  …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… mais de façon tout à fait illusoire …ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   …la réminiscence est distincte de la remémoration (ラカン、S.23, 13 Avril 1976、摘要)


ーーフロイトラカンにおけるトラウマは身体の出来事、特に幼少期の身体の上への欲動の刻印(欲動の固着)の意味なので注意。


つまり喜ばしいトラウマのレミニサンスもありうる。



PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収)




中井久夫はプルーストのレミニサンスの最も代表的な表現「心の間歇」を解離=排除としている。

(プルーストの)「心の間歇 intermittence du cœur」は「解離 dissociation」と比較されるべき概念である。…解離していたものの意識への一挙奔入…。これは解離ではなく解離の解消ではないかという指摘が当然あるだろう。それは半分は解離概念の未成熟ゆえである。フラッシュバックも、解離していた内容が意識に侵入することでもあるから、解離の解除ということもできる。反復する悪夢も想定しうるかぎりにおいて同じことである。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007年『日時計の影』所収)

サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいう解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。〔・・・〕解離とその他の防衛機制との違いは何かというと、防衛としての解離は言語以前ということです。それに対してその他の防衛機制は言語と大きな関係があります。…解離は言葉では語り得ず、表現を超えています。その点で、解離とその他の防衛機制との間に一線を引きたいということが一つの私の主張です。PTSDの治療とほかの神経症の治療は相当違うのです。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


この解離としての排除は原抑圧のこと(参照)。





原抑圧は排除である[refoulement originaire…ce…à savoir la forclusion. ](J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE COURS DU 3 JUIN 1987)


ーーフロイト自身、リビドー解離[Libidoablösung]という表現を何度か使っており、固着すなわち原抑圧(排除)と等置している。


つまり原抑圧された欲動の回帰は異者のレミニサンスである。


抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)

原抑圧と同時に固着がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)



………………


※付記


さらにいえば、異者は不気味なものである。

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要)


そしてこの不気味な異者は回帰する(抑圧されたものの回帰とあるが、ここでの抑圧は原抑圧)。

不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第3章、1919年)


で、究極の不気味な異者は女性器であり、女性器の回帰こそ原点にある原抑圧されたものの回帰である。


女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)




すなわち究極の異者のレミニサンス、原抑圧されたものの回帰とはプチット・マドレーヌのレミニサンスにほかならない


溝の入った帆立貝の貝殻のなかに鋳込まれたかにみえる〈プチット・マドレーヌ〉と呼ばれるずんぐりして丸くふくらんだあのお菓子の一つ[un de ces gâteaux courts et dodus appelés Petites Madeleines qui semblent avoir été moulés dans la valve rainurée d'une coquille de Saint-Jacques (プルースト「スワン家のほうへ」)


この描写は女性器のイマージュ[ image du sexe féminin」を連想させる。ずんぐり、丸くふくらんだ、鋳込まれた貝殻 = 弁、溝の入った[court, dodu, moulé, valve, rainure, coquille]と、ひとつとして女性器を思い起こさせない言葉はない。

その先でプルーストはもう一度この菓子の外観を叙べる。


厳格で敬度な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、お菓子でつくった小さな貝の身[petit coquillage de pâtisserie, si grassement sensuel sous son plissage sévère et dévot ](プルースト「スワン家のほうへ」)

〔・・・〕

ショーソン(パイ)は内側から夢想するかぎりでの母胎を、マドレーヌは外側から夢想する母胎を表現している[le chausson représente le ventre maternel, tel qu'on le rêve dans son intérieur ; la madeleine, dans son extérieur]。(フィリップ・ルジェンヌ「エクリチュールと性」Philippe Lejeune, L'Ecriture et Sexualité, 1970



事実、フロイトの究極の原抑圧は母胎であり、この原抑圧されたものの回帰は母胎回帰である。

出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib.] (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)



ここで記したことは、プルーストとフロイトがたまたま一致しているということではない。人はみなこの回帰がある。プルーストとフロイトは人の原点にあるこの本来の無意識を言語化したということである。ーー《異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ]》(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)