前回記したことを別の言い方をすれば、重要なのは巷間で言われてる超自我はすべて間違ってることだよ。そのうち日本フロイトラカン派からまともなヤツが出てきてーーラッキーならーー、超自我注釈を「精緻に」書くだろ、それまで待ってろよ、たぶん10年後ぐらいになるだろうけど。俺は雑なO型だから精緻さとは無縁でね、ニヤニヤ笑いながら、フロイトラカン原文にはまともにあたらず、間違いだらけの三文解説書のみを読んで、よくオベンキョウしてるつもりらしいアノ連中は、またトンデモ誤謬してんな、と嘲弄するのが趣味でね。
何よりもまず、超自我はマゾヒズムの原因であり、マゾヒズムは現実界の享楽であり、死の欲動なんだよ。 |
超自我はマゾヒズムの原因である[le surmoi est la cause du masochisme],(Lacan, S10, 16 janvier 1963) |
享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976) |
死の欲動は現実界である[La pulsion de mort c'est le Réel] (Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
すなわち、超自我は死の欲動の原因だ、ジャック=アラン・ミレールは《死の欲動は超自我の欲動である[la pulsion de mort ..., c'est la pulsion du surmoi]》 (J.-A. Miller, Biologie lacanienne, 2000)と言っているがね。あるいはミレール派(フロイト大義派)のたぶんナンバースリーぐらいのポジションにいるピエール・ジル・ゲガーンは、《タナトスは超自我の別名である[Thanatos, which is another name for the superego ](Pierre Gilles Guéguen, The Freudian superego and The Lacanian one. 2016)としているが。 |
このラカン派の解釈は、フロイトにしっかりある。 |
超自我の設置➡︎攻撃欲動の固着➡︎自己破壊➡︎マゾヒズム➡︎死の欲動と。 |
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend]. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている[Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat.]〔・・・〕 我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない[Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. ](フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年) |
超自我注釈の真の出発点はここだよ、ワカルカイ?