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2023年7月8日土曜日

家父長制の終焉に伴い最悪の時代への突入

 

ラカンから引き継いだセミネールを30年続けて2011年に終えたジャック=アラン・ミレールは、その後は公式には発言の機会が大幅に減ったのだが(健康を害した原因もある)、2年前、内輪の対話で次のように言っている。


今日、私たちは家父長制の終焉を体験している。ラカンは、それが良い方向には向かわないと予言した[Aujourd'hui, nous vivons véritablement la sor tie de cet ordre patriarcal. Lacan prédisait que ce ne serait pas pour le meilleur. ]。〔・・・〕


私たちは最悪の時代に突入したように見える。もちろん、父の時代(家父長制の時代)は輝かしいものではなかった〔・・・〕。しかしこの秩序がなければ、私たちはまったき方向感覚喪失の時代に入らないという保証はない[Il me semble que (…)  nous sommes entrés dans l'époque du pire - pire que le père. Cer tes, l'époque du père (patriarcat) n'est pas glorieuse, (…) Mais rien ne garantit que sans cet ordre, nous n'entrions pas dans une période de désorientation totale](J.-A. Miller, “Conversation d'actualité avec l'École espagnole du Champ freudien, 2 mai 2021)



これはどういう意味か? 以下、簡単にその消息を示そう。


ラカンは学園紛争を契機にエディプス的父の失墜を言った。


父の蒸発 [évaporation du père] (ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)

エディプスの失墜[déclin de l'Œdipe](Lacan, S18, 16 Juin 1971)


エディプス的父とはもちろん父の名である、ーー《フロイトのエディプスの形式化から抽出した父の名[Le Nom-du-Père que Lacan avait extrait de sa formalisation de l'Œdipe freudien]》(Jean-Louis Gault, Hommes et femmes selon Lacan, 2019)


この父の名の失墜に伴って、例えばラカンは次のように言った。


レイシズム勃興の予言[prophétiser la montée du racisme](Lacan, AE534, 1973)


他にも欲望の時代から享楽の時代、つまり欲動の時代への移行という現象を繰り返し強調している。

欲動、すなわち、《欲動蠢動は刺激、無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである la Regung(Triebregung) est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute》(ラカン、S10、14 Novembre 1962)


これは、象徴的父の名の法の失墜に伴って、無法の現実界が露顕するという意味である。

私は考えている、現実界は法なきものと言わねばならないと。真の現実界は秩序の不在である。現実界は無秩序である[je crois que le Réel est, il faut bien le dire, sans loi.  Le vrai Réel implique l'absence de loi. Le Réel n'a pas d'ordre].  (Lacan, S23, 13 Avril 1976)     



もちろん象徴的父の法は男性的な支配の論理に陥りがちであり、父の名自体の復権をじかに言っているわけではないが、この文脈のなかで次のように言っている。


人は父の名を迂回したほうがいい。父の名を使用するという条件のもとで[le Nom-du-Père on peut aussi bien s'en passer, on peut aussi bien s'en passer à condition de s'en servir.](Lacan, S23, 13 Avril 1976)


これは父の名の回帰、あるいは家父長制の復活自体は望ましくないが、とはいえ無法の現実界に対する防衛のために父の機能ーー現実界の欲動を飼い馴らす機能、《欲動の飼い馴らし[die »Bändigung«des Triebes]》(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第3章、1937年)ーーは必要不可欠だという意味である。


以上、冒頭のジャック=アラン・ミレールの発言はこの文脈のなかにある。


実は、人はみな知っているのではないか、この父の規範なき時代の最悪さを? とくに2020年代に入って赤裸々に露出した最悪さを。



…………


※付記


ここでの話題とは異なるが、ラカンの父の機能ーー父の名を迂回しつつ、父の名を使用することーーは、資本=ネーション=国家の水準では、柄谷行人の帝国を否定しつつ帝国の原理を使用することに相当する。


近代の国民国家と資本主義を超える原理は、何らかのかたちで帝国を回復することになる。〔・・・〕帝国を回復するためには、帝国を否定しなければならない。帝国を否定し且つそれを回復すること、つまり帝国を揚棄することが必要〔・・・〕。それまで前近代的として否定されてきたものを高次元で回復することによって、西洋先進国文明の限界を乗り越えるというものである。(柄谷行人『帝国の構造』2014年)

近代国家は、旧世界帝国の否定ないしは分解として生じた。ゆえに、旧帝国は概して否定的に見られている。ローマ帝国が称賛されることがままあるとしても、中国の帝国やモンゴルの帝国は蔑視されている。しかし、旧帝国には、近代国家にはない何かがある。それは、近代国家から生じる帝国主義とは似て非なるものである。資本=ネーション=国家を越えるためには、旧帝国をあらためて検討しなければならない。実際、近代国家の諸前提を越えようとする哲学的企ては、ライプニッツやカントのように、「帝国」の原理を受け継ぐ者によってなされてきたのである。(柄谷行人『帝国の構造』2014年)

帝国の原理がむしろ重要なのです。多民族をどのように統合してきたかという経験がもっとも重要であり、それなしに宗教や思想を考えることはできない。(柄谷行人ー丸川哲史 対談『帝国・儒教・東アジア』2014年)





柄谷は「資本の欲動」概念をマルクスの次の文から導き出している、《資本家の…絶対的な致富欲動[absolute Bereicherungstrieb]…価値の休みなき増殖[rastlose Vermehrung des Werts]》(マルクス『資本論』第一巻第二篇第四章第一節)