抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation. ](Lacan, S1, 07 Avril 1954) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
上のラカンの発言を組み合わせれば、対象aは抑圧されたものとなる(厳密には前回示したように原抑圧)。このラカンは、フロイトの『症例シュレーバー』の次の記述に準拠している。 |
「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕 ①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕 この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三番目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung. ] |
②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.]〔・・・〕 主に①の原初に抑圧された欲動がこの後期抑圧に貢献する[…Beitrag von Seiten der primär verdrängten Triebe unterscheiden. ] |
③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である [Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. ] この侵入は固着点から始まる[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。そしてその固着点へのリビドー的展開の退行を意味する[und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(「症例シュレーバー」 )1911年、摘要) |
もっともラカンは対象aは残滓とも言ってる。 |
残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu. Ce reste, …c'est le petit(a). ](Lacan, S10, 21 Novembre 1962) |
この残滓は『終りある分析と終りなき分析』にあるリビドー固着の残滓[ Reste der Libidofixierungen] のこと。 |
常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
上にあるように残滓とは置き残しの意味であり、固着の残滓[Reste der Fixierung]=固着の置き残し[zurückbleiben der Fixierung]だ。 固着を置き残すのは、どこに?何を? |
異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
つまり固着の置き残し[zurückbleiben der Fixierung]とは固着の異者身体[Fremdkörper der Fixierung]だ(この異者としての身体は前回示したようにトラウマ)。 だからラカンはこう言っている。 |
フロイトの異者は、置き残し、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
そしてこの残滓 (а) が享楽であり、現実界だ。 |
享楽は、残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.] (Lacan, S13, 05 Janvier 1966) |
前回示したように、ラカンはセミネールⅩⅩⅢで、現実界はトラウマだとしている。 |
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.] (Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
これはセミネールⅩⅠの段階でもすでにある。 |
現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964) |
同化不能とは固着のこと。 |
固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1 07 Juillet 1954) |
つまり、現実界は固着のトラウマであり、別の言い方をすれば原抑圧のトラウマの穴。 |
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
したがって固着としての原抑圧された対象aは穴となる。 |
対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[ l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel](Lacan, S16, 27 Novembre 1968) |
ここまでの記述を簡単に言えば、対象a=固着=原抑圧=トラウマ(穴)=異者としての身体であり、これが享楽つまり欲動。
享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975) |
以上、前回は抑圧に絞って記述したので、固着に触れなかったが、『症例シュレーバー』にあるように、第一次抑圧、つまり原抑圧は固着であり、抑圧されたものの回帰はトラウマ的固着点への退行を意味する。
現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »] (Lacan, S16, 05 Mars 1969 ) |
フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、常に同じ場処に回帰することである。この理由で固着点に現実界の資格を与えうる[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, …qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel.] (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
ーー《享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours》. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009) このあたりは、一般向けに比較的わかりやすく書かれた『自己を語る』の記述を参照されたし。 |
私は性欲動のエネルギーとその形態にリビドーの名を与えた。私はつぎに、リビドーは必ずしも所定の発達過程を順調に進むわけではないと想定することを余儀なくされた。特定の成分の過剰な強さ、または未成熟な満足を伴う出来事の結果、リビドーの固着はその発達過程のさまざまな点で起こりうる。引き続いた抑圧に伴い、リビドーは固着点に回帰し(退行)、症状の形態を通し侵入するのである。 Ich nannte die Energie der Sexualtriebe ― und nur diese ― Libido. Ich mußte nun annehmen, daß die Libido die beschriebene Entwicklung nicht immer tadellos durchmacht. Infolge der Überstärke einzelner Komponenten oder frühzeitiger Befriedigungserlebnisse kommt es zu Fixierungen der Libido an gewissen Stellen des Entwicklungsweges. Zu diesen Stellen strebt dann die Libido im Falle einer späteren Verdrängung zurück (Regression) und von ihnen aus wird auch der Durchbruch zum Symptom erfolgen. (フロイト『自己を語る』1925年) |
ポール・バーハウのわかりやすい説明なら次の通り。
ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。 The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年) |
原初の現実界の出発点は「異者としての身体[Fremdkörper]」として居残って効果をもったままである。これは、身体的な何ものかがどの症状の核にも現前しているということである。より一般的なフロイト理論用語では、いわゆる欲動の根[Triebwurzel]あるいは固着点である。ラカンに従って、われわれはこの固着点[Stelle der Fixierung]のポジションに対象aを置くことができる。 the original real starting point remains effective as a “foreign body.”… the fact that something of the body is present in the kernel of every symptom. In the more general terms of his theory, this is the so-called “root” of the drive or the point of fixation . Following Lacan, we can place the object (a) in this position. (Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders, 2004) |
……………
フロイトラカンの精神分析的には、人はみなそれぞれの仕方で、固着点に反復的回帰をしている(フロイトにおいて回帰は無意識のエスの反復強迫[Wiederholungszwang des unbewußten Es] と等価)。特に愛であればいっそうそうである。 |
忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを。[N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour] (Lacan, S9, 21 Mars 1962) |
愛の条件は、初期幼児期のリビドーの固着が原因となっている[Liebesbedingung (…) welche eine frühzeitige Fixierung der Libido verschuldet]( フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に見られる若干の神経症的機制について』1922年) |
愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである[L'amour est donc toujours répétition, (…) Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour.] (David Halfon,「愛の迷宮Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015) |
何度も掲げているが、愛の条件の固着とはプルーストの肉体の傷と等置できる、ーー《ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける[Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. ]》(プルースト「逃げ去る女」) さらにーーこれも何度も掲げているがーー、ニーチェの自己固有の出来事はフロイトの「トラウマ=自己身体の出来事=固着」と等置しうる。 |
人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する自己固有の出来事を持っている[Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.](ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年) |
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我への傷である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs] 〔・・・〕 このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ] この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |