中期以降のフロイトの抑圧は、前期フロイトの抑圧された願望[verdrängte Wünsche]や抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen]等々とは違うんだよ、例えば最後のフロイトはこう言ってるんだからさ。 |
抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは叙述する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年) |
つまり抑圧されたものの回帰はトラウマの回帰だよ。もっともここでの抑圧は中期フロイトの原抑圧だけれど[参照:原抑圧と後期抑圧]。ある時期以降のフロイトはほとんどの場合、原抑圧を抑圧としか言っていない。それさえおさえておけば、抑圧されたものの回帰はまがいようもなくトラウマの回帰だね。 もともとトラウマは抑圧されている。 |
初期のトラウマの刻印は、前意識に翻訳されないか、抑圧によってすばやくエス状態に戻される[Die Eindrücke der frühen Traumen, von denen wir ausgegangen sind, werden entweder nicht ins Vorbewußte übersetzt oder bald durch die Verdrängung in den Eszustand zurückversetzt.](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年) |
だがその抑圧されたトラウマは回帰する。 |
結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年) |
《トラウマ的不安状況》とあるが、これは冗語法であり、フロイトにとって不安自体がトラウマ。 |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
で、不安とは不快のこと。 |
不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
不快が抑圧されるのは当然。 |
抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年) |
以上、どこをどうこねくりまわしても(原)抑圧されたものの回帰はトラウマの回帰。 |
ラカンの享楽の回帰自体、トラウマの回帰だよ。 |
反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
「お嬢さん向けーー欲動享楽対照表」で示したように、ラカンの享楽は不快かつトラウマの穴なんだから。 |
不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970) |
享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
すなわち、《享楽はトラウマの審級にある[la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011) |
したがって、享楽の回帰[Retour de la jouissance] =トラウマの回帰[Retour du traumatisme]であり、これが原抑圧されたものの回帰。 |
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
このあたりを明瞭化していない日本フロイト派やラカン派の問題が大いにあるんだけどさ。何やってんだろうな、あいつら? ウクライナ紛争での国際政治学者並にトロいんじゃないかね。
……………
※付記 |
不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの』第3章、1919年) |
つまり不気味なものの回帰は抑圧されたものの回帰だ。 |
で、不気味なものは異者(異者としての身体)と等価。 |
不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要) |
これはラカンも指摘している、 |
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974 |
われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976) |
で、異者としての身体はトラウマ。 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する。これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。 das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz … leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
要するに「抑圧されたものの回帰=不気味なものの回帰=異者のレミニサンス」はトラウマの回帰であり、これが晩年のラカンの現実界の定義。 |
私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、レミニサンスと呼ばれるものによって。レミニサンスは想起とは異なる[Je considère que …le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. …Disons que c'est un forçage. …c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence. …la réminiscence est distincte de la remémoration] (Lacan, S23, 13 Avril 1976、摘要) |
このように抑圧されたものの回帰がトラウマの回帰であることを遠回しに示す文は、フロイトラカンにはいくらでもある。