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2023年9月23日土曜日

リシャールの「テーマ批評=固着の反復分析」


愛の技法と固着の反復(リシャールと蓮實重彦)」で引用したことがあるけどさ


蓮實)文学的にいって僕が進んで影響を受けた人物は二人しかいない。これは隠すまでもないし、しばしば公言していることですが、言葉やイメージにどう接近するかという姿勢において快いモデルとして、ジャン・ピエール・リシャールとアンリ・フォシオンを持っている。問題のたて方とか、方法論といった問題ではなく、対象としての言葉をどう愛撫するかという愛の技法を学んだのです。(柄谷行人-蓮實重彦対談集『闘争のエチカ』1988年)


蓮實の方法はジャン=ピエール・リシャールのテーマ批評のところがあるんだよ、とくに夏目漱石論なんかはテキメンにそうだね。


で、テーマ批評は固着の反復分析らしいよ。


リシャールの批評は「テーマ批評」と呼ばれるが、この場合の「テーマ」とは作品の主題とか主張という意味ではなく、固着観念のように作品に繰りかえし登場する無意識的なテーマを意味する。本質的な作家は固着観念にとり憑かれているものだが、その固着観念を拾いだし、固着観念間のネットワークをあぶりだすために、従来見すごされてきた周縁的な作品まで含めて、あらゆるジャンルの作品を横断的に引照し、引用のパッチワークを作り上げる。(書評:加藤弘一 『マラルメの想像的宇宙』 ジャン=ピエール・リシャール



最近はリシャールの批評は流行らないようで、ネット上でさっと検索する限りでは、リシャール自身からの引用には行き当たらないが、テキトウに訳すならばざっとこんなこと言ってるね。


テーマは組織の具体的原理、体系あるいは固着化された対象となり、それを中心に世界が構成され展開される傾向がある。マラルメにおいて本質的なものは、彼が語るこの秘密の血族関係であり、隠された同一性ーー最も多様な覆いのもとで検出されなければならないものーーである。テーマの同一化は、回帰の特徴に従って遂行されるのが最も一般的である。つまり作品の主要テーマ、そも不可視の建築を形成するもの、そしてその構成への鍵を与えることができるもの、これらは最も頻繁に展開されるが、それに可視の例外的頻度で遭遇する。他の場合と同様に、ここでの反復はとり憑かれた観念のシグナルである。

Un thème serait alors un principe concret d’organisation, un schème ou un objet fixes, autour duquel aurait tendance à se constituer et à se déployer un monde. L’essentiel, en lui, c’est cette parenté secrète dont parle Mallarmé, cette identité cachée qu’il s’agira de déceler sous les enveloppes les plus diverses. Le repérage des thèmes s’effectue le plus ordinairement d’après le critère de récurrence : les thèmes majeurs d’une œuvre, ceux qui en forment l’invisible architecture, et qui doivent pouvoir nous livrer la clef de son organisation, ce sont ceux qui s’y trouvent développés le plus souvent, qui s’y rencontrent avec une fréquence visible, exceptionnelle. La répétition, ici comme ailleurs, signale l’obsession.  (Jean-Pierre Richard, L’Univers imaginaire de Mallarmé, 1961)


人生、愛が固着点を失った痛み溢れる瞬間。この危機がもたらす結果はただ一つである。それは新しい愛の固着点の選択だ。私たちは、古いあなたがもはや輝かせることができなかった存在であるという焦点を、新しい女性、別のあなたに転移させる。

Moment douloureux où la vie, l'amour ont perdu leur point de fixation. Cette crise ne peut alors comporter qu'une issue: le choix d'un nouveau point amoureux de fixation. On transférera sur une nouvelle femme, un autre toi, le foyer d'être que l'ancien toi ne parvenait plus à faire rayonner (JEAN-PIERRE RICHARD, 

ONZE ÉTUDES SUR LA POÉSIE MODERNE 1981)



固着の反復やら固着点やらと言っていて、さて、前回示したラカンの「「対象aは固着点」が意味すること」にジカに当てはまると言うつもりはないが、とはいえほぼ当てはまるだろうよ、固着分析に。


どうだい、やってみたら? 例えば坂口安吾とか中上健次とかは、蚊居肢散人がざっと掠め読みする範囲でも、固着の反復が実に頻繁にあるな。ラカン派語彙なら現実界の症状であるサントームの反復、享楽の反復が。



われわれは言うことができる、サントームは固着の反復だと。サントームは反復プラス固着である[On peut dire que le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)

サントームという享楽自体[ la jouissance propre du sinthome] (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008)


分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る[Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation]. ( J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、2011)

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


批評において最も重要なのは、チョロい欲望分析に陥らないことだね。最近の批評家はそんなのばかりだけど。


享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である。La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)

人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する。Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)




蓮實は既に1988年時点で、批評家は多摩川の二軍選手だと言ってるけどさ、


知識も基礎学力もない人たちが、こうまで簡単に批評家になれるとはどういうことですかね。最近の文芸雑誌をパラパラと見ていると、何だか多摩川の二軍選手たちが一軍の試合で主役を張っているような恥ずかしさがあるでしょう。ごく単純に十年早いぞって人が平気で後楽園のマウンドに立っている。要するに芸がなくてもやっていけるわけで、こういう人たちが変な自信をまでもっちゃった。(柄谷行人蓮實重彦対談集『闘争のエチカ』1988年)


21世紀という知的退行の世紀の批評家は多摩川の二軍選手どころじゃないよ、中学校のソフトボールやってるような批評家ばっかり目につくね。


おい、わかるか? ソフトボール系の批評家引用して、安吾についてなんたら言ってこないでほしいんだがね。