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2023年9月24日日曜日

ああオレにはまったく向かないよ

 


もう勝負は決まったんだろ

あとはNATOが本格的に参入するか否かそれだけだよ

もともとロシアとNATOの戦争であり

ウクライナは駒に過ぎなかったとはいえさ


でも終わり方がわかんねえね

核戦争になるか否かだけかもな

西側首脳は負けたら「断頭台」イキだろうからな

連中は自分がそうなるくらいなら

世界の終わりを選択するんじゃないかね


ということはさておき

オレは政治運動には向かないね

敵の敵は味方ってのはひどく苦手なんだ

反NATO反米ネオコンでやってきたけどさ

でもこの「味方」にもチョロいヤツが多いね


すこしまえ伊藤貫の喋りをYouTubeで見たけどさ

チョロいね根のところではとっても

もっとも九割がたは「正しい」こと言ってんだけどさ

ツイッター社交界で最も信頼してきた情報提供者JSATOくん

彼もやっぱチョロいとこがあるな


で何がチョロいかってのを「安易に」言い出すと

オレのチョロさが赤裸々になるからな

最近は「抑圧」してんだよ

健康に悪いな抑えつけるのは


人にはみなチョロいとこがあるのを認めないとな

それを見出したときでも当面黙っているのが政治活動じゃないかね

これがとっても苦手なんだな

ああオレにはまったく向かないよ



およそあらゆる人間の運命のうち最も苛酷な不幸は、地上の権力者が同時に第一級の人物ではないことだ。そのとき一切は虚偽となり、ゆがんだもの、奇怪なものとなる。


権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ!」とーー。

〔・・・〕

ああ、あの絶叫漢、文筆の青蝿、小商人の悪臭、野心の悪あがき、くさい息、…ああ、たまらない厭わしさだ、賤民のあいだに生きることは。…ああ、嘔気、嘔気、嘔気!

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「王たちとの会話」1885年)



ーーだな、あれら敵の敵は。

で、あの連中に言ったって無駄だしな



最後に、わたしの天性のもうひとつの特徴をここで暗示することを許していただけるだろうか? これがあるために、わたしは人との交際において少なからず難渋するのである。すなわち、わたしには、潔癖の本能がまったく不気味なほど鋭敏に備わっているのである。それゆえ、わたしは、どんな人と会っても、その人の魂の近辺――とでもいおうか?――もしくは、その人の魂の最奥のもの、「内臓」とでもいうべきものを、生理的に知覚しーーかぎわけるのである……


わたしは、この鋭敏さを心理的触覚として、あらゆる秘密を探りあて、握ってしまう。その天性の底に、多くの汚れがひそんでいる人は少なくない。おそらく粗悪な血のせいだろうが、それが教育の上塗り(育ち)によって隠れている。


そういうものが、わたしには、ほとんど一度会っただけで、わかってしまうのだ。わたしの観察に誤りがないなら、わたしの潔癖性に不快の念を与えるように生れついた者たちの方でも、わたしが嘔吐感を催しそうになってがまんしていることを感づくらしい。だからとって、その連中の香りがよくなってくるわけではないのだが……(ニーチェ『この人を見よ』1888年)




世界は核戦争の瀬戸際だと言うローマ法王だって

必ずしも常にいいにおいがするわけじゃないよ