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2023年10月7日土曜日

空の扉が開いた先

 


テニスでひねった腰がまだ重いので今日は一日中ベットに寝転がって過ごした。


すこし前、本棚の奥から中上健次の『紀州』をかなり時間をかけて探し出したとき、ああこんなのもあったんだな、と黒井千次の『群棲』と田久保英夫の『海図』の文庫本にも行き当たり、取り出してあった。それをこの際読み返してみた。どちらも1980年代に上梓された短編連作であり、その時代の雰囲気が濃厚に醸し出されている小説だ。

両者とも今ではほとんど読まれていないんだろうが、私にはちょっとしたノスタルジー感を与えてくれる作品だったね。黒井千次1932年生まれ、田久保英夫1928年生まれであり、私の父母と同世代(父1926年、母1932年)ということもあるのだろう。


菅野昭正が次のように書いているようだが、当面の読後感とピッタリだな。


『箱庭』から『群棲』まで、産業社会化、消費社会が、加速度をつけて肥大しつづける歴史を刻んだほぼ二十年近い時間が流れるあいだに、都市生活者の日常の暮らしかたはすっかり様相を変えてしまった。隣近所との関係はおそろしく疎遠になりつつあるし、地域社会との結びつきはしだいに稀薄になりつつある。外部とのつながりが日に日に弱まってゆく趨勢のなかで、核家族の孤立を防ぐ防壁があろうはずはない。そしてまた孤立した核家族の内側では、両性の合意、夫婦の同権という法的擬制の効力がゆらぎ、家庭を保ちつづけてゆく協力の均衡が失われ、家族の絆がゆるむ危機がたえず待ちかまえている。外側の支える擬制の力を欠いた核家族という生活形態には、病理的なものに転化しやすいそういう症候群が潜在している。(菅野昭正「現代家庭小説考一黒井千次『群棲』をめぐって」(『小説を考える一変転する時代のなかで』1992年)




ネット上を検索すると黒井千次にはいくつか触れた論が落ちているのだが、田久保英夫はゼロだね。1985年から2000年まで芥川賞選考委員をやっていたにもかかわらず。こういったもんなんだな。


ここでは田久保英夫の『海図』を引用しよう。冒頭はこう始まる。



じっと黙っている気配がする。

ひらいた扉のむこう、食卓の椅子の背に手をかけて、動かずにいるか、流し台のまえで、水に濡らしたままの掌を、まるで他人の掌のように眺めているか、そんな宗子の姿勢まで眼に浮かぶ。

こうした沈黙の短い時間は、むこうとこっちの空気の間に、薄く光る髪剃りの刃のようなものが降りてくる気がする。

どんなに身近な肉親でも、他人でもそうだ。こんな時は、ふだんお互がどれほど遠くにいてわかり合えないか、知らずにいるのだ、と思えてくる。(田久保英夫「Ⅰ 海図」『海図』1985年) 



あァあるな、いやよくあったな、いやいやいまだってあるよ、この感覚、《むこうとこっちの空気の間に、薄く光る髪剃りの刃のようなものが降りてくる気がする》。


で、場合によっては次のような具合になる。


階段の踊り場まで下りた時だった。二階から声をかけても返事がないので、自分で水壜をとりに行くつもりで足が急いていた。

踊り場の下は階段の向きが直角に折れていて、あがり口が見えないのに、宗子が廊下を慌ててやってきて、昇りはじめたため、一瞬お互がつき当った。宗子は後へ足を踏みはずし、俯せに階段を落ちた。

大した段数ではない。しかし、踏み板のかどに、右の胸と肩を打ちつけて、あがり口に声も出ずに蹲った。

こちらは咄嗟に柱につかまって、何ともなかった。

腕を抱えて、軀を起してみると、宗子は小さく呻いてしまう。ことに右肩の痛みがひどい。……(田久保英夫「IV 凪」『海図』) 





六番目の 「草の路」もとってもいい、「空の扉が開く」なんて。しかも開いた先は「底なしの幽界」なんて。


誰も人の心には、多かれ少かれ狂いがある、とその時思った。 狂いの程度の見定めが難しいにしても、須見夫人だって例外ではない。

しかし、二階の窓ぎわの書卓で、階下の縁側のガラス扉を手荒くあけたてする音を聞くと、その方へつい気持がそれた。家の中には、家事を見てくれる須見夫人しかいない。 戸をあけては、そのままじっと静かに外を見ている気配で、また急に戸を閉める。それをくり返す。〔・・・〕


「あの空がいろんな色に見えるのは、空中の微粒子に光が何重にも反射するからですってね。」

須見夫人は頭上に、春の眩ゆい蒼さで晴れあがった空に眼をやった。

「私たちのいろんな考えも微粒子と同じで、その光に染まって人も物も見てるのね。そんな光を吹き払って、空の扉が開いたら、どうでしょう。」

夫人の声に、奥深い憧憬に似たものが響いているので、思わず顔を見た。 夫人を妙に女っぽく感じ、 「空の扉が開く」という言葉が鮮やかに耳にのこった。そこから現れるのは暗闇に似て、闇の色も形もない、空虚すら消えた底なしの幽界のように思えた。(田久保英夫「Ⅵ 草の路」『海図』) 



「死ぬ衝動」とか「父への固着」とか、おそらく意図せざるフロイト用語まで出てくるや。



「それで、夫人はどうしてる?」と訊いた。

「娘さんに附添ってもらってますが、近所の手前、家にもおけないし、行き場もないようで気の毒です。」

義父は黙って、フロントへ眼を戻した。

「須見の従妹はむかしからよく知ってるが、俺と同じで、自分の気持に限度というものを引けないんだ。あるいは見かけ以上に、生きる執着がつよくて、逆に自分や他人を壊しかねない。」

それでは死ぬ衝動と変りない、と思った。船や帆の製作にたいする、義父の極端な執着は見知っているが、そのために生命が危ういほど軀を酷使するなら、やはりそんな衝動が潜在しているのかも知れない。夫人の空へむけた深い憧憬の視線も、同じものなのだろうか。

「夫人を家へ寄こしなさい。」

令吉は前を見たまま、不意に低い声で言った。

「そうして宗子は、自分の家へ帰れ。」

「ええ?」

宗子は運転席から、驚いたらしく眼を見はって、ちらと振りむいた。

「そんな…..。また軀をわるくしちゃうわよ。どちらが面倒見るのかわからない。」

「いや、大丈夫だ。同病相憐れむ、一挙両得だよ。」

令吉はちょっと冗談ぽく、しかし、どこかつよい意志を籠めて言った。

一瞬、宗子は憤然としたような、救いをもとめるような眼を、バック・ミラーごしにこっちへむけたが、むしろ義父の考えは、案外、適切ではないか、と思った。夫人は気を使いすぎはしても、家事には有能だ。令吉の面倒をよく見てくれるに違いないし、この静かな高台には、夫人の神経を乱すようなものもない。何より宗子が戻ってくれれば、自分がたすかる。

こうした義父の判断には、いろいろな配慮が含まれているのを感じた。自分と宗子の中途半端な関係も、黙って認めてくれたような嬉しさに打たれた。この急な成行きに、宗子が父親を心配するのは無理もないが、 娘の意識の底には、 子どもの頃からの父への固着がぬけないような気がする。いつも父への懸念や世話にこだわり、何かにつけ横浜の家へ帰るのも、そんな無意識の依存心のせい、と思う時も あったので、今は宗子に言葉を返さなかった。たとえ抵抗されても、憎まれても、そんな癒着はたち切ってしまいたい。(田久保英夫「Ⅵ 草の路」『海図』1985年) 



フロイトの死の欲動はまずは自己破壊欲動であり、その投射として他者破壊欲動がある。さらに固着は反復強迫を引き起こすものであり、《われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.]》(フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)


この観点からは、上の田久保英夫の叙述はフロイト的にも「正しい」。