「反ユダヤ主義」の話を探っていたんだが、ここではその話題と外れて行き当たった文について言うが、リオタールはフロイトとプルーストの親和性を指摘してるんだな、しかもズバリ精神分析は失われた時を求める探究だ、と。
フロイト(とプルースト)の仮説…精神分析、つまり失われた時を求める探求は、文学のように、際限のないものになるほかはない。それも、歴史という名に値する歴史として、つまり歴史主義ではなくアムネーシスであるような歴史としてなのである。それは、忘却というものが記憶の欠落ではなく、つねに「現前している」が決して今-ここにはないあの記憶され得ぬものであり、習慣的な意識の時間に合っては、つねに早すぎると遅すぎるのあいだで引き裂かれるということを忘れはしない。心的装置にもたらされはするものの、感じずにいる第一撃の早すぎる時機と、何かが感じ取られ、耐えがたい思いのする第二撃の遅すぎる時機のあいだで、そこにあるのは、戦わずして傷つけられた魂ということなのである。(ジャン・リオタール『ハイデガーと「ユダヤ人」』本間邦雄訳) |
L'hypothèse freudienne (et proustienne)… La psychanalyse, la recherche du temps perdu, ne peut être, comme la littérature, qu'interminable. Et comme la véritable histoire, celle qui n'est pas historicisme, mais anamnèse. Qui n'oublie pas que l'oubli n'est pas une défaillance de la mémoire, mais l'immémorial toujours ‘présent', jamais ici-maintenant, toujours écartelé dans le temps de conscience, chronique, entre un trop tôt et un trop tard. – le trop tôt d'un premier coup porté à l'appareil qu'il ne ressent pas. , et le trop tard d'un deuxième coup où se fait sentir quelque chose d'intolérable. Une âme a frappé sans porter un coup. (Jean-François Lyotard, Heidegger et les Juifs, 1988) |
なんで誰も言わないんだろう、と思ってたのだが、このリオタールは私に言わせればドンピシャだね、敢えて言ってしまえば、プルーストのレミニサンスってのは精神分析の症例報告みたいなもんだよ。➡︎「抑圧されたものの回帰=失われた時のレミニサンス」
もっともドゥルーズ&ガタリはこう言っている[参照]。 |
口の中にマドレーヌをころがす話者、その繰り返し、無意志的回想のブラックホール[Le narrateur mâchouille sa madeleine : redondance, trou noir du souvenir involontaire](ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「零年ーー顔貌性」1980年) |
ここにあるブラックホールをトラウマ=喪失に翻訳すれば、無意志的回想とは、失われた時の回帰=抑圧されたものの回帰となる。 |
つまりフロイトにおける不快=トラウマ=対象の喪失を念頭に置けば。 |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
自我が導入する最初の不安条件は、対象の喪失と等価である[Die erste Angstbedingung, die das Ich selbst einführt, ist(…) die der des Objektverlustes gleichgestellt wird. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年) |
何はともあれ、フロイトにとってすべての症状は、抑圧された幼児期のトラウマ的出来事の回帰に関わり、これが事実上、失われた時のレミニサンスだ。 |
症状形成の全ての現象は「抑圧されたものの回帰」として正しく記しうる。Alle Phänomene der Symptombildung können mit gutem Recht als »Wiederkehr des Verdrängten« beschrieben werden. (フロイト『モーセと一神教』3.2.6、1939年) |
幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ。 die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben,(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |