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2023年12月28日木曜日

この3年のあいだの「インテリのケッタイさの赤裸々の露顕」

 

今年ももうすぐ終わりだが、しかし2020年代に入って、実に反主流メディアの情報を探ったよ。人生でこんなに熱心にそうしたのは初めてだね。


ワクチンなる生物兵器戦争、宇露戦争、イスラエルのガザジェノサイドと立て続けに戦争が起こって、いわゆるインテリのケッタイさが赤裸々に露顕したからな。


フロイトは第一次世界大戦勃発の半年後に書かれた『戦争と死に関する時評』で、次のように言ってるけどね。


・・・しかし、我々の同胞である世界市民には、我々に大きな苦痛を与えた倫理的高みからの転落に劣らず、我々を驚かせショックを与えたもうひとつの症状がある。

Vielleicht hat uns aber ein anderes Symptom bei unseren Weltmitbürgern nicht weniger überrascht und geschreckt als das so schmerzlich empfundene Herabsinken von ihrer ethischen Höhe.

私が念頭に置いているのは、最も優れた知性をもつ人々によって示された洞察力の欠如、頑迷さ、極めて説得力のある議論にさえ耳を貸そうとしない傾向、そして容易に論破出来る議論にさえ無批判的に追随する傾向である。

Ich meine die Einsichtslosigkeit, die sich bei den besten Köpfen zeigt, ihre Verstocktheit, Unzugänglichkeit gegen die eindringlichsten Argumente, ihre kritiklose Leichtgläubigkeit für die anfechtbarsten Behauptungen. (フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)


まさにこの《洞察力の欠如、頑迷さ、極めて説得力のある議論にさえ耳を貸そうとしない傾向、そして容易に論破出来る議論にさえ無批判的に追随する傾向》をもった医学者、国際政治学者、インテリが跳梁跋扈した3年だったね。


こうもあるな。


今回の戦争が私たちの同胞の最良の人々の間で呼び起こした論理的な妄想は、二次的な現象であり、感情的興奮の結果である。Die logische Verblendung, die dieser Krieg oft gerade bei den besten unserer Mitbürger hervorgezaubert hat, ist also ein sekundäres Phänomen, eine Folge der Gefühlserregung, (フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)


この『戦争と死に関する時評』は後の『集団心理学と自我の分析』や『ある幻想の未来』の次の記述の先駆けだね。



集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動[Affektivität]は異常にたかまり、彼の知的活動[intellektuelle Leistung] はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止 [Triebhemmungen]が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理[Massenpsychologie]の根本事実である原集団における情動興奮と思考制止 [der Affektsteigerung und der Denkhemmung]という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年)

集団は怠惰で短視眼である。集団は、欲動を断念することを好まず、いくら道理を説いてもその必要性など納得するものではなく、かえって、たがいに嗾しかけあっては、したい放題をする。denn die Massen sind träge und einsichtslos, sie lieben den Triebverzicht nicht, sind durch Argumente nicht von dessen Unvermeidlichkeit zu überzeugen, und ihre Individuen bestärken einander im Gewährenlassen ihrer Zügellosigkeit. (フロイト『ある幻想の未来 Die Zukunft einer Illusion』第1章、1927年)


まさにこうなったんだよな。


あるいはーー、

集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。Die Masse ist außerordentlich beeinflußbar und leichtgläubig, sie ist kritiklos〔・・・〕

集団にはたらきかけようと思う者は、自分の論拠を論理的に組みたてる必要は毛頭ない。きわめて強烈なイメージをつかって描写し、誇張し、そしていつも同じことを繰り返せばよい。Wer auf sie wirken will, bedarf keiner logischen Abmessung seiner Argumente, er muß in den kräftigsten Bildern malen, übertreiben und immer das gleiche wiederholen.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章、1921年)



で、どうして人はこうなるのかといえば、フロイトは戦争は退行を生み出す力だと言ってるね。



心的発達において、すべての初期の発達段階は、そこから生じた後の段階と並行して存続する。ここでの継承には共存も含まれるが、一連の変容全体が同じ素材に対して適用されている。より初期の心的状態は長いあいだ現れないかもしれないが、それにも拘らず現前しており、いつでも心的力の表現様式となり、あたかもすべての後の発達が無効にされたり取り消されたりするかのように実に唯一の状態になりうる。

seelischen Entwicklung…daß jede frühere Entwicklungsstufe neben der späteren, die aus ihr geworden ist, erhalten bleibt; die Sukzession bedingt eine Koexistenz mit, obwohl es doch dieselben Materialien sind, an denen die ganze Reihenfolge von Veränderungen abgelaufen ist. Der frühere seelische Zustand mag sich jahrelang nicht geäußert haben, er bleibt doch soweit bestehen, daß er eines Tages wiederum die Äußerungsform der seelischen Kräfte werden kann, und zwar die einzige, als ob alle späteren Entwicklungen annulliert, rückgängig gemacht worden wären.

心的発達のこの並外れた可塑性は方向性に関しては制限がないわけではない。それは特殊な退行作用[besondere Fähigkeit zur Rückbildung – Regression –]として説明しうる。というのは、後のより高次な段階が一旦放棄されると再び取り返せない事態がとしばしば起こるから。しかし原初の段階へはいつでも戻りうる。原初の心的状態は、言葉の十全な意味で、不滅である。

Diese außerordentliche Plastizität der seelischen Entwicklungen ist in ihrer Richtung nicht unbeschränkt; man kann sie als eine besondere Fähigkeit zur Rückbildung – Regression – bezeichnen, denn es kommt wohl vor, daß eine spätere und höhere Entwicklungsstufe, die verlassen wurde, nicht wieder erreicht werden kann. Aber die primitiven Zustände können immer wieder hergestellt werden; das primitive Seelische ist im vollsten Sinne unvergänglich.


精神疾患と呼ばれるものは、一般の人には知的生や心的生が破壊されているという印象を必然的に与える。だが実際には、破壊は後に獲得されたものや発達にのみ適用される。精神疾患の本質は、情動的生と機能が以前の状態に回帰することにある。

Die sogenannten Geisteskrankheiten müssen beim Laien den Eindruck hervorrufen, daß das Geistes- und Seelenleben der Zerstörung anheimgefallen sei. In Wirklichkeit betrifft die Zerstörung nur spätere Erwerbungen und Entwicklungen. Das Wesen der Geisteskrankheit besteht in der Rückkehr zu früheren Zuständen des Affektlebens und der Funktion.


したがって、文化に対する我々の感受性の基礎となる欲動の変容も、人生の影響によって永久的または一時的に取り消される可能性がある。戦争の影響は、このような退行を生み出す力のうちのひとつであることは疑いない。

Es kann also auch die Triebumbildung, auf welcher unsere Kultureignung beruht, durch Einwirkungen des Lebens – dauernd oder zeitweilig – rückgängig gemacht werden. Ohne Zweifel gehören die Einflüsse des Krieges zu den Mächten, welche solche Rückbildung erzeugen können

(フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)



どうだろうな、一般大衆はもとより、あれらインテリたちの「精神疾患」をこれ以上巧みに説明する仕方があるかい?


ま、発達過程の上覆いが取れて下部が露出したんだよ、これ自体、ニーチェが既に似たようなことを言っているけどさ。


性欲動の発達としての同情と人類愛。復讐欲動の発達としての正義[Mitleid und Liebe zur Menschheit als Entwicklung des Geschlechtstriebes. Gerechtigkeit als Entwicklung des Rachetriebes. ](ニーチェ「力への意志」遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )



ニーチェのいう性欲動も復讐欲動もフロイト用語のリビドーだが、臨床的には退行とは幼児期のリビドーの固着(欲動の固着)への退行であり、これが戦争によっても起こるわけだ。


リビドーは固着によって退行の道に誘い込まれる[Auf den Weg der Regression wird die Libido durch die Fixierung gelockt](フロイト『精神分析入門」第22講、1917年)

固着と退行は互いに独立していないと考えるのが妥当である。発達の過程での固着が強ければ強いほど、その機能はその固着へ退行することで外部の困難を回避しやすくなる[Es liegt uns nahe anzunehmen, daß Fixierung und Regression nicht unabhängig voneinander sind. Je stärker die Fixierungen auf dem Entwicklungsweg, desto eher wird die Funktion den äußeren Schwierigkeiten durch Regression bis zu jenen Fixierungen ausweichen](フロイト『精神分析入門」第22講、1917年)


幼児期のリビドーの固着[infantilen Fixierung der Libido]( フロイト『性理論三篇』1905年)

幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年)


ま、ニーチェのいう同情・人類愛・正義、フロイトのいう倫理的高みがどこかに行ってしまって幼児期の固着へ退行してしまうというのが戦争の「効果」だということだな。



で、この「固着への退行」の別名が厳密な意味での「抑圧されたものの回帰」だよ。


抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰 。この侵入は固着点から始まる。これはリビドー的展開の固着点への退行を意味する。

…des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen. Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. (フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年)


ツイッターなんか見ると「囀る抑圧されたものの回帰」ばかりが目について呆れ返るしかないね。


と記したら思い起こしたな、さる人物の「幼児期の固着への退行」に居直ったかのような写真を。




ツイッター社交界は彼をトッテモお好きだったんだろうなァ、まさにこの実践者だったからなァ。


集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。Die Masse ist außerordentlich beeinflußbar und leichtgläubig, sie ist kritiklos〔・・・〕

集団にはたらきかけようと思う者は、自分の論拠を論理的に組みたてる必要は毛頭ない。きわめて強烈なイメージをつかって描写し、誇張し、そしていつも同じことを繰り返せばよい。Wer auf sie wirken will, bedarf keiner logischen Abmessung seiner Argumente, er muß in den kräftigsten Bildern malen, übertreiben und immer das gleiche wiederholen.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章、1921年)


でも、カレの信者をバカにしたらダメなんだよな。これからもいつでも起こる事態なんだ、アレは。せいぜい気をつけないとな、ウクライナキャラの次は台湾キャラがもうすぐ出てくるから。ーーなどと言ってもムダなのはよく知ってるさ、ムラ社会民には。



労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)


強迫的な農耕社会…彼らの大間題の不認識、とくに木村の post festum(事後=あとの祭)的な構えのゆえに、思わぬ破局に足を踏み入れてなお気づかず、彼らには得意の小破局の再建を「七転び八起き」と反復することはできるとしても、「大破局は目に見えない」という奇妙な盲点を彼らが持ちつづけることに変わりはない。そこで積極的な者ほど、盲目的な勤勉努力の果てに「レミング的悲劇」を起こすおそれがある--この小動物は時に、先の者の尾に盲目的に従って大群となって前進し、海に溺れてなお気づかぬという。(中井久夫『分裂病と人類』第1章、1982年)

国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」2005年『樹をみつめて』所収)


そうそう、「大破局は目に見えない」戦争による退行者は、おみこしの熱狂が過ぎたあとは、《誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている》のさ。これが木村敏のpost festum(あとの祭)効果だよ、戦争は祭のひとつに相違ないからな。ーー《戦争はそれなりに人類の祝祭なのである》(木村敏『時間と自己』1982年)


でもなんだろうな、最近アキラメ感に襲われることがままあるのだがね、人間はもともとこういうもので抵抗しようがないなって気分だけどね。よくない傾向だなァ、これ。



フロイトはエライなあ、しつこく「知性のつぶやき」し続けて。


知性が欲動生活に比べて無力だ[der menschliche Intellekt sei kraftlos im Vergleich zum menschlichen Triebleben]ということをいくら強調しようと、またそれがいかに正しいことであろうと――この知性の弱さは一種独特のものなのだ。なるほど、知性の声は弱々しい [die Stimme des Intellekts ist leise]。けれども、この知性の声は、聞き入れられるまではつぶやきを止めない [aber sie ruht nicht, ehe sie sich Gehör geschafft hat]。しかも、何度か黙殺されたあと、結局は聞き入れられるのである [Am Ende, nach unzählig oft wiederholten Abweisungen, findet sie es doch]。

これは、われわれが人類の将来について楽観的でありうる数少ない理由の一つであるが、このこと自体も少なからぬ意味を持っている。なぜなら、これを手がかりに、われわれはそのほかにもいろいろの希望を持ちうるのだから。なるほど、知性の優位は遠い遠い未来にしか実現しないであろうが、しかしそれも、おそらく無限の未来のことというわけではない[Der Primat des Intellekts liegt gewiß in weiter, weiter, aber wahrscheinlich doch nicht in unendlicher Ferne.](フロイト『ある錯覚の未来』第10章1927年)


ボクはどうも欲動生活への退行のほうが向いているほうだなあ


最近とくにしばしば家に帰りたくなるからなあ

幼児期への退行(極端な場合、母胎への退行、つまり現在おびやかされている危険からまもられていた時代への退行)[Regression in die Kinderjahre (im extremen Fall bis in den Mutterleib, in Zeiten, in denen man gegen die heute drohenden Gefahren geschützt war)](フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)

家は母胎の代用品である。最初の住まい、おそらく人間がいまなお渇望し、安全でとても居心地のよかった母胎の代用品である[das Wohnhaus ein Ersatz für den Mutterleib, die erste, wahrscheinlich noch immer ersehnte Behausung, in der man sicher war und sich so wohl fühlte. ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第3章、1930年)


ああオバカなこと書いちまったなあ、「欲動のつぶやき」なんかしてしまって。



人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)