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2023年12月1日金曜日

小さい尻をした蕎麦屋の娘と菫の花の鉢

 

蓮實重彦の「ドリップ・フィルターと裸のお尻の割れ目」をめぐる「些事のこだわり」を読んで思い出しちゃったよ、粕谷栄市の「色が白くて小さい尻をした蕎麦屋の娘」の話を。 



西片町  粕谷栄市


 夏の日、涼しい縁側で、片肘をついて、寝転んでいた

い。久しぶりに、おふくろのいる家に戻って、何もしな

いで、ゆっくりしていたい。


 一人前の左官職人になって、間もない私は、その日は、

仕事の休みの日だ。何もすることがないし、したいこと

もない。ただ、ぼんやり、横になって、片肘をつき、垣

根に咲いている、青い朝顔の花を眺めていたいのだ。


 考えていることといえば、まだ、よく知らない娘のこ

とだ。娘は、たしか、自分と同い年で、片西町の蕎麦屋

につとめている。色が白くて、小さい尻をしている。


 思えば、この私には、一生、そんな日はないのだけれ

ど。夢のなかの西片町の蕎麦屋に行くこともないのだけ

れど。もう、とっくに死んでいて、どこかの寺の墓石の

下で、若い左官屋の幻をみているのだけだけれど。



いいなあ、こういった詩に触れると人生間違ったなと思っちゃうよ、


粕谷栄市は今年、ぼくは肉体労働をしている人しか信用できないところがあって、」と言ってるそうだけどさ(参照)、1934年生まれだから、89歳なんだよな。


今からでもいいから肉体労働しっかりしようかね、最近庭いじりをして一枚25キロの花崗岩の敷石を10枚ほど動かしたところだけど、菫の花の鉢だっていいんだよな




小さな花 粕谷栄市

 この世の日々をよく生きるためには、どんなささやか
なものでもいい、何かしら楽しみを持つことだ。


 誰もが、そう思うだろう。特に、心に悩みがあって、
苦しい暮らしを過ごしている者には、一層、それが、必
要だと言える。


 だが、そのような人々に限って、そのための自由な時
間がない。それでも、何とか、努力して、それを見つけ
て、悦びを得ている男を、私は知っている。もちろん、
誰も気づかないような、ささやかな楽しみだ。


 一度だけ、短い夢のなかで、私は、菫の花の鉢を抱え
て、笑っている彼のすがたを見た。


 おそらく、死ぬまで、私が、それを忘れないだろう。
彼は、本当に、楽しそうだった。深く、心に残ることは、
夢のなかにあるということだろうか。


ーー『楽園』所収(思潮社、2023年10月25日発行)



ゴダール、映画史 1A



お尻ってのは眺めるだけじゃね、やっぱり抱えて菫の匂いを嗅がないと。



小津安二郎、秋刀魚の味




けやきの木の小路を

よこぎる女のひとの

またのはこびの

青白い

終りを

⋯⋯

路ばたにマンダラゲが咲く


ーー西脇順三郎『禮記』