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2023年12月19日火曜日

健康のための嘲弄ーーウィニコットフォーラムの特別講演

 

抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。Der Einwand, der Seitensprung, das froehliche Misstrauen, die Spottlust sind Anzeichen der Gesundheit: alles Unbedingte gehoert in die Pathologie.(ニーチェ『善悪の彼岸』154番、1886年)



いやあ、健康のためにとっても役立つ京都大学のセンセのブログを偶然に見ちゃったな



ウィニコットとトラウマ 1 岡野憲一郎 2023年12月13日水曜日

ウィニコットフォーラム(2023年11月23日)の特別講演として「解離とトラウマに関してウィニコットが提起したこと」というテーマでお話をする。

 今回のフォーラムのテーマは「外傷について」である。そしてウィニコットがトラウマについてどの様なことを言っているかを論じて欲しいというのが、企画者の加茂先生からのリクエストであった。もちろんこれについては論じるべきことが沢山ある。何しろウィニコットはれっきとしたトラウマ論者だったからだ。〔・・・〕


ウィニコットとトラウマ 2 岡野憲一郎 2023年12月14日木曜日

さて私のこの発表の要旨を述べるならば、以下のようになる。ウィニコットの関心はフロイトの無意識、抑圧、死の欲動などの概念から離れ、幼少時における養育者との間に生じるトラウマ(「愛着トラウマ」、A.ショア)や解離へと向けられていった。ウィニコット理論は基本的にトラウマ理論として読むことが出来るであろう。この見方は私にとってはごく自然なのであるが、みなさんにとってはあまり馴染みがないかも知れない。というのもこの見方はかなりフロイトに対する挑戦的な態度というニュアンスを与えるからだ。しかしウィニコットの文章をこの文脈で読めば読むほど、彼が様々な表現の仕方を用いて、フロイトの向こうを張ってる、特にフロイトのリビドー論に対するアンチテーゼを唱えているように読めるからだ。



ボクはウィニコットフォーラムにもこのセンセにも何の怨みもないが、この発言が受け入れられているのなら、まさに、学者集団の「共有された無知」を通した結束という以外言いようがないね。


《ウィニコットの関心はフロイトの無意識、抑圧、死の欲動などの概念から離れ、幼少時における養育者との間に生じるトラウマ(「愛着トラウマ」、A.ショア)や解離へと向けられていった》


ーーこれはいくらなんでもやっぱり嘲弄しとかないとな。



①「解離」って抑圧のことだよ、まず。


精神分析は、心的解離の起源(ジャネもその重要性を認識していた)を、先天的な障害による心的統合の失敗ではなく、抑圧[Verdrängung]と呼ばれる特別な心的プロセスに求めている。(フロイト『精神分析について』1911年)

Psycho-analysis …it ascribed the origin of psychical dissociation [seelischen Dissoziation](whose importance had been recognized by Janet as well) not to a failure of mental synthesis resulting from a congenital disability, but to a special psychical process known as ‘repression' (‘Verdrängung'). (Freud, ‘On Psycho-Analysis' [in English]Transactions of the Ninth Session, held in Sydney, New South Wales, Sept. 1911)




②で、「幼少時における養育者との間に生じるトラウマ」って固着(愛の固着)ーー《母へのエロス的固着[erotischen Fixierung an die Mutter]》(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)ーーのことだよ、



初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen].(フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)

われわれの研究が示すのは、神経症の現象 (症状)は、或る出来事と印象(刻印)の結果だという事である。したがってそれを病因的トラウマと見なす。Es hat sich für unsere Forschung herausgestellt, daß das, was wir die Phänomene (Symptome) einer Neurose heißen, die Folgen von gewissen Erlebnissen und Eindrücken sind, die wir eben darum als ätiologische Traumen anerkennen.〔・・・〕

この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる。

ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an〔・・・〕


トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕


このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)



③で、上に固着の反復強迫とあるが、これが死の欲動で無意識だよ


われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)

無意識のエスの反復強迫[der Wiederholungszwang des unbewußten Es]

(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)



いやあシツレイながら救いようがないな、あの無知ぶりは。


ま、でも精神科医や臨床心理療法士ってのは、理論的にはトンデモでも患者に寄り添って治療したらいいんだから、治療に専念したほうがいいじゃないかね、理論的な話はもう諦めてさ。



※附記


そもそもフロイトの欲動ってのはトラウマ化されてるんだ、幼児期に。


幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年)

トラウマ的固着[traumatischen Fixierung](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)


ーーこの固着が第一次抑圧だ、《抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«.]》(フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)


で、欲動自体が反復強迫するものであり、だから先に示したように欲動自体が事実上死の欲動なんだ。フロイトの表面に出ている欲動二元論(エロスとタナトス)ってのは仮の姿で、少しまともに読み込めば、ラカンの言う通り欲動一元論になる。


すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort](Lacan, E848, 1966年)

タナトスの形式の下でのエロス [Eρως [Éros]…sous  la forme du Θάνατος [Tanathos] ](Lacan, S20, 20 Février 1973)


ここはちょっと難しいところだけどさ。通念に大きく反するから、巷間の「少しはまともな」フロイト学者もいまだほとんどわかってない。でも先のセンセのオハナシはそれどころじゃないね、とってもトンデルヨ