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2023年12月8日金曜日

統合失調症の底にあるトラウマ

 

私のトラウマへの関心は、もともとはフロイトやラカンではなく、まずは中井久夫の次の二文だよ、統合失調症つまり分裂病の底にはトラウマがあるのではないか、とする文だ。


治療はいつも成功するとは限らない。古い外傷を一見さらにと語る場合には、防衛の弱さを考える必要がある。〔・・・〕統合失調症患者の場合には、原外傷を語ることが治療に繋がるという勇気を私は持たない。


統合失調症患者だけではなく、私たちは、多くの場合に、二次的外傷の治療を行うことでよしとしなければならない。いや、二次的外傷の治療にはもう少し積極的な意義があって、玉突きのように原外傷の治療にもなっている可能性がある。そうでなければ、再演であるはずの二次的外傷が反復を脱して回復することはなかろう。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

統合失調症と外傷との関係は今も悩ましい問題である。そもそもPTSD概念はヴェトナム復員兵症候群の発見から始まり、カーディナーの研究をもとにして作られ、そして統合失調症と診断されていた多くの復員兵が20年以上たってからPTSDと再診断された。後追い的にレイプ後症候群との同一性がとりあげられたにすぎない。われわれは長期間虐待一般の受傷者に対する治療についてはなお手さぐりの状態である。複雑性PTSDの概念が保留になっているのは現状を端的に示す。いちおう2012年に予定されているDSM-Ⅴのためのアジェンダでも、PTSDについての論述は短く、主に文化的相違に触れているにすぎない。


しかし統合失調症の幼少期には外傷的体験が報告されていることが少なくない。それはPTSDの外傷の定義に合わないかもしれないが、小さなひびも、ある時ガラスを大きく割る原因とならないとも限らない。幼児心理において何が重大かはまたまだ探求しなければならない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)


あるいはスキゾイドつまり分裂病の人の記憶についてR.D.レインを引用しての次の記述。


(『引き裂かれた自己』の)レインが、 スキゾイドの人においては記憶が散弾のように刺さっているという意味のことを言うとき、彼は外傷性記憶の素因的側面を述べていることになるだろう。(中井久夫「発達的記憶論ーー外傷性記憶の位置づけを考えつつ」2002年)



ま、要するにトラウマへの関心の起源は母に関わるんだ。私の母は、記憶では6歳のとき、ひょっとすると5歳かもしれないが、分裂病と診断された。木村敏教授・中井久夫助教授の伝説の黄金時代以前の名市大にて。だが今から思えば、あれは明らかに外傷性戦争神経症だった。食事のときテレビニュースなどで戦争の場面がすこしでもあると、紅潮し身体を震わせ立ち去るかテレビを消す等々の出来事が頻繁にあったから。


誤診はしばしばあるらしいが。


外傷性記憶は〔・・・〕主に視覚的記憶が問題にされるが、実際はすべての感覚にわたって現われる。すでに述べたように、振動感覚は一九九五年の阪神・淡路大震災においてみられ、聴覚は幻聴となって統合失調症としばしば誤診されている。(中井久夫「発達的記憶論ーー外傷性記憶の位置づけを考えつつ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


今はトラウマをめぐるフロイトラカンに触れることが多いが、究極的に戻ってくるのは中井久夫の文章群だね。



私は外傷患者とわかった際には、①症状は精神病や神経症の症状が消えるようには消えないこと、②外傷以前に戻るということが外傷神経症の治癒ではないこと、それは過去の歴史を消せないのと同じことであり、かりに記憶を機械的に消去する方法が生じればファシズムなどに悪用される可能性があること、③しかし、症状の間隔が間遠になり、その衝撃力が減り、内容が恐ろしいものから退屈、矮小、滑稽なものになってきて、事件の人生における比重が減って、不愉快な一つのエピソードになってゆくなら、それは成功である。これが外傷神経症の治り方である。④今後の人生をいかに生きるかが、回復のために重要である。⑤薬物は多少の助けにはなるかもしれない。以上が、外傷としての初診の際に告げることである。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーー、一つの方針」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)