前回から引き続くが、理論的には次の文が決定的だったね、 |
外傷神経症〔・・・〕その主な防衛機制は何かというと、解離です。置換・象徴化・取り込み・体内化・内面化などのいろいろな防衛機制がありますが、私はそういう防衛機制と解離とを別にしたいと思います。非常に治療が違ってくるという臨床的理由からですが、もう少し理論化して解離とその他の防衛機制との違いは何かというと、防衛としての解離は言語以前ということです。〔・・・〕 サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいう解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
特に、言語以前の防衛としての解離=排除(「外に放り投げる」)とする箇所が。 |
この「外に放り投げる」という排除を、ラカンはハイデガー用語の外立[Ek-sistenz]を使って、次のように言った。 |
原抑圧の外立 [l'ex-sistence de l'Urverdrängt] (Lacan, S22, 08 Avril 1975) |
外立とは象徴界の言語の外に立つ、という意味であり、ーー《象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage]》(Lacan, S25, 10 Janvier 1978)ーー、中井久夫の日う排除(言語の「外に放り投げる」)と同一である。 つまり外立と排除は等価であり、原抑圧は排除である。 |
排除あるいは外立は同一である[terme de forclusion …ou d'ex-sistence…C'est le même.] (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011) |
原抑圧の名は排除と呼ばれる[le nom du refoulement primordial…s'appelle la forclusion](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008) |
で、ラカンは外立を穴、トラウマの穴とした。 |
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外立自体は穴をなすことと定義される[L'ex-sistence comme telle se définit,…- fait trou.](Lacan, S22, 17 Décembre 1974) |
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現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
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で、このトラウマの穴は身体ーー欲動の身体=享楽の身体ーーでもある。 |
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身体は穴である[(le) corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice) |
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欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
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享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
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つまり外立とは、トラウマ的欲動の身体が言語の外に立つということを意味する。 |
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これが排除としての原抑圧による現実界のトラウマである。 |
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
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外立の現実界がある [il a le Réel de l'ex-sistence] (Lacan, S22, 11 Février 1975) |
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[ le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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ま、ラカンジャーゴンだとまわりくどくなってややこしいが、繰り返せば、中井久夫の云う言語以前の防衛としての解離=排除(「外に放り投げる」)でいいんだよ、これがフロイトの原抑圧の核心だね。 フロイトにも《リビドー解離[Libidoablösung]》(『症例シュレーバー』第3章、1911年)という概念があるが、欲動=リビドーであり、つまり欲動解離。そしてこれが《排除された欲動 [verworfenen Trieb]》(『快原理の彼岸』第4章、1920年)のこと。
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さて、あとは中井久夫が触れていない固着概念がフロイトにはあるが、固着とはトラウマ的身体の出来事への固着、かつ欲動の身体のエスへの置き残しであり(参照:残滓=置き残し文献)、この固着ゆえに排除なる原抑圧が起こるということになる。 |
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ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。 The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年) |
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で、トラウマ的欲動の身体の別名は、邦訳では「異物」と訳されてきた「異者としての身体」である。
何はともあれ私のトラウマの捉え方は中井久夫から始まる。上に引用したポール・バーハウPaul Verhaegheを知ったのも、英語圏フロイトラカン派で最もトラウマと原抑圧に触れているからで、中井久夫を読んで、ラカン派はどんなこと言ってんだろ、と調べるなかで行き当たった。事実上、このバーハウを読んでからだな、フロイト・ラカンをいくらかマガオで読み始めたのは。 ……………
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