超自我の真の価値は欲動の主体である[ la vraie valeur du surmoi, c'est d'être le sujet de la pulsion. ](J.-A. Miller, LES DIVINS DETAILS, 17 MAI 1989) |
ジャック=アラン・ミレールはこういう風にあっさり言うのだが、ラカンをふつうに読んでいる限りではなかなかこう把握できないね。 たぶんラカンの次の発言群からのエキスなのだろうが、ミレールはラカンのどこからああいう風に結論したのかはそれほど示さない。 ◼️超自我=対象a=現実界=固着=異者身体=主体=穴(トラウマ)=欲動 |
私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。この対象aは現実界であり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a). …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rapport au surmoi : ](Lacan, S13, 09 Février 1966) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
この対象aは、主体にとって本質的なものであり、異者性によって徴付けられている[ ce (a), comme essentiel au sujet et comme marqué de cette étrangeté] (Lacan, S16, 14 Mai 1969) |
現実界のなかの穴は主体である[Un trou dans le réel, voilà le sujet]. (Lacan, S13, 15 Décembre 1965) |
現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
で、ラカン自身、フロイトのどこからこう導き出したのか、というのもはっきり示さない癖がある。たぶん次あたりからなんだろうと憶測しているが。
①異者身体=トラウマ=エスの欲動 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
②超自我=固着=エスへの置き残し=異者としての身体 |
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。 Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
①②より、超自我は固着の異者としての身体、つまりエスの欲動となるな。 |
とすればーー先日、退行をめぐっていくらか記したがーー、固着への退行は、超自我への退行[Regression zum Über-Ich]と言えそうだな、 |
前エディプス期の固着への退行はとても頻繁に起こる[Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; ](フロイト『続精神分析入門』第33講、1933年) |
さっと検索する範囲では、フロイトが超自我と退行を結びつけて記しているのは、この文しか行き当たらないね、 |
エディプスコンプレックスの崩壊はリビドーの退行的劣化を伴い、超自我は特に厳格で冷酷なものとなる[zur Zerstörung des Ödipus-Komplexes tritt die regressive Erniedrigung der Libido hinzu, das Über-Ich wird besonders strenge und lieblos](フロイト『制止、症状、不安』第5章、1926年) |
ちょっとこの文だけでは不満なんだが、ーーというのは次の文ともっとよりよく結びつけたいから。
特殊な退行作用[besondere Fähigkeit zur Rückbildung – Regression –]〔・・・〕戦争の影響は、このような退行を生み出す力のうちのひとつであることは疑いない[Ohne Zweifel gehören die Einflüsse des Krieges zu den Mächten, welche solche Rückbildung erzeugen können] |
(フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年) |
ここでは当面の備忘のみとして、いくらか曖昧なままにしておく。
とはいえ、超自我への退行ではなく、冒頭のミレールの定義にのっとり、欲動への退行あるいは「欲動の主体への退行」としたら、次のニーチェフロイトラカンの三幅対と戦争の暴力との関係がピッタリになる。
私は、ギリシャ人たちの最も強い本能、力への意志[stärksten Instinkt, den Willen zur Macht]を見てとり、彼らがこの「欲動の飼い馴らされていない暴力 [unbändigen Gewalt dieses Triebs]に戦慄するのを見てとった。ーー私は彼らのあらゆる制度が、彼らの内部にある爆発物に対して互いに身の安全を護るための保護手段から生じたものであることを見てとった。 Ich sah ihren stärksten Instinkt, den Willen zur Macht, ich sah sie zittern vor der unbändigen Gewalt dieses Triebs - ich sah alle ihre Institutionen wachsen aus Schutzmaßregeln, um sich voreinander gegen ihren inwendigen Explosivstoff sicher zu stellen.(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」第3節『偶然の黄昏』所収、1888) |
荒々しい、自我によって飼い馴らされていない欲動蠢動を満足させたことから生じる幸福感は、家畜化された欲動を満たしたのとは比較にならぬほど強烈である[Das Glücksgefühl bei Befriedigung einer wilden, vom Ich ungebändigten Triebregung ist unvergleichlich intensiver als das bei Sättigung eines gezähmten Triebes.] (フロイト『文化のなかの居心地の悪さ』第2章、1930年) |
欲動蠢動、この蠢動は刺激、無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである [la Triebregung …Regung est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute](ラカン, S10, 14 Novembre 1962) |