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2023年12月4日月曜日

抑圧された十字軍の回帰?

 


反ユダヤ主義はもともとはanti-Semitismだからな、「反セム族感情」であり、セム族は、ユダヤ人プラスアラブ人、つまりパレスチナ人もふくまれる。アンチセミティズムってのは、十字軍の「理念」だろ? 違ったっけな。

ま、集団的西側は抑圧されたものの回帰やってんだろ、強迫的に。抑圧された十字軍のね。


フロイトの言ってる通りだよ、


宗教現象は人類が構成する家族の太古時代に起こり遥か昔に忘れられた重大な出来事の回帰としてのみ理解されうる。そして、宗教現象はその強迫的特性をまさにこのような根源から得ているのであり、それゆえ、歴史的真実に則した宗教現象の内実の力が人間にかくも強く働きかけてくる[als Wiederkehren von längst vergessenen, bedeutsamen Vorgängen in der Urgeschichte der menschlichen Familie, daß sie ihren zwanghaften Charakter eben diesem Ursprung verdanken und also kraft ihres Gehalts an historischer Wahrheit auf die Menschen wirken. ](フロイト『モーセと一神教』3.1b  Vorbemerkung II )

先史時代に関する我々の説明を全体として信用できるものとして受け入れるならば、宗教的教義や儀式には二種類の要素が認められる。一方は、古い家族の歴史への固着とその残存であり、もう一方は、過去の復活(過去の回帰)、長い間隔をおいての忘れられたものの回帰である。

Nimmt man unsere Darstellung der Urgeschichte als im ganzen glaubwürdig an, so erkennt man in den religiösen Lehren und Riten zweierlei Elemente: einerseits Fixierungen an die alte Familiengeschichte und Überlebsel derselben, anderseits Wiederherstellungen des Vergangenen, Wiederkehren des Vergessenen nach langen Intervallen.   (フロイト『モーセと一神教』3.1.4  Anwendung)

忘れられたものは消去されず「抑圧された」だけである。Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年)


ま、これはいくらか牽強付会気味だとしてもさ、ネオコン軍産複合体なる戦争機械の仕業だけでは理解し難いな、あの集団的西側のアンチパレスチナなる冷酷無情な大量虐殺全面支援は。自国内のセム人移民にはEUの連中は長年苛立っているのは間違いないだろうしな。自国内のセム人を虐殺するわけにはいかないから外部のセム人虐待を支援するってのは典型的な投射機制だろうよ、投射自体、固着つまり抑圧に関わり抑圧されたものの回帰だ。


むかし次のメルケル記事を拾ったことがあるけどさ。



◼️ドイツはイスラム国家になるだろうーーアンジェラ・メルケル首相

Germany will become Islamic State-Angela Merkel

August 1, 2017 by Feroz

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、ドイツ人はイスラム教徒の移民がいかに国を変えてきたかを理解しておらず、いずれ教会よりモスクの数が多くなる時代が来るだろうと語った。


メルケル首相はフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙に対し、「わが国は変化し続けており、統合は移民に対処する社会の課題でもある」と述べた。

「私たちは何年もこのことについて自分自身を欺いてきた。例えば、モスクは以前よりも街の中で目立つ存在になっている」と付け加えた。


ドイツには400万~500万人のイスラム教徒がおり、出生率も高い。メルケル首相の発言は、他のヨーロッパ諸国と同様、ドイツがイスラム教の拠点となる運命にあることを初めて公式に認めたものである。

フランスでは、20歳以下の子どもの30%がイスラム教徒である。パリとマルセイユではその比率が45%にまで上昇している。南仏では、教会よりモスクの方が多い。


イギリスでは、この30年間でイスラム教徒の人口は8万2000人から250万人に増加した。現在、イギリス全土に1000以上のモスクがあり、その多くは教会から改築されたものである。


ベルギーでは、新生児の50%がイスラム教徒で、イスラム教徒の人口は25%前後と言われている。オランダでも同様の統計がある。ロシアでも同じで、住民の5人に1人がイスラム教徒である。


ムアンマル・カダフィはかつてこう述べた、「アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムが、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう」。

数字が彼を裏付けている。

Muammar Gaddafi once stated: “There are signs that Allah will grant victory to Islam in Europe without sword, without gun, without conquest. We don’t need terrorists; we don’t need homicide bombers. The 50 plus million Muslims (in Europe) will turn it into the Muslim Continent within a few decades.”
The numbers support him.



やっぱ「抑圧された十字軍の回帰」やってんじゃないかね、あの歴史のスティグマを無意識的に「行為」として反復してる相があると想定しないと信じ難いよ、集団的西側指導者のカボチャ頭の残忍強迫ぶりは。



想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)

抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation.  ](Lacan, S1, 07 Avril 1954)


人は、忘れられたものや抑圧されたものを思い出すわけではなく、むしろそれを行為にあらわす。人はそれを(言語的な)記憶として再生するのではなく、行為として再現する。彼はもちろん自分がそれを反復していることを知らずに(行為として)反復している[der Analysierte erinnere überhaupt nichts von dem Vergessenen und Verdrängten, sondern er agiere es. Er reproduziert es nicht als Erinnerung, sondern als Tat, er wiederholt es, ohne natürlich zu wissen, daß er es wiederholt. ]。(フロイト『想起、反復、徹底操作』1914年)



ま、これはテキト〜に書いてるからな、酒を飲みながら。


で、十字軍の回帰ってのは、人間は人間にとって狼の回帰だよ、



人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛性向が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃性向も含まれている。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在であるばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃性を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でもあるのだ。人間は人間にとって狼である[Homo homini lupus]といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はいるだろうか。

通例この残忍な攻撃性は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃性は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人―― の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服 [der Eroberung Jerusalems durch die frommen Kreuzfahrer]などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦の身の毛もよだつ事件まで を想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。

(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第5章、1930年)



ボクだってよほど気をつけていてもときに狼の回帰があるからな、キミタチと同じように。


1911年以降のフロイトの「抑圧されたもの」は、それ以前のカワイイ《抑圧された願望[verdrängte Wünsche]》(『夢解釈』第5章、1900年)とはわけが違い、基本的には《抑圧された欲動蠢動[verdrängende Triebregung]》(『制止、症状、不安』第3章、1926年)つまり暴動が回帰するんだよ、《欲動蠢動は刺激、無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである la Regung(Triebregung) est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute》(ラカン、S10、14 Novembre 1962)