このブログを検索

2023年12月7日木曜日

穴穴穴穴ーー現実界原抑圧享楽欲動

 


私は、くどいぐらい繰り返しているつもりだが、ラカンの現実界は「トラウマ=穴=原抑圧=享楽=欲動」だよ、もう表題は現実界とかトラウマとかするんじゃなくて、マンネリを避け穴穴穴穴とするほかないね、


問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme](Lacan, S23, 13 Avril 1976)


ラカンはこの現実界のトラウマをトラウマの穴[Trou-matisme]ともしたが、この穴は原抑圧によるもの。

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


そして享楽つまり欲動は穴。

享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)


穴穴穴穴だよ、現実界原抑圧享楽欲動だ。


つまり「原抑圧された享楽」あるいは「原抑圧された欲動」が、ラカンの現実界のトラウマ。あとは原抑圧ってなんだい? と問えばいいだけの話。➡︎原抑圧文献


一言でいえば、原抑圧は事実上、欲動の固着(リビドーの固着)である。この固着は《リビドー的欲動蠢動[daß libidinöse Triebregungen]》(『ナルシシズム入門』第3章)の身体的要求の一部が自我に取り入れられずエスに置き残されること。別の言い方をすれば、固着とはある強度をもったトラウマ的身体の出来事に欲動がくっついて離れないことであり、フロイトはこれを欲動の拘束 [Bindung des Triebes]と表現している。


欲動の対象は、欲動がその目標を達成できるもの、またそれを通して達成することができるものである。〔・・・〕特に密接に「対象への欲動の拘束」がある場合、それを固着と呼ぶ。この固着はしばしば欲動発達の非常に早い時期に起こり、分離されることに激しく抵抗して、欲動の可動性に終止符を打つ。

Das Objekt des Triebes ist dasjenige, an welchem oder durch welches der Trieb sein Ziel erreichen kann. [...] Eine besonders innige Bindung des Triebes an das Objekt wird als Fixierung desselben hervorgehoben. Sie vollzieht sich oft in sehr frühen Perioden der Triebentwicklung und macht der Beweglichkeit des Triebes ein Ende, indem sie der Lösung intensiv widerstrebt. (フロイト「欲動とその運命』1915年)


この固着についてもラカンは早い段階で言っている。

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)

現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](ラカン、S11、12 Février 1964)


同化不能は固着の別名であり、つまり現実界は固着のトラウマ(=原抑圧のトラウマ)である。


同化不能という表現自体、フロイトのモノの定義であり、このモノが現実界。

同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)



同化不能のモノの別の言い方は残滓=固着の残滓(エスへの固着の置き残し)。


我々がモノと呼ぶものは残滓である[Was wir Dinge mennen, sind Reste](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである。das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand geho-ben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück.(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年)




なおこのモノなる残滓がラカンのリアルな対象aである。


残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu.  Ce reste, …c'est le petit(a).  ](Lacan, S10, 21 Novembre  1962)

享楽は、残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)

対象aは現実界の審級にある[(a) est de l'ordre du réel.]   (Lacan, S13, 05 Janvier 1966)

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[ l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel](Lacan, S16, 27 Novembre 1968)


すなわちここでもモノなる残滓という対象aは、享楽=固着=現実界=穴である。



以上、ラカンの現実界は「トラウマ=穴=原抑圧=固着=享楽=欲動」であり、だが不幸なことに日本フロイトラカン派業界ではいまだこれが十分にはーーあるいはまったく?ーー認知されていない[参照]。なぜなんだろうな、不思議でならないよ。



………………


なお究極の原抑圧は出生トラウマであり、母への原固着=原トラウマ。


出産外傷、つまり出生行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)


とはいえ、この誰もがある「原固着の原トラウマ」を臨床上、対処しようとしてもセンナキコトなので、現代ラカン派の分析治療とは後年の生の過程にある各人別様のトラウマ的固着点を見出し、それに対応しようと努めること。


(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』1905年)


現代ラカン派は固着固着固着固着だよ、

固着は、フロイトが原症状と考えたものである[Fixations, which Freud considered to be primal symptoms,](Paul Verhaeghe and Declercq, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way, 2002)

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

精神分析における主要な現実界の顕れは、固着としての症状である[l'avènement du réel majeur de la psychanalyse, c'est Le symptôme, comme fixion,](Colette Soler, Avènements du réel, 2017年)


ラカンの現実界の症状サントームも固着であり、これがフロイトの原症状。

サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である[le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)



ーーこのニューラカニアンスクール(NLS)のボスAlexandre Stevensの言ってることは次のジャック=アラン・ミレールの言い換えにほかならない。


フロイトの反復は、同化不能の現実界のトラウマである。まさに同化されないという理由で反復が発生する[La répétition freudienne, c'est la répétition du réel trauma comme inassimilable et c'est précisément le fait qu'elle soit inassimilable qui fait de lui, de ce réel, le ressort de la répétition.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011)


先に示したように同化不能の別名は固着であり、同化不能の現実界のトラウマとは「固着の現実界のトラウマ」である、ーー《サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である[Le sinthome, c'est le réel et sa répétition]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)