何ごとによらず、悪口をいうことのほうが褒めることよりもやさしいようである。褒め言葉は、当の対象がよほど十分に褒められるのに値していなければ、とかくうわつ調子なものになりがちである。これに反して、悪口のほうは、対象の弱点を取り上げるのがその仕事であるから、本来の性質上、甘くなることがそれほどできぬではないかと思う。それだから、たとえある悪口が実際にはちょろいものであっても、それが悪口であるというだけの原因によつて、けつしてちょろいものではないという外観をーー少なくとも褒め言葉よりは、そなえやすいようである。(中野重治 「映画の悪口ーー罪はどこにある」1957年) |
中野重治の時代とは異なり、21世紀の日本はちょろい悪口ばかりだからな。ちょろくない悪口の外観をそなえるのは難しいよ。そもそも、繰り返せば「連中など存在しないかのごとく振舞うべき」と見做している相手にわざわざちょろくない悪口を骨折って記すのはウンザリだよ。だからチョロさからは逃れようがないね。 一応ちょろい批評はしといたがね、引用仮置場のほうに。美女のタッテノオネガイに応答しないわけにはいかないからな、➡︎ 「精神分析的外傷論のダウンデート」 |