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2024年1月11日木曜日

フーコーが部屋に入ってくると大気の状態の変化があった

 


フーコーは恰好いいんだよ、とてつもなく。


ドゥルーズは「フーコーが部屋に入ってくると大気の状態の変化があった」と言っているぐらいで。


フーコー当人からして、すでに正確な意味で人称とはいえないような人物だったわけですからね。とるにたりない状況でも、すでにそうだった。たとえばフーコーが部屋に入ってくるとします。そのときのフーコーは、人間というよりも、むしろ大気の状態の変化とか、一種の出来事、あるいは電界か磁場など、さまざまなものに見えたものです。かといって優しさや充足感がなかったわけでもありません。しかし、それは人称の序列に属するものではなかったのです。

Foucault lui-même, on ne le saisissait pas exactement comme une personne. Même dans des occasions insignifiantes, quand il entrait dans une pièce, c’était plutôt comme un changement d’atmosphère, une sorte d’événement, un champ électrique ou magnétique, ce que voudrez. Cela n’excluait pas du tout la douceur ou le bien être, mais ce n’était pas de l’ordre de la personne. (ドゥルーズ『記号と事件』Gilles Deleuze Pourparlers 1972 - 1990)



あるいは蓮實はフーコーとのインタビューを振り返って、「人間が太刀打ちできない聡明なる猿」と言っているぐらいで。


語りながら、フーコーは何度か聡明なる猿のような乾いた笑いを笑った。聡明なる猿、という言葉を、あの『偉大なる文法学者の猿』(オクタビオ・パス)の猿に似たものと理解していただきたい。しかし、人間が太刀打ちできない聡明なる猿という印象を、はたして讃辞として使いうるかどうか。かなり慎重にならざるをえないところをあえて使ってしまうのは、やはりそれが感嘆の念以外の何ものでもないからだ。反応の素早さ、不意の沈黙、それも数秒と続いたわけでもないのに息がつまるような沈黙。聡明なる戦略的兵士でありまた考古学者でもある猿は、たえず人間を挑発し、その挑発に照れてみせる。カセットに定着した私自身の妙に湿った声が、何か人間たることの限界をみせつけるようで、つらい。(蓮實重彦「聡明なる猿の挑発」フーコーへのインタヴュー「海」初出1977年12月号)







フーコーは存在自体が芸術作品なんだ。日本の学者共同体に居座っているチョロい連中が相手にできる人物じゃあまったくない。


私を驚かせることは、私たちの社会において、芸術がもはや事物としか関係しておらず、諸個人または生と関係していないということです。そしてまた、芸術が特殊なひとつの領域であり、芸術家という専門家たちの領域であるということも私を驚かしました。しかしすべての個人の生は、ひとつの芸術作品でありうるのではないでしょうか。

Ce qui m’étonne, c’est le fait que dans notre société, l’art est devenu quelque chose qui n’est en rapport qu’avec les objets. Et non pas avec les individus ou avec la vie. Et aussi que l’art est un domaine spécialisé, fait par des experts qui sont des artistes. Mais la vie de tout individu ne pourrait-elle pas être une œuvre d’art ?(ミシェル・フーコー, propos de la généalogie de l'éthique : un aperçu du travail en cours, 1983年)



驚くべき恰好よさは、例えばコレージュ・ド・フランス開講講演の末尾の次の言葉だ。


私にはよくわかる、先ほど私がなぜ、あれほどの困難を覚え、なかなか始められなかったのかが。今では私にはよくわかる、私に先立って私を後押しし、語るように私を誘い、私自身の演説の中に宿ってほしいと私が願っていたのは、どんな声なのかが。言葉を発するのを、あれほど恐ろしいものにしていたのは、なんだったのかが私にはわかる。私が言葉を発したこの場は、彼の話を私が聞いた場所であり、ただ私の話を聞こうにも、彼はもうそこにはいないのだから。

Et je comprends mieux pourquoi j'éprouvais tant de difficulté à commencer tout à l'heure. Je sais bien maintenant quelle est la voix dont j'aurais voulu qu'elle me précède, qu'elle me porte, qu'elle m'invite à parler et qu'elle se loge dans mon propre discours. Je sais ce qu'il y avait de si redoutable à prendre la parole, puisque je la prenais en ce lieu d'où je l'ai écouté, et où il n'est plus, lui, pour m'entendre. (ミシェル・フーコー、コレージュ・ド・フランス開講講演「言説の秩序」Michel Foucault, L'ordre du discours, Leçon inaugurale au Collège de France prononcée le 2 décembre 1970)


ーー「彼」とあるのは、1968年に亡くなったフーコーの師匠ジャン・イポリット(Jean Hyppolite)であり、フーコーはその後継としてコレージュの教授になったのでこのように言っている。追悼として限りなく美しい。だがそんな文脈はどうでもよくなるほどの戦慄的な言葉の群である。ゴダールは『(複数の)映画史』4Bの冒頭近く一分半あたりから聞き取りにくい声でーー感極まったような声でーーこの文を朗読しているぐらいだ。


『言葉と物』の次の文と同じくらい美しい。



可能なあらゆる言説を、語の束の間の厚みのなかに、白紙のうえのインクで書かれたあの厚みのない物的な黒い線のなかに、閉じこめようとするマラルメの企ては,事実上、ニーチェが哲学にたいして解決を命じた問い掛けに答えるものだ。


L’entreprise de Mallarmé pour enfermer tout discours possible dans la fragile épaisseur du mot, dans cette mince et matérielle ligne noire tracée par l’encre sur le papier, répond au fond à la question que Nietzsche prescrivait à la philosophi〔・・・〕

だれが語るのか? というこのニーチェの問にたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーー語の意味ではなく,その謎めいた心もとない存在だ、と述ぺることによって答え、みずからの答えを繰りかえすことを止めようとはしない。


A cette question nietzschéenne : qui parle? Mallarmé répond, et ne cesse de reprendre sa réponse, en disant que ce qui parle, c’est en sa solitude, en sa vibration fragile, en son néant le mot lui-même – non pas le sens du mot, mais son être énigmatique et précaire. 〔・・・〕

マラルメは,言説がそれ自体で綴られていくような〈書物〉の純粋な儀式のなかに,執行

者としてしかもはや姿をみせようとは望まぬほど、おのれ固有の言語から自分自身をたえず抹消つづけたのである。


Mallarmé ne cesse de s’effacer lui-même de son propre langage au point de ne plus vouloir y figurer qu’à titre d’exécuteur dans une pure cérémonie du Livre où le discours se composerait de lui-même. (ミシェル・フーコー『言葉と物』第5章「人間とその分身」1966年)



とはいえーーフーコーの散漫な読者にすぎない私が敢えて言えばーー、いくつかフーコーに文句がある、とくにあれだけ性の歴史に多くの言葉を費やしながら、なぜ自らの幼年期の性について黙秘しつづけたのか、について。それについてもここでは当面、精神分析を優雅に回避したゆえのよりいっそうの恰好よさだったと言っておこう(精神分析はカッコワルイ学問だろうしな)。



蓮實重彦)あのとき何が敵だったかというと、間違いなく精神分析であるわけで、その精神分析をフーコーは優雅に避けるわけだけれども、ドゥルーズはそういう避け方をしなかった。代わりに、どんなに異質でもいいから、ガタリを連れてきて、一緒に『アンチ・オイディプス』を書いちゃうわけです。それは、優雅なテクストになるかわりに、暴力的かつ危険性をはらんだかたちで機能するわけでしょう。そのことがドゥルーズには見えてたわけですよ。(共同討議「ドゥルーズと哲学」財津理・蓮實重彦・前田英樹・浅田彰・柄谷行人『批評空間』1996-Ⅱ-9)


いやあでも、フーコーの母との関係はもっと知りたかったね、