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2024年2月18日日曜日

初動プロパガンダ精神


 この「初動で印象を固めてしまうのが目的」とはウマイこと言ってるね、



主流マスコミやら御用国際政治学者やらももはや自覚的なプロパガンダ精神でナワリヌイコメントしてるんだろうよ、世界的にはもうその手に乗らないぜ、という人たちが増えてきているようだが。


例えばウルズラ・ゲルトルート・フォン・デア・ライエンの初動プロパガンダへの罵倒。




彼女の祖母はヒトラーにゾッコンだったようだがね、



ウズラ女はヒトラーの手法をよく学んだんだろうよ、


……ヒットラーにとっては、世界観は大衆支配の有力な一手段であり、もっとはっきり言えば、高級化された一種の暴力なのである。暴力を世界観という形に高級化する事を怠ると、暴力は防禦力ばかりで、攻撃力を失う、と彼は明言している。 もっとはっきり、彼は世界観を美辞と言わずに大きな嘘と呼ぶ。大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥かしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼等が真に受けるのは、極く自然な道理である。大政治家の狙いは其処にある。そして、彼はこう附言している 。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。 嘘だったという事よりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。

大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。


 これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読みとってくれる。紋切型を嫌い、新奇を追うのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼らは論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかったか、と思いたがるものだ。討論に、唯一の理性などという無用なものを持ち出してみよう。討論には果てしがない事が直ぐわかるだろう。だから、人々は、合議し、会議し、投票し、多数決という人間の意志を欠いた反故を得ているのだ。

(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」1960年)


ヒトラーの『我が闘争』からも核心部分のひとつを直接抜き出しておこう、


国民大衆の心は本質的に、意識して、故意に悪人になるというよりも、むしろ他から容易に堕落させられるものであり、したがって、彼らの心情の単純な愚鈍さからして、小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲となりやすい。というのは、彼ら自身、もちろんしばしば小さな嘘をつくのだが、しかし大きな嘘をつくのはなにしろあまりにも気恥ずかしく感じてしまうからである。そのような大きな嘘は彼らの頭にはとても入り込めないし、したがって不名誉極まる歪曲をするような、まったく途方もない厚かましさは他人の場合でも可能だなどと信じえないだろう。それどころか、このことについて説明を受けてさえも、なお長く疑い続け、動揺するだろうし、そして少なくとも、なにかひとつくらいの理由はやはり真実だと受け取るだろう。したがって、実際極めてずうずうしい嘘からは、常になおなにかあるものが残り、続いていくだろう。以上は、この世のあらゆる大嘘つきや、大嘘つき団体が底の底まで知っており、したがって卑劣にも利用している事実なのである。

…da die breite Masse eines Volkes im tiefsten Grunde ihres Herzens leichter verdorben als bewußt und absichtlich schlecht sein wird, mithin bei der primitiven Einfalt ihres Gemütes einer großen Lüge leichter zum Opfer fällt als einer kleinen, da sie selber ja wohl manchmal im kleinen lügt, jedoch vor zu großen Lügen sich doch zu sehr schämen würde. Eine solche Unwahrheit wird ihr gar nicht in den Kopf kommen, und sie wird an die Möglichkeit einer so ungeheuren Frechheit der infamsten Verdrehung auch bei anderen nicht glauben können, ja selbst bei Aufklärung darüber noch lange zweifeln und schwanken und wenigstens irgendeine Ursache doch noch als wahr annehmen; daher denn auch von der frechsten Lügenvereine dieser Welt nur zu genau kennen und deshalb auch niederträchtig zur Anwendung bringen. (ヒトラー『我が闘争(Mein Kampf)』第10章、1925年)



先に示したように、世界的にはもうこの手に乗らないぜ、という者たちが増えてきているにしろ、日本X社交界ではまだまだ先制攻撃プロパガンダに騙されている人たちがほとんどのように見えるね、


そもそもブチャで騙されたのにいまだ自覚的でない人さえいるようだし。





前回引用した浅井基文氏の《今後も私たちはアメリカそして西側メディアによって「思いのままに動かされる操り人形」であり続ける》ってのは日本人の宿命みたいなもんかもしれないよ。






ーーだな、コロワクにまったく限らず。