私にとっての経済的知の基盤は、柄谷行人の『マルクス その可能性の中心』(1978年)、岩井克人の『ヴェニスの商人の資本論』(1985年)、そして二人の対談集『終わりなき世界』(1990年)だろうな。その後、岩井克人の『貨幣論』(1993年)や柄谷行人の『トランスクリティーク』(2001年)などもあるが、基盤は先の三書だ。 1941年生まれの柄谷は、1947年生まれの岩井について、《私にとってはどんなことでも話し得る友人》(『終わりなき世界』1990)と言っているが、二人はいつの間にか離反したように見える、おそらく1990年代の半ばあたりから二人はほとんど会わなくなっているのではないか。 ここでは松井彰彦氏の書評から、若き岩井克人がいかに「天才」だったかの記述を抜き出しておく。 |
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◼️「経済学の宇宙 岩井克人著」研究と半生を小説風に…書評・松井彰彦 2015年8月30日 |
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大学3年生のとき、著者の「不均衡動学」の講義を受講した。貨幣経済の不安定性を説く壮大な体系で、主流派の新古典派経済学との違いに驚いた。そして、このような一つの経済宇宙を築きあげた著者に畏怖の念を抱いた。本書は、主流派の中での成功を約束されながら、それを捨て、独自の道を歩んだ著者の研究と半生を本格的な小説のような筆致で綴つづった自伝である。〔・・・〕 1969年、学生運動で授業が休講となるなか、著者は日本を脱出するように米マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学した。留学してからは一気に「頂点」に駆け上がる。1年次に書いた論文がいきなり一流の専門誌に掲載される。2年次にはノーベル経済学賞受賞者のサムエルソンの研究助手に採用され、講義の代講を務めるなど、破格の信認を得た。〔・・・〕 |
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たったの3年でPh.D.を取得し、ついでエール大学に助教授職を得た著者は「不均衡動学」の研究に邁進する。しかし、時は市場の力を信奉する合理的期待形成学派の全盛時代に入りつつあった。「神の見えざる手」に信を置かない著者の理論は、無神論の如ごとく、学界の潮流と真っ向からぶつかり、砕け散る。ノーベル経済学賞受賞者のトービンは著者に声をかける。「カツ、おまえの仕事は、時代を二十年先駆けている」 ぼくが「不均衡動学」の講義を聴いて感銘を受け、経済学を志したのは、その2年後だった。それから30年余り、日本はバブル期を経て、長期デフレに陥る。時代を先駆けた岩井理論が現代に蘇よみがえる予兆を感じつつ本書を閉じた。 |
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「カツ、おまえの仕事は、時代を二十年先駆けている」というのは、ノーベル経済学賞級の学者なかでの二十年の先駆けであって、巷間の凡庸な経済学者たちにとっては半世紀以上の先駆けかもしれないヨ、と言っておこう。 というわけで、このところ岩井克人の思考をいくらか追っているのだが、それについてはそのうち記すことにする。おそらく?
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