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2024年2月5日月曜日

保守の定義(西部邁)

 

西部邁は死の前年の2017年、弟子の中島岳志ともに保守の定義について次のように言っている。

◼️ネトウヨと保守、右翼は何がどう違うのか

(西部邁、中島岳志が師弟対談)

AERA 2017年5月1-8日合併号

──現代では「保守」という言葉が、さまざまに解釈されています。「保守」という言葉の定義を教えてください。


中島:政治的な保守という場合、近代合理主義に対するアンチテーゼとして生まれた近代思想の系譜を指します。イギリスの政治思想家エドマンド・バークを嚆矢とする、近代左翼の人間観に対する懐疑的な態度です。左翼は理性に間違いはないと信じ、理性と合致した社会設計をすれば、理想社会が実現できると考える。それに対して、バークは人間の理性の完全性を疑った。理性を超えた慣習や良識にこそ、歴史のふるいにかけられた重要な英知があると考えた。これが保守のスタート地点です。


西部:保守の政治思想は三つに整理できる。第一は、中島君が言った、人間の完成可能性への懐疑。人間は道徳的にも認識的にも不完全性を免れないのだから、自分が思い描く理想だけで大変革をすると取り返しがつかなくなるという姿勢です。第二は、国家有機体論。社会はまるで植物の有機体のようにいろいろなところに張り巡らされ、成長したり衰退したりする。そこに人工的な大改革を加えると、有機体が傷ついてしまう。個人や集団の知恵ではとらえきれない、長い歴史を有し、複雑で多種多様な関係を持った有機体であることを忘れてはならないという論理です。第三は、改革はおおむね漸進的であらねばならないということ。合理的に説明できないという理由で破壊的な社会改革はすべきでない。伝統の精神を守る限りにおいて、一歩一歩、少しずつ改革していくべきだという考えです。



《左翼は理性に間違いはないと信じ、理性と合致した社会設計をすれば、理想社会が実現できると考える》とは、保守が仮想敵として想定した左翼であり、実際は今時そんな風に考えている左翼なんているんだろうか? というのがごく常識的な疑問の筈だが、イヤイヤ少なくとも表向きの米国はそう見えるらしい(私はアメリカのリベラル左翼を支えているのは世界資本主義であって、アレは理性も理想も何の関係もないという立場だが、今はその話はしないでおく)。



◼️「アメリカニズムを如何にせん」2015年12月31日 西部邁ゼミナール (伊藤貫 佐伯啓思)YouTube 8分45秒あたりから

伊藤貫)……今のアメリカのgrand strategy(グランド・ストラテジー)は、1991年に決められたんですね。1991年というのはどういう年かと言うと、ソ連帝国が崩壊して、アメリカに対する軍事的な対立国が遂に消滅したという時なんですね。〔・・・〕

その時にアメリカはもう舞い上がっちゃって、「今後は俺たちの能力はローマ帝国以上だ、世界に俺たちに敵う者はいない。」というんで、1992年2月にアメリカは、Defense Planning Guidanceという秘密文書を作って、その秘密文書(DPG)で、アメリカがヨーロッパと中東とアジアと中南米も全て支配すると。


それからもう一つ(DPGに)書いてあったのは、ロシアと中国がアメリカのPeer Competitor(ピーア・コンペティター=同等の競争相手)、Peerは「同僚」、要するに、「同じような力を持つチャレンジャーになることを許さない!」と。

で、(DPGの)もう一個、3つ目に重要なのは、第二次大戦の敗戦国でありう日本とドイツには、決して自主防衛能力を持たせないと。〔・・・〕


で、僕はそれを読んでて、まず胃袋が煮え返ったんですね。この野郎!!と。こういうことを考えていたのかと(笑)


西部邁

(笑)

で、もう一つ(DPGについて)思ったのは、こんなこと出来るわけないだろうと。あまりにもover ambitious(オーバー・アンビシャス)であると。だって、世界中を自分たちだけが支配すると決めたら、世界中で戦争しなけりゃいけないわけですよ。そんなこと、だって当時すでにアメリカは貯蓄率がどんどんどんどん減ってって世界中からお金を借りなきゃいけないと。世界中の純貯蓄の毎年の新しい貯蓄の7割をアメリカの債券を買って貰わなきゃならないということをやりながら、世界中を俺たちが支配するんだって、これはちょっとオカシイなと。


で、lo and behold ! (ロー・アンド・ビホールド)、じっと見てたら、アメリカは世界中に介入して、結局、2011年の9月11日のテロ事件を口実として、イラクを属国にしようとしていま大失敗したわけです。

アメリカのglobal hegemony(グローバル・ヘゲモニー)はグラグラし出した時に、日本の外務省の人たちはおバカさんだから、「アメリカにくっ付いていれば大丈夫だ!」とそういう吉田茂以降のこの人たちは本当に馬鹿で、馬鹿と言っちゃ悪いんだけど、すごく鈍いんですよ。吉田茂はそういうふうに決めて上手くいったから、21世紀になってもアメリカにしがみ付いていれば大丈夫だろうと。


で、アメリカは文句言うんだったら、アーミテージは集団的自衛権を行使しろと言ったから、アーミテージの言う通りにして集団的自衛権を行使して米軍と一緒に戦えば、ずっと(日本を)守ってくれるだろうと。

西部邁) アメリカという国はね、そういう風にして世界警察をやる力をどんどん無くしているのにも関わらず、アメリカン・デモクラシーでも、アメリカン・リベラル・デモクラシーでもいいんだけど、そういう理念めいたものをいろいろ誤魔化しを交えて振りかざしつつ、自分たちの力を世界に示すんだという形でしか、アメリカという国自身がもたない。そういうやり方以外には、言わばアメリカの普通でいう、national identity(ナショナル・アイデンティティー)なる【歴史がない】せいでね、無いのだと。


伊藤貫)えぇえぇえぇ。


西部邁)となると、世界警察力が衰えながらもそれを尚も追い求めるという以外に(無い)?

伊藤貫)そうなんですよ。100%当たりで、要するに自分たちの実力が、世界を支配する実力が無くなってきたにも関わらず、自分たちの“思い込み”ですね、僕はそれをアメリカの『傲慢病』と『自惚れ病』という風に呼んでいるんですけども、とやかく傲慢と自惚れというのは、これはやってる本人は気が付かないんですね(笑)アメリカも僕みたいにある意味で、僕は“外人”ですからね、だから外人のシラっとした目で見ると、なんでこの連中はこんなにも自惚れているんだろうと。それからもう一つは、何でこんなに傲慢なんだろうと、思っているんですけども、それをやってる本人は、『自分たちはWilsonian idealist(ウィルソニアン・イデアリストだと!』


西部邁)あぁ~そうか。

伊藤貫)ウィルソニアン的な民主主義と自由主義を世界に拡めるために、Crusade(クルセイド=聖戦)をやっているんだと。世界のために・・・〔・・・〕


西部邁)あれ第一次世界大戦ですよね、国際連合の前だから「国際連盟」をつくった時のアメリカの大統領が【ウッドロウ・ウィルソン】といって学者上がりなんだけども、非常にズルい人でありながら、とも同時に非常に理想主義的な、まぁ~言ってみればアメリカ・ピューリタニストの系譜の、そういうアメリカの理想主義、それを翳した人ね。


それを戦後日本もね、アメリカに(戦争で)負けたでしょう、山ほど殺された日本がアメリカを一つの理想として追い求めた。その根っこを言うと、もっと古いんだけども、少なくとも20世紀で言うと、そのいま言ったウィルソニアニズムがあるという。どうぞお先に!(笑)

伊藤貫)

えぇ。だから非常にもうね、あのアフガニスタンに対してもパキスタンに対してもイラクに対してもシリアに対してもイエメンに対してももう徹底的に武力を行使して鉄拳制裁をやっているんですけども、彼らそういうことをやっている連中は、We're Wilsonian idealist !! と。


・・・そのつもりなんですよ。それでバンバンやってめちゃくちゃ殺しまくるんですけど、たぶん、自分たちは善人で良いことをやっているんだと、これが怖いわけですね(笑)



この伊藤貫と西部邁のやりとりは、次の西部邁の《アメリカは左翼国家の見本》を念頭にして読むべきである。


まず、「自由・平等・博愛」の理想主義を叫び、次にそれのもたらす「放縦・画一・偽善」に堪りかねて「秩序・格差・競合」の現実主義に頼ろうとし、それが「抑圧・差別・酷薄」をもたらすや、ふたたび元の理想主義に還らんとする、そういう循環を今もなお繰り返している代表国はどこかとなると、誰しも「アメリカ」と答えるにきまっています。 つまり、 アメリカは左翼国家の見本なのです。


それもそのはず、 「左翼主義」 (leftism) とは近代主義の純粋型にほかなりません。 歴史感覚の乏しい北米大陸で純粋近代主義の壮大な(もしくは狂気の沙汰めいた) 社会実験が行われつづけた、あるいはそれを行うしかない成り行きであった、とみるべきなのです。 今もアメリカは、他国に(あろうことか日本占領のGHQ方式、つまり「総司令部」のやり方を模型として)「ネーション・ビルディング」(国民あるいは国家の建設、 nation building)を押しつけようとしたり、自国の「再構築(リメーキング)」を企画したりしております。 アメリカは左翼国家であると断言できない者は、近代主義の本質が「歴史の設計」を可能とみる「理性への信仰」にあることをわきまえていないのです。 (西部邁『昔、言葉は思想であった -語源からみた現代-』2009年)


西部邁の保守とは、結局「反米」に帰着するんじゃないかね



なお、ーー先に《左翼は理性に間違いはないと信じ、理性と合致した社会設計をすれば、理想社会が実現できると考える》に疑義を呈したがーーいわゆる「ラディカル左翼」ジジェクは理性についてこう言っている。


カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う〈理性の光〉という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は〈夜〉、〈世界の夜〉なのだ)。


カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)


私は最近ある決定的な理由でジジェクから完全に離れたのだが、哲学的には当然上のように理性を理解すべきだし、さらにジジェクがとってきた基本的態度ーー世界の座標軸を変革するには、ときには「暴力」が必要だという立場ーーまでもを否定するつもりは毛ほどもない。もっとも次のブレヒトの言葉を念頭に置きつつの「繊細な暴力」だ。


世界はまちがいもなく脱臼してしまっている。暴力的な動きによってのみ、それをふたたびはめ込むことができる。ところが、それに役立つ道具のうちには、ひとつ、小さく、弱くて、軽やかに扱ってやらなきゃならないものがあるはずだ。(ブレヒト『真鍮買い』)


実際、現在の米ネオコンーー先の伊藤貫曰くの《バンバンやってめちゃくちゃ殺しまくるんですけど、たぶん、自分たちは善人で良いことをやっている》と思い込んでいるーーに対しては暴力的な動きが是非とも必要じゃないか。


しかしこういうことを言い出したトランプとバイデンしか選択肢がないとはね





戦わなくちゃな、システムを変革しなくちゃな、反保守的にさ、なんらかの形で「暴力的」にさ