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2024年3月29日金曜日

一輪の花と等価の詩


 八木重吉の「草にすわる」を冒頭に掲げた谷川俊太郎の「間違い」に出会って、「一輪の花と等価の詩が書けたら。」(2008年)を思い出したね




俊はこのあとそうはなれないと言ってるんだけれど、
書いてるよ、白い一輪の花のような詩を。




あるいは「しぼられたレモンの数滴」の詩を。


もしかするとそれも些細な詩

クンデラの言うしぼられたレモンの数滴

一瞬舌に残る酸っぱさと香りに過ぎないのか


ーー谷川俊太郎「些細な詩」より  



バラの一輪はどうかね


散文をバラにたとえるなら

詩はバラの香り

散文をゴミ捨場にたとえるなら

詩は悪臭


ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より(八月三日)



バラはときに悪臭がするからな

エリック・ロメールのバラにはうっとりしたね




とっても魅せられる
次の詩と同じくらい


素足  谷川俊太郎

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ



とり返しのつかない悔いだらけの人生だったな

とくにするりと逃げた女ののことを思い返すと



若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト「ゲルマントのほう」)




言葉で捕まえようとすると

するりと逃げてしまうものがある

その逃げてしまうものこそ最高の獲物と信じて


ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より(九月四日)



美女美景なればとて不斷見るにはかならずあく事。(井原西鶴『好色一代女』)



詩はなんというか夜の稲光りにでもたとえるしかなくて

そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ

意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を


ーー谷川俊太郎「理想的な詩の初歩的な説明」より



上質の詩はゆらめく閃光みたいなもんだろうよ


ストゥディウムは、つねにコード化されているが、プンクトゥムは、そうではない[Le studium est en définitive toujours codé, le punctum ne l'est pas]。〔・・・〕プンクトゥムは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。il est aigu et étouffé, il crie en silence. Bizarre contradiction : c'est un éclair qui flotte.(ロラン・バルト『明るい部屋』第22章「事後と沈黙」)

プンクトゥム[punctum]――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。〔・・・〕プンクトゥムとは、刺し傷[piqûre]、小さな穴 [petit trou]、小さな染み[petite tache]、小さな裂け目[petite coupure]のことであり――しかもまた骰子の一振り[coup de dés]のことでもあるからだ。〔・・・〕


プンクトゥムとは、…私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。 punctum…c'est ce hasard qui, en elle, me point (mais aussi me meurtrit, me poigne).(ロラン・バルト『明るい部屋』第10章、1980年)