八木重吉の「草にすわる」を冒頭に掲げた谷川俊太郎の「間違い」に出会って、「一輪の花と等価の詩が書けたら。」(2008年)を思い出したね
散文をバラにたとえるなら
詩はバラの香り
散文をゴミ捨場にたとえるなら
詩は悪臭
ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より(八月三日)
素足 谷川俊太郎
赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ
とり返しのつかない悔いだらけの人生だったな
とくにするりと逃げた女ののことを思い返すと
若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト「ゲルマントのほう」) |
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言葉で捕まえようとすると
するりと逃げてしまうものがある
その逃げてしまうものこそ最高の獲物と信じて
ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より(九月四日)
美女美景なればとて不斷見るにはかならずあく事。(井原西鶴『好色一代女』) |
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詩はなんというか夜の稲光りにでもたとえるしかなくて
そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ
意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を
ーー谷川俊太郎「理想的な詩の初歩的な説明」より
ストゥディウムは、つねにコード化されているが、プンクトゥムは、そうではない[Le studium est en définitive toujours codé, le punctum ne l'est pas]。〔・・・〕プンクトゥムは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。il est aigu et étouffé, il crie en silence. Bizarre contradiction : c'est un éclair qui flotte.(ロラン・バルト『明るい部屋』第22章「事後と沈黙」) |
プンクトゥム[punctum]――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。〔・・・〕プンクトゥムとは、刺し傷[piqûre]、小さな穴 [petit trou]、小さな染み[petite tache]、小さな裂け目[petite coupure]のことであり――しかもまた骰子の一振り[coup de dés]のことでもあるからだ。〔・・・〕 プンクトゥムとは、…私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。 punctum…c'est ce hasard qui, en elle, me point (mais aussi me meurtrit, me poigne).(ロラン・バルト『明るい部屋』第10章、1980年) |