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2024年3月13日水曜日

健康のためのアカデミー賞「マリウポリの妊婦」

 

これまたどうしようもない話になってるな。



▶︎動画


反露プロパガンダの極到としか言いようのないアカデミー賞になっちまってるな、前年に賞もらってるのは、ナワリヌイの話(『プーチンが最も恐れる男』)だしさ。




ここで私が言いたいこととはいささか文脈は異なるが、蓮實が《アカデミー賞という田舎者たちの年中行事につき合うことは、いい加減にやめようではないか》というコラムを書いていたがね、ホントにもはやマガオで扱うのはやめにしなければならない。それとも嘲笑の対象としての田舎者たちのお祭りがいまだ生き残っている事態を珍重すべきかね、健康のためのアカデミー賞としてね、ーー《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。Der Einwand, der Seitensprung, das froehliche Misstrauen, die Spottlust sind Anzeichen der Gesundheit: alles Unbedingte gehoert in die Pathologie.》(ニーチェ『善悪の彼岸』154番、1886年)



◼️アカデミー賞という田舎者たちの年中行事につき合うことは、いい加減にやめようではないか

蓮實重彦 2022年5月30日


……アカデミックな姿勢とはいっさい無縁の、その呼称にはまったくふさわしからぬ年に一度のハリウッドの映画的かつ空疎きわまりない祭典には、いっさい興味というものがわかない。そもそも、アカデミー賞とは、誰の目にも屈辱の歴史にほかならぬからである。超一流の、それもハリウッドというよりは世界が評価する大監督にほかならぬラオール・ウォルシュも、ハワード・ホークスも、あのアルフレッド・ヒッチコックでさえ、一度としてオスカーを手にしていないのだから、アメリカ映画アカデミーなるものがいかにアカデミックな精神を欠いた人材からなっている出鱈目な組織であるかは、誰の目にも明らかである。〔・・・〕


 これはあまりにも滑稽かつ悲惨な事態だから、別のところに書いたことをあえてくり返しておくが、問題の非=アカデミックな組織の構成員たちは、一見したところ知的そうに見えながら実のところは到底優れた演技者とはいいがたく――『マディソン郡の橋』(一九九五)の女性像のあまりの凡庸さを想起せよ――美貌の点でもその肉感性においてもエヴァ・ガードナーとは比較にならぬほどお粗末なあのメリル・ストリープは、あろうことか三度もオスカーを獲得している。この点については、合衆国の前大統領の、彼女は「過大評価された女優」にすぎぬという評価が決定的に正しい。あのドナルド・トランプ氏も、ときには正しいことも口にしていたのである。