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2024年4月20日土曜日

恥ずかしい、本当に恥ずかしい

 

恥ずかしい、本当に恥ずかしいだってよ


Sony Thang@nxt888 Apr 18, 2024


JEFFREY SACHS:


[Commenting on the remarks made by Japanese PM Fumio Kishida, who warned the US Congress of China's 'growing threat to global peace'.]

"It is a shame―first of all―for a Japanese Prime Minister to come to the US Congress and speak that way.


Really, it's a shame.


It's also false―especially false―because in the 2,200 years of Chinese-Japanese relations, China never attacked Japan.


China was once briefly conquered by the Mongols who tried to attack Japan in the years 1274 and 1281―just for the record―but that was the Mongols.


The Chinese never attacked Japan in 2,000 years.


Now, when Japan industrialized faster than China at the end of the 19th century, Japan invaded China in 1895 in the Sino-Japanese War. Then, in the 20th century, Japan repeatedly invaded China and then very brutally in the 1930s.


So, it's not right for a Japanese Prime Minister to come and trash-talk China in the US Congress.


It's not right for the Japanese people, it's not historically accurate, it's not appropriate, and it's not wise either."


Excerpt from remarks by Professor Jeffrey Sachs, American economist and academic, in an interview with Judge Napolitano, April 16, 2024.


Source:Prof. Jeffrey Sachs : Is the West Tired of Ukraine?


▶︎30:15あたりから。




なあ、たいして騒ぎ立てもせずに涼しい顔してるキミたちもとっても恥ずかしいよ。


ジェフリーサックスはハーバードで雅子妃の指導教官だったんだが、どうだい、そこのキミ? この際、彼女を担ぎ上げて「暴動」起こしたら。これが象徴天皇制廃止のための最も近道かもよ。



ところでーーこの機会に言っとくがーーボクは《天皇制をうっかり廃止して大丈夫だろうか》という立場だからな、



私の祖父は早くに陸軍を辞めた軍人でしたが、そこにまだ中国に行かされて戦っている友人たちが訪ねてきて、今は「南京事件」として知られる残虐行為のことなどを話していました。今度の戦争では日本軍は勝ったとはいえないとか、「皇軍」の名に値しないということを話していたのも覚えています。こどもに対しては油断しているものですから、そういう話を私は足許で聞いていました。それで、小学校時代には私は精神的に孤立していたと思います。かなりいじめらもしました。特に、天皇を神格化するということにはどうもなじめなかったのです。〔・・・〕


ところが、これだけいろいろ心理的努力をやっておきましたせいか、終戦のときのショックがあまりなかったんです。それがかえって私にはしんどいことでありました。つまり、エイヤッと切開手術をしてもらって膿を出して、反対側にまわるほうが楽なんです。それで、中学生の私はむしろちょっと国粋主義者――といっても神懸かりではないんですけれども――で、天皇制をうっかり廃止して大丈夫だろうかというような、むしろ保守的な考えの人間になりました。特に、アメリカの人たちが宣伝する民主主義というものに対して懐疑的になった時期がありました。このころ、『民主主義』という本がアメリカの勧めでしょうか、編纂され、文部省の名前で出て、みんな読んでいたわけですが、歯が浮いたような本だといって私は読まなかった。」中井久夫「私に影響を与えた人たちのことなど」初出『兵庫精神医療』1991)



象徴天皇制なんてちゃちなこと言っておらずに、女なる神の国に戻さないとな


かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003年 『時のしずく』所収)


わかるかい、神なる超自我ってのは元来女だよ


母なる超自我は原超自我である[le surmoi maternel… est le surmoi primordial ](Lacan, S5, 02 Juillet 1958)

一般的には神と呼ばれるもの、それは超自我と呼ばれるものの作用である[on appelle généralement Dieu …, c'est-à-dire ce fonctionnement qu'on appelle le surmoi. ](ラカン, S17, 18 Février 1970)

一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである[C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile  que c'est tout simplement « La femme ».  ](ラカン, S23, 16 Mars 1976)



超自我文献①




そもそも日本の神社の構造は神なる女の原像だよ[参照]。



海外に長年暮らして唯一カナシイのは神社にお参りできないことだね。

もっと具体的にいえば、どさくさに紛れて?最低限、巫女のお尻に触れないことだな



メラニークラインは《超自我の核は母の乳房[The core of the superego is thus the mother's breast]》 (Melanie Klein, The Origins of Transference, 1951)としたがね、早い段階でのその洞察には敬意を表すれど、いくらか突っ込みが甘くてもう少しだったね。「超自我の核は母胎」に決まってるよ。で、天皇の原象は母胎さ、これをうっかり廃止して大丈夫な筈がないだろ?


そもそも財布は女が握ってなくてどうするってんだい、先の中井久夫が指摘しているのは欧米のきわめて愚かな悪習に過ぎないね。



彼女は三歳と四歳とのあいだである。子守女が彼女と、十一ヶ月年下の弟と、この姉弟のちょうど中ごろのいとことの三人を、散歩に出かける用意のために便所に連れてゆく。彼女は最年長者として普通の便器に腰かけ、あとのふたりは壺で用を足す。彼女はいとこにたずねる、「あんたも蝦蟇口を持っているの? ヴァルターはソーセージよ。あたしは蝦蟇口なのよ [Hast du auch ein Portemonnaie? Der Waller hat ein Würstchen, ich hab' ein Portemonnaie]」いとこが答える、「ええ、あたしも蝦蟇口よ[Ja, ich hab' auch ein Portemonnaie]」子守女はこれを笑いながらきいていて、このやりとりを奥様に申上げる、母は、そんなこといってはいけないと厳しく叱った。(フロイト『夢解釈』第6章、1900年)