超自我と原抑圧を一緒にするのは慣例ではないように見える。だが私はそう主張する。私は断固としてそう言い、署名する。 Ca ne paraît pas habituel que le surmoi et le refoulement originaire puissent être rapprochés, mais je le maintiens. Je persiste et je signe.〔・・・〕 あなたがたは盲目的でさえ見ることができる、超自我は原抑圧と合致しうしるのを。実際、古典的なフロイトの超自我は、エディプスコンプレクスの失墜においてのみ現れる。それゆえ超自我と原抑圧との一致がある。Vous voyez bien que, même à l'aveugle, on est conduit à rapprocher le surmoi du refoulement originaire. En effet, le surmoi freudien classique n'émerge qu'au déclin du complexe d'OEdipe, et il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire. (J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982) |
※参照➡︎超自我の回帰[Wiederkehr des Über-Ichs]について |
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少し前、「二種類の超自我」を投稿した。
ここではそれに引き続き、「二種類の抑圧」を簡単に整理しておく。
フロイトの抑圧は原抑圧と後期抑圧がある。 |
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
この二種類の抑圧を示す用語は種々あるが、基本的には次の区分ができる。
原抑圧 Urverdrängung | 抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年) |
抑圧された固着[verdrängten Fixierungen] (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年) | |
抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年) | |
後期抑圧 Nachverdrängung | 抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年) |
抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年) | |
抑圧された思想[verdrängten Gedanken ] (フロイト『夢解釈』第7章、1900年) |
後期抑圧には、例えばフロイトの失錯行為[Fehlleistung]ーー英訳では "parapraxis"ーーがあり、これは「フロイト的失言」(フロイディアンスリップ Freudian slip、a slip of the tongue)として比較的よく知られているだろう。その症例のひとつは、会議の司会者が開会の辞に「今から閉会します」と言ってしまうことで、これは極端な例だが、この言い間違いとしての軽度のフロイディアンスリップは人にはしばしばある。 フロイトは失錯行為について次のように語っている。 |
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神経症患者の夢は、彼の失錯行為やそれに対する彼の自由連想と同様に、彼の症状の意味を発見し、彼のリビドーがどのように配分されているかを明らかにするのに役立つ。夢は願望充足の形で、どのような願望衝動が抑圧にさらされ、自我から引き離されたリビドーがどのような対象に執着するようになったかを教えてくれる。 Die Träume der Neurotiker dienen uns wie ihre Fehlleistungen und ihre freien Einfälle dazu, den Sinn der Symptome zu erraten und die Unterbringung der Libido aufzudecken. Sie zeigen uns in der Form der Wunscherfüllung, welche Wunschregungen der Verdrängung verfallen sind und an welche Objekte sich die dem Ich entzogene Libido gehängt hat. (フロイト『精神分析入門』第28講、1917年) |
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この失錯行為の核心は、抑圧された願望の回帰であり、別の言い方なら抑圧された表象、抑圧された思考の回帰である。夢分析の基本もこの後期抑圧であり、自由連想手法が機能する(逆に原抑圧には自由連想は機能しない)。 他方、原抑圧のほうは、欲動・固着・トラウマの三つを掲げたが、この用語は基本的に等価である。
そしてフロイトにおいてのトラウマは身体の出来事を意味する、《トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]》(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
欲動は身体的要求でありーー《欲動は心的生に課される身体的要求である[Triebe ….Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben]》.(フロイト『精神分析概説』第2章1939年)ーー、次の二文は同じことを言っている。 |
不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年) |
不快な性質をもった身体的感覚[daß Körpersensationen unlustiger Art](フロイト『ナルシシズム入門』1914年) |
この不快な欲動の身体が原抑圧されるものである(フロイトは「原抑圧された」という言い方はしておらず「抑圧された」としか言っていないので注意)。 |
抑圧の動因と目的は不快の回避以外の何ものでもない[daß Motiv und Absicht der Verdrängung nichts anderes als die Vermeidung von Unlust war. ](フロイト『抑圧』1915年) |
そして後年のフロイトにとってこの不快の別名は不安かつトラウマである。 |
不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
以上、欲動=固着=トラウマは、事故による外傷神経症ーー《外傷神経症は、トラウマ的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. ]》(フロイト『精神分析入門』第18講、1917年)ーーこの外傷神経症以外は、基本的にすべて幼児期に起こる。 |
抑圧された幼児期の出来事[verdrängten Kindererlebnisse](フロイト『防衛 - 神経精神症再論』Weitere Bemerkungen über die Abwehr-Neuropsychosen, 1896年) |
抑圧はすべて早期幼児期に起こる[Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit](フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第3章、1937 年) |
この幼児期の抑圧が抑圧の第一段階としての原抑圧であり欲動の固着である。 |
われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある[Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung](フロイト『抑圧』1915年) |
抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )第3章、1911年) |
繰り返せば、基本的に原抑圧されるものは幼児期に固着された不快な欲動の身体であり、この欲動の身体をフロイトは「異者としての身体」と呼んだ。
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年) |
この異者としての身体が、ラカンの享楽の核である。 |
不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体として識別される[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger ] (Lacan, S11, 17 Juin 1964) |
不快は享楽以外の何ものでもない[déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970) |
現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
なおラカンにおいて超自我自体、この異者としての身体である。 |
私は大他者に斜線を記す、Ⱥ(穴)と。…これは、大他者の場に呼び起こされるもの、すなわち対象aである。この対象aは現実界であり、表象化されえないものだ。この対象aはいまや超自我とのみ関係がある[Je raye sur le grand A cette barre : Ⱥ, ce en quoi c'est là, …sur le champ de l'Autre, …à savoir de ce petit(a). …qu'il est réel et non représenté, …Ce petit(a)…seulement maintenant - son rappo https://www.blogger.com/blog/post/edit/5454737080122502426/9213254877773455473 rt au surmoi : ](Lacan, S13, 09 Février 1966) |
この超自我の穴に関わる対象aは、異者としての身体かつ固着なのである。 |
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
※ フロイト・ラカンにおいて原抑圧と超自我の等価性は「固着」用語を通すとよく見えてくる。より詳しくは冒頭にリンクした「超自我の回帰」参照。