しかし「楽しみにして」待っていることがなかなか起こらないよ、ここ何日か、今日か今日かとソワソワするばかりで胃にヒドク悪い。
しかしあらためて見るとスゴイねえ。少なくとも1979年以来。アメリカはイランを貪り喰いたいんだろうよ、
最近はパーレビ国王じゃなくてパフラヴィー皇帝って言うんだな、あの米国傀儡の色男を。 |
◾️中国の仲介でイラン・サウジ関係改善、世界は米国抜きで回り始めた 重要なのは今度も「中東の原油」だ 大原浩 2023.03.19 |
米国が事あるごとにイランを敵視して攻撃を行うのには、歴史的な理由がある。 まず、モハンマド・レザー・パフラヴィー(パーレビ国王、イランの最後の皇帝)は、1953年にCIAとMI6の支援を受けて、親ソ派であり石油の国有化を進めていた首相を排除した。つまり、パーレビ国王は、革命前のキューバ・バティスタ独裁政権同様米国の傀儡であったのだ。 ところが、米国を後ろ盾に独裁を続ける皇帝に対する国民の不満が爆発。シーア派宗教指導者ホメイニ師の指導のもと、国民が1978年にイラン革命を起こす。 米国が甘い蜜を吸っていた傀儡政権を打倒した、革命勢力に対する米国の憎悪がすさまじかったことは、キューバ革命と同様だ。 さらに、キューバ革命後には、革命政権を転覆させようとするCIAが絡んだピッグス湾事件を引き起こし、世界中から激しい非難を浴びた。その結果ケネディ大統領は責任をCIA長官であったダレス氏などに押し付け更迭。その結果CIA職員の激しい反発を招き、その後ケネディ大統領はCIAを制御することが難しくなった。 同様に、イランにおいても革命直後の1979年に「イラン米国大使館人質事件」が起こった。イスラム革命防衛隊主導の暴徒によるアメリカ大使館に対する占拠及び人質事件だが、解決までに444日間もかかっている。そのため、米国の威信は大いに低下し、イランに対する深い恨みを持つ契機となったのである。 |
ホメイニは実に偉大だったねえ、パーレビ国王を追い出して。つまりはアメリカを追い出して。
それに対して日本は米国追随に徹っしてきたんだよなあ、 |
戦後の日本の外交に関しては、もちろん、さまざまな要因を考慮しなければならない。 2・26事件の1936年以後敗戦の45年まで陸軍は事実上外交を無視していた。45年から52年まで占領下の日本には外交権がなかった。52年から「冷戦」の終わった89年まで、日本は「米国追随」に徹底していた。 ということは、事実上外交的な「イニシアティブ」をとる余地がほとんどなかった、ということである。日本国には半世紀以上も独自の外交政策を生み出す経験がなかった。そこでわずかに繰り返されたのが、情勢の変化に対するその場の反応、応急手当、その日暮らし、先のことは先のこととして現在にのみこだわることになったのだろう。 |
恥ずかしいねえ、誇りというものが微塵もなくて。あの「偉大なペルシア文明」に対して最小限の知性の条件すら微塵もないヤツらばかりで。
政治的力としてのイスラムの問題は、我々の時代、そしてこれから訪れる未来にとって本質的な問題である。イスラムに接近する最小限の知性の条件は、憎悪を以て始めないことだ。Le problème de l'islam comme force politique est un problème essentiel pour notre époque et pour les années qui vont venir. La première condition pour l'aborder avec tant soit peu d'intelligence, c'est de ne pas commencer par y mettre de la haine . (『ミシェル・フーコー思考集成』 .M. Foucault, Dits et écrits 1954-1988, 1994, p. 708.) |
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この革命的出来事[ホメイニのイラン革命]を特徴づけるものとして、それが、まったく集団的な一個の意志を出現させたということがあります――そのような機会にめぐりあった民族は歴史を見ても稀です。集団的意志というのは、法学者や哲学者が制度などを分析したり正当化したりしようとするときに用いる政治的な神話であって、つまりは理論的な道具です。「集団的意志」には実際にお目にかかったことはないし、私は個人的には、集団的意志というのは神や魂と同じで、出会ったりするものでは決してないと考えていました。同意してくださるかどうかわかりませんが、私たちはテヘランで、イラン全土で、一個の民衆の集団的意志に出会ったのです。……この集団的意志に、人々はある対象を、ある一つきりの標的を与えた。つまりシャーの出国です。(フーコー「精神のない世界の精神」高桑和巳訳) |
集団的西側の植民地文明に対して不快さを感じないヤツらばかりの日本ってのはな。ふとした機縁で「出国」して実に幸運だったなあ、
蓮實)僕にとってのフーコーの偉大さは、彼が知識人でありながら、生涯を通じて、何ひとつ指針らしいものを残さなかったことに尽きています。共同体に受け容れられるような行動の方針は一つも示さなかった。ただし、一貫して一つの闘争を戦いぬいていたのであり、そのことが指針といえばいえるかもしれない。それは何かというと、彼の戦いが、不快なものをめぐって、ただその一点をめぐって展開されたという点です。彼は、社会的な不正に対して正義の立場から戦ったのではない。ましてや、社会的な不正に対して戦う義務感など持っていなかった。僕の驚きは、正しくないことに対して批判を加えるべきだという知識人的な郷愁の徹底した不在です。たとえば、それをサルトルと比較してみれば明らかでしょう。サルトルの倫理は、彼の正義の理念と切り離しえない。 |
不快さに対するフーコー的な戦いというのはまったく理不尽なものです。彼は、監禁という状態が不快であるからこれを論じ、これと戦う。不正に対して正義の反抗を試みているわけじゃあない。だから、フーコーを論じる日本人の多くが、彼の社会的な行動に一つの指針を見ているけど、そんな愚かな話はない。彼のコメニイ擁護(ホメイニ擁護:引用者)なんて理不尽そのものでしょう。しかし、あれはまったく政治的なものではなく、快=不快の原理だけの問題なのです。だから、それを全体化するとまったく役に立たない。その意味じゃあ、フーコーは知識人的ではないわけです。 |
僕が一番好きなフーコーの書物は『知の考古学』だけど、あれは徹底した不快さへの戦いですよね。言説という現実をめぐって世間一般に行きわたっている無感覚に対する不快感の表明以外の何ものでもない。またそうした不快感なしに何ごとかを論じうる人々への不快感の表明でもあるでしょう。フーコーの倫理は、その不快さに対する戦いからくるから、理不尽であり、無責任である。つまり全体化された理論には絶対にならない。そのかわり、柄谷さんのいう「生きながらの積極性」といったものが言葉にみなぎるわけです。フーコーを論じる日本人の言葉に、この不快さに対する戦いが見えますか。感じられないでしょう。それは、不快さに対する戦いを不正に対する戦いに利用しようとするさもしい根性が働いているからです。だから、フーコーの倫理を素通りしてしまうのだし、そのことで自分が何を失っているかにも無自覚なのです。不快さに対する戦いの倫理性は理不尽でありながらも自分を実験台にするという積極性を持っている。(柄谷行人-蓮實重彦対談集『闘争のエチカ』P195-197、1988年) |
で、不快さへの徹底的な闘いが今日あたり起こってくれるんだろうか、もう待ち切れないよ。
誤解のないように。こよなくありうるハメネイ師のコレは全然待っていないから。