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2024年8月3日土曜日

ボロ儲けの倒錯的誘惑


 1844年、26歳のマルクスは、ユダヤ人とマネーについてこう書いている(彼はもちろんユダヤ人である)。


◼️マルクス 『ユダヤ人問題によせて』

ユダヤ教の現世的根拠は何か。それは実利的欲求すなわち利己心である。ユダヤ人の現世的崇拝の対象は何か。それはボロ儲けである。ユダヤ人の現世的な神とは何か。それはカネである。よしそうだとすれば、ボロ儲けとカネから、すなわちこの実際的で現実的なユダヤ教から解放されることが現代の自己開放ということになろう。

Welches ist der weltliche Grund des Judentums? Das praktische Bedürfnis, der Eigennutz. Welches ist der weltliche Kultus des Juden? Der Schacher. Welches ist sein weltlicher Gott? Das Geld. Nun wohl! Die Emanzipation vom Schacher und vom Geld, also vom praktischen, realen Judentum wäre die Selbstemanzipation unsrer Zeit.

(マルクス 『ユダヤ人問題によせて』1844年)



◾️ マルクス『経済学・哲学草稿』

シェイクスピアは『アテネのタイモン』のなかでいう、Shakespeare im Timon von Athen:


「金か! 黄金色にきらきら輝く貴重な金貨だな!

……これだけの金があれば、黒を白に、醜を美に、

邪を正に、卑賤を高貴に、老いを若きに、

臆病を勇気に変えることもできよう。

……神々よ、どういうことだ、これは? どうしてこれを?

これはあなたがたのそばから神官や信者たちを引き離し、

まだ大丈夫という病人の頭から枕を引きはがす代物だ。

この黄金色の奴隷めは、信仰の問題でも

人々を結合させたり離反させたりし、

呪われたやつらを祝福し、白癩病みを崇拝させ、

盗賊を立身させて、元老院議員なみの爵位や権威や栄誉を与えるやつなのだ。

枯れしぼんだ古後家を再婚させるのもこいつだ、

……やい、罰当たりな土くれめ、

……娼婦め」


〔・・・〕

シェイクスピアは貨幣についてとくに二つの属性をうきぼりにしている。


(1) 貨幣は目に見える神であり、一切の人間的なまたは自然的な諸属性をその反対のものへと変ずるものであり、諸事物の全般的な倒錯と転倒とである。それはできないことごとを兄弟のように親しくする。


(2) 貨幣は一般的な娼婦であり、人間と諸国民との一般的な取りもち役である。

Shakespeare hebt an dem Geld besonders 2 Eigenschaften heraus:


1. Es ist die sichtbare Gottheit, die Verwandlung aller menschlichen und natürlichen Eigenschaften in ihr Gegenteil, die allgemeine Verwechslung und Verkehrung der Dinge; es verbrüdert Unmöglichkeiten;


2. Es ist die allgemeine Hure, der allgemeine Kuppler der Menschen und Völker.


貨幣が一切の人間的および自然的な性質を転倒させまた倒錯させること、できないことごとを兄弟のように親しくさせることーー神的な力――は、人間の疎外された類的本質、外化されつつあり自己を譲渡しつつある類的本質としての、貨幣の本質のなかに存している。貨幣は人類の外化された能力である。

私が人間としての資格においてはなしえないこと、したがって、貨幣はこれらの各本質諸力のいずれをも、それがそれ自体としてはそうでないようなあるもの、すなわち反対のものに変ずるのである。

Die Verkehrung und Verwechslung aller menschlichen und natürlichen Qualitäten, die Verbrüderung der Unmöglichkeiten – die göttliche Kraft –des Geldes liegt in seinem Wesen als dem entfremdeten, entäußernden und sich veräußernden Gattungswesen der Menschen. Es ist das entäußerte Vermögen der Menschheit.

Was ich qua Mensch nicht vermag, was also alle meine individuellen Wesenskräfte nicht vermögen, das vermag ich durch das Geld. Das Geld macht also jede dieser Wesenskräfte zu etwas, was sie an sich nicht ist, d.h. zu ihrem Gegenteil.

(マルクス『経済学・哲学草稿』Karl Marx, Ökonomisch-philosophische Manuskripte, 1844年)




マルクスの生涯はこの神なるマネー、娼婦なるマネーとの闘いだった。



◼️絶対的な致富欲動[absolute Bereicherungstrieb]

使用価値は、けっして資本家の直接目的として取り扱われるべきではない。個々の利得もまたそうであって、資本家の直接目的として取り扱われるべきものは、利得の休みなき運動[rastlose Bewegung des Gewinnens]でしかないのだ。こういう絶対的な致富欲動[absolute Bereicherungstrieb]ーーこういう情熱的な価値追求は、資本家にも貨幣蓄蔵者にも共通のものではあるが、しかし貨幣蓄蔵者が狂気の資本家でしかないのに対して、資本家のほうは合理的な貨幣蓄蔵者である。 貨幣蓄蔵者は、価値の休みなき増殖[rastlose Vermehrung des Werts]を、貨幣を流通から救いだそうとすることによって追求するが、より賢明な資本家は、貨幣をつねに新たに流通にゆだねることによって達成するわけである。

Der Gebrauchswert ist also nie als unmittelbarer Zweck des Kapitalisten zu behandeln . Auch nicht der einzelne Gewinn, sondern nur die rastlose Bewegung des Gewinnens. Dieser absolute Bereicherungstrieb, diese leidenschaftliche Jagd auf den Wert ist dem Kapitalisten mit dem Schatzbildner gemein, aber während der Schatzbildner nur der verrückte Kapitalist, ist der Kapitalist der rationelle Schatzbildner. Die rastlose Vermehrung des Werts, die der Schatzbildner anstrebt, indem er das Geld vor der Zirkulation zu retten sucht, erreicht der klügere Kapitalist, indem er es stets von neuem der Zirkulation preisgibt.

(マルクス『資本論』第一巻第二篇第四章第一節)



◼️生産過程の媒介なしで金儲けしようとする妄想

貨幣-貨幣‘ [G - G']・・・この定式自体、貨幣は貨幣として費やされるのではなく、単に前に進む、つまり資本の貨幣形態、貨幣資本に過ぎないという事実を表現している。この定式はさらに、運動を規定する自己目的が使用価値でなく、交換価値であることを表現している。 価値の貨幣姿態が価値の独立の手でつかめる現象形態であるからこそ、現実の貨幣を出発点とし終結点とする流通形態 G ... G' は、金儲けを、資本主義的生産の推進的動機を、最もはっきりと表現しているのである。生産過程は金儲けのための不可避の中間項として、必要悪としてあらわれるにすぎないのだ。 〔だから資本主義的生産様式のもとにあるすべての国民は、生産過程の媒介なしで金儲けをしようとする妄想に、周期的におそわれるのだ。〕

G - G' (…) Die Formel selbst drückt aus, daß das Geld hier nicht als Geld verausgabt, sondern nur vorgeschossen wird, also nur Geldform des Kapitals, Geldkapital ist. Sie drückt ferner aus, daß der Tauschwert, nicht der Gebrauchswert, der bestimmende Selbstzweck der Bewegung ist. Eben weil die Geldgestalt des Werts seine selbständige, handgreifliche Erscheinungsform ist, drückt die Zirkulationsform G ... G', deren Ausgangspunkt und Schlußpunkt wirkliches Geld, das Geldmachen, das treibende Motiv der kapitalistischen Produktion, am handgreiflichsten aus. Der Produktionsprozeß erscheint nur als unvermeidliches Mittelglied, als notwendiges Übel zum Behuf des Geldmachens. (Alle Nationen kapitalistischer Produktionsweise werden daher periodisch von einem Schwindel ergriffen, worin sie ohne Vermittlung des Produktionsprozesses das Geldmachen vollziehen wollen.)

(マルクス『資本論』第二巻第一篇第一章第四節)



◼️狂気の母体としての資本フェティッシュ(資本物神崇拝)

利子生み資本では、自動的フェティッシュ[automatische Fetisch]、自己増殖する価値 、貨幣を生む貨幣が完成されている。

Im zinstragenden Kapital ist daher dieser automatische Fetisch rein herausgearbeitet, der sich selbst verwertende Wert, Geld heckendes Geld〔・・・〕


ここでは資本のフェティッシュな姿態[Fetischgestalt] と資本フェティッシュ [Kapitalfetisch]の表象が完成している。我々が G - G´ で持つのは、資本の中身なき形態 、生産諸関係の至高の倒錯と物件化、すなわち、利子生み姿態・再生産過程に先立つ資本の単純な姿態である。それは、貨幣または商品が再生産と独立して、それ自身の価値を増殖する力能ーー最もまばゆい形態での資本の神秘化である。

Hier ist die Fetischgestalt des Kapitals und die Vorstellung vom Kapitalfetisch fertig. In G - G´ haben wir die begriffslose Form des Kapitals, die Verkehrung und Versachlichung der Produktionsverhältnisse in der höchsten Potenz: zinstragende Gestalt, die einfache Gestalt des Kapitals, worin es seinem eignen Reproduktionsprozeß vorausgesetzt ist; Fähigkeit des Geldes, resp. der Ware, ihren eignen Wert zu verwerten, unabhängig von der Reproduktion - die Kapitalmystifikation in der grellsten Form.  (マルクス『資本論』第三巻第二十四節)

利子生み資本全般はすべての狂気の形式の母である[Das zinstragende Kapital überhaupt die Mutter aller verrückten Formen] (マルクス『資本論』第三巻第二十四節)



マルクスが《ユダヤ人の現世的崇拝の対象は何か。それはボロ儲けである。ユダヤ人の現世的な神とは何か。それはカネである》というときのマネーの実態はこの《利子生み資本》であり、現在なら金融資本である。



金融資本主義とは、上位1%に属する人がいかにしてタダ飯を手に入れるかということだ[finance capitalism is all about how to get a free lunch if you're a member of the one percent. ]

(マイケル・ハドソンMichael Hudson, Finance Capitalism's Self-Destructive Nature, July 18, 2022)

貨幣-貨幣'[M - M' (G - G′)]において、われわれは資本の非合理的形態をもつ。そこでは資本自体の再生産過程に論理的に先行した形態がある。つまり、再生産とは独立して己の価値を設定する資本あるいは商品の力能がある、ーー《最もまばゆい形態での資本の神秘化》である。株式資本あるいは金融資本の場合、産業資本と異なり、蓄積は、労働者の直接的搾取を通してではなく、投機を通して獲得される。しかしこの過程において、資本は間接的に、より下位レベルの産業資本から剰余価値を絞り取る。この理由で金融資本の蓄積は、人々が気づかないままに、階級格差を生み出す。これが現在、世界的規模の新自由主義の猖獗にともなって起こっていることである。

In M-M' we have the irrational form of capital, in which it is taken as logically anterior to its own reproduction process; the ability of money or a commodity to valorize its own value independent of reproduction―the capital mystification in the most flagrant form”. In the case of joint-stock capital or financial capital, unlike industrial capital, accumulation is realized not through exploiting workers directly. It is realized through speculative trades.  But in this process, capital indirectly sucks up the surplus value from industrial capital of the lower level. This is why accumulation of financial capital creates class disparities, without people's awareness. That is currently happening with the spread of neo-liberalism on the global scale.

(柄谷行人、Capital as Spirit“ by Kojin Karatani、2016, 私訳)



イスラエルロビーの核はこの金融資本であり、イスラエルロビーの支配が仮になくなっても金融資本主義が存続する限り、世界の狂気はけっしてなくならない。人はみな、現在の金融資本の具現化としての「ユダヤ人」ではなく、資本の絶対的致富欲動に駆り立てられる「金融資本主義」シシテムに思考の焦点を当てるべきである。


そして、人は「資本」の人格的担い手のポジションに置かれれば、本人が善人であっても、この狂気の囚人になるのである。

資本は自己増殖するかぎりで資本である。それは人間的「担い手」が誰であろうと、彼らがどう考えようと、貫徹されなければならない。それは個々人の欲望や意志とは関係がない。


注)マルクスが資本家を「資本」の人格的担い手として見たことは、株式会社が一般化する時期において、より重要である。そこでは、資本と経営、資本家(株主)と経営者の分離が生じる。その結果、経営者は自らをたんに複雑な仕事をする労働者と見なすようになる。 しかし、「主観的」にどう考えていようと、彼らは資本の自己増殖のために活動せねばならず、さもなければ解雇されるだろう。それはまた、「主観的」には利潤や搾取を否定している「社会主義国家」 の党官僚についてもあてはまる。(柄谷行人『トランスクリティーク』第二部・第2章 P320、2001年)


ーー《彼らはそれを知らないが、そうする[ Sie wissen das nicht, aber sie tun es]》(マルクス『資本論』第1巻「一般的価値形態から貨幣形態への移行」)



……………………


※附記


◼️レーニン V. I. Lenin Anti-Jewish Pogroms Recorded: End of March 1919;

反ユダヤ主義とは、ユダヤ人に対する敵意を広めることを意味する。呪われたツァーリ君主国がその末期を迎えていた頃、無知な労働者や農民をユダヤ人に対して扇動しようとした。ツァーリ警察は地主や資本家と連携して、ユダヤ人に対するポグロムを組織した。地主や資本家は、欠乏に苦しむ労働者や農民の憎悪をユダヤ人に向けてそらそうとした。他の国々でも、資本家が労働者の目をくらませ、労働者人民の真の敵である資本から注意をそらすために、ユダヤ人に対する憎しみを煽っているのをしばしば目にする。ユダヤ人に対する憎悪が根強いのは、地主や資本家への奴隷制が労働者や農民にひどい無知を生み出している国々だけである。ユダヤ人について流布されている嘘や中傷を信じることができるのは、最も無知で虐げられている人々だけである。これは、聖職者が異端者を火あぶりに処し、農民が奴隷制度で暮らし、人々が押しつぶされて言葉を失った古代の封建時代の生き残りである。この古代の封建的な無知は消え去りつつあり、人々の目が開かれつつある。

Anti-Semitism means spreading enmity towards the Jews. When the accursed tsarist monarchy was living its last days it tried to incite ignorant workers and peasants against the Jews. The tsarist police, in alliance with the landowners and the capitalists, organised pogroms against the Jews. The landowners and capitalists tried to divert the hatred of the workers and peasants who were tortured by want against the Jews. In other countries, too, we often see the capitalists fomenting hatred against the Jews in order to blind the workers, to divert their attention from the real enemy of the working people, capital. Hatred towards the Jews persists only in those countries where slavery to the landowners and capitalists has created abysmal ignorance among the workers and peasants. Only the most ignorant and downtrodden people can believe the lies and slander that are spread about the Jews. This is a survival of ancient feudal times, when the priests burned heretics at the stake, when the peasants lived in slavery, and when the people were crushed and inarticulate. This ancient, feudal ignorance is passing away; the eyes of the people are being opened.


労働者人民の敵はユダヤ人ではない。労働者の敵はあらゆる国の資本家である。ユダヤ人の中にも労働者はおり、彼らが多数派を占めている。彼らは、我々と同じように資本に抑圧されている我々の兄弟であり、社会主義闘争の同志である。ユダヤ人の中にも、ロシア人の中にも、あらゆる国の人々の中にもいるように、クラーク、搾取者、資本家がいる。資本家たちは、異なる信仰、異なる国家、異なる人種の労働者間に憎しみを植え付け、煽り立てるために努力している。働かない者は、資本の力と強さによって権力を維持し続ける。金持ちのユダヤ人は、金持ちのロシア人と同様に、そしてあらゆる国の金持ちは、労働者を抑圧し、粉砕し、強奪し、分裂させるために同盟している。

ユダヤ人を拷問し迫害した呪われたツァーリズムを恥じよ。ユダヤ人への憎しみを煽る者、他国への憎しみを煽る者は恥ずべきだ。

資本打倒の闘いにおけるすべての国の労働者の友愛的信頼と闘う同盟万歳!

It is not the Jews who are the enemies of the working people. The enemies of the workers are the capitalists of all countries. Among the Jews there are working people, and they form the majority. They are our brothers, who, like us, are oppressed by capital; they are our comrades in the struggle for socialism. Among the Jews there are kulaks, exploiters and capitalists, just as there are among the Russians, and among people of all nations. The capitalists strive to sow and foment hatred between workers of different faiths, different nations and different races. Those who do not work are kept in power by the power and strength of capital. Rich Jews, like rich Russians, and the rich in all countries, are in alliance to oppress, crush, rob and disunite the workers.

Shame on accursed tsarism which tortured and persecuted the Jews. Shame on those who foment hatred towards the Jews, who foment hatred towards other nations.

Long live the fraternal trust and fighting alliance of the workers of all nations in the struggle to overthrow capital.