このブログを検索

2024年9月30日月曜日

一帯一路の現実

 


Anger氏によるリプライーー、



動画

これが一帯一路の現実だろうな、西側の吸血鬼の舞踏会が終われば、新しい吸血鬼の舞踏会が始まるんだろうよ。


◾️プーチンーードミトリー・キセリョフによるインタビュー

Vladimir Putin answered questions from Dmitry Kiselev.March 13, 2024The Kremlin, Moscow

肝心なのは、このいわゆる「黄金の10億人」が、何世紀にもわたって、500年もの間、他の民族に寄生してきたということだ。〔・・・〕彼ら(西側のエリートたち)は何世紀にもわたって、腹を人肉で満たし、ポケットを金で満たしてきた。しかし、彼らは、吸血鬼の舞踏会が終わりに近づいていることに気付かなければならない。

The point is that this so-called "golden billion" has been practically parasitising on other peoples for centuries, 500 years.(…) They've spent centuries filling their bellies with human flesh and their pockets with money. But they must realise that the vampire ball is ending.

Она заключается в том, что этот так называемый золотой миллиард на протяжении веков, 500 лет, практически паразитировал на других народах.(…) Они привыкли столетиями набивать брюхо человеческой плотью, а карманы - деньгами. Но они должны понять, что бал вампиров заканчивается



◾️ラブロフ:於国際フォーラム「プリマコフ読書会」 2023年11月27日、

Foreign Minister Sergey Lavrov’s remarks and answers to media questions at the Primakov Readings International Forum, Moscow, November 27 2023

私たちは西側諸国の新植民地主義的本能を目の当たりにしている。 500年以上にわたってそうしてきたように、他者を犠牲にして生き続けたいという願望である。 この時代が終わろうとしていることは誰の目にも明らかだ。 彼らはそれを自覚している。

We are witnessing neo-colonial instincts in the West. There is a desire to continue living at the expense of others, as they have been doing for over 500 years. It is clear to everyone that this epoch is coming to an end. They are aware of that.



ロシア組も甘いんだよ、「人間は人間にとって狼」なのは変わらないだろうね、少なくとも「資本=ネーション=国家」のシステムが続く限り。



人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛性向が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃性向も含まれている。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在であるばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃性を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でもあるのだ。人間は人間にとって狼である[Homo homini lupus]といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はいるだろうか。

通例この残忍な攻撃性は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃性は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人―― の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦の身の毛もよだつ事件まで を想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。

自分自身の心の中にも感ぜられ、他人も自分と同じく持っていると前提してさしつかえないこの攻撃性向の存在[Die Existenz dieser Aggressionsneigung, die wir bei uns selbst verspüren können, beim anderen mit Recht voraussetzen]こそは、われわれと隣人の関係を阻害し、文化に大きな厄介をかける張本人だ。そもそもの初めから人間の心に巣喰っているこの人間相互の敵意のために、文化社会は不断に崩壊の危険に曝されている。欲動的情動は理性的打算より強力だから、労働共同体の利害などを持ち出しても、文化社会を繋ぎとめておくことはできないだろう。人間の攻撃欲動を規制し、その発現を心理的反動形成によって抑止するためには、文化はその総力を結集する必要がある。さればこそ文化は、人間を同一化や本来の目的を制止された愛の結びつきへと駆り立てるためのさまざまな方法を動員し、性生活に制限を加え、「隣人を自分自身のように愛せ」などという、本来をいえば人間の本性にこれほど背くものはないということを唯一の存在理由にしているあの理想的命令を持ち出すのだ。

しかし、必死の努力にもかかわらず、これまでのところ文化は、この点で大した成果はあげていない。犯罪人を力で抑える権利を自分にあたえることによって文化は、血なまぐさい暴力が極端に横行することは防ぐことができると考えている。けれども、人間の攻撃性がもっと巧妙隠徹な形であらわれると、もはや法律の網にはひっかからない。われわれはすべて、若いころの自分が他人に託した期待を錯覚だったとして捨て去る日を一度は経験し、他人の悪意のおかげでいかに自分の人生が厄介で苦しいものになるかを痛感するはずである。そのさいわれわれは、争いと競争を人間の活動分野から締め出そうとするからといって文化を責めることはできないだろう。争いと競争はもとより不可欠である。けれども、対立はかならずしも敵対関係を意味する必要はなく、ただ敵対関係を作りだすためのきっかけに悪用されているにすぎない。……

(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第5章、1930年)




資本主義ーーそれは、資本の無限の増殖をその目的とし、利潤のたえざる獲得を追及していく経済機構の別名である。利潤は差異から生まれる。利潤とは、ふたつの価値体系のあいだにある差異を資本が媒介することによって生み出されるものである。それは、すでに見たように、商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業主義と、具体的にメカニズムには差異があっても、差異を媒介するというその基本原理にかんしては何の差異も存在しない。(岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』1985年)


ーー《資本の論理はすなわち差異性の論理であるわけです。差異性が利潤を生み出す。ピリオド、というわけです。》(岩井克人ーー『終りなき世界』柄谷行人・岩井克人対談集、1990)



差異の論理は搾取の論理でもある。



(資本制生産様式において)支配しているのは、自由、平等、所有、およびベンサムだけである。Was allein hier herrscht, ist Freiheit, Gleichheit, Eigentum und Bentham. 


自由! なぜなら、商品──例えば労働力──の買い手と売り手は、彼らの自由意志によってのみ規定されているのだから。彼らは、自由で法的に同じ身分の人格として契約する。契約は、彼らの意志に共通な法的表現を与えるそれの最終成果である。


平等! なぜなら彼らは商品所有者としてのみ相互に関係し、 等価物を等価物と交換するのだから。


所有! なぜなら誰もみな、 自分のものだけを自由に処分するのだから。


ベンサム! なぜなら双方のいずれにとっても、問題なのは自分のことだけだからである。彼らを結びつけて一つの関係のなかに置く唯一の力は、彼らの自己利益,彼らの特別利得、彼らの私益という力だけである。

Bentham! Denn jedem von den beiden ist es nur um sich zu tun. Die einzige Macht, die sie zusammen und in ein Verhältnis bringt, ist die ihres Eigennutzes, ihres Sondervorteils, ihrer Privatinteressen.(マルクス『資本論』第1巻第2篇第4章)

功利理論[Nützlichkeitstheorie」においては、これらの大きな諸関係にたいする個々人の地位、個々の個人による目前の世界の私的搾取[Privat-Exploitation]以外には、いかなる思弁の分野も残っていなかった。この分野についてベンサムとその学派は長い道徳的省察をやった。〔・・・〕この場合、功利関係はきわめて決定的な意味をもっている。すなわち、私は他人を害することによって自分を利する(人間による人間の搾取) ということである[daß ich einem Andern Abbruch tue (exploitation de l'homme par l'homme <Ausbeutung des Menschen durch den Menschen>)](マルクス&エンゲルス『ドイツイデオロギー』「聖マックス」1846年)