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2025年1月6日月曜日

ベアボック恐怖症

 

そうか、握手を拒絶した後は、今度は写真のボカシか。


握手拒絶については種々の憶測が出回っているが、単純に連中は女が恐いんじゃないかね。

昔クルド女性兵士の勇敢さが話題になったとき、次の記事を拾ったことがあるが。


◾️Kurdish women fighters wage war on Islamic State in Iraq [Photo report] 

By David Sim 30 April 2015

女性クルド戦闘員はイスラム国の過激派から恐れられている。彼らは女性に殺されたら地獄に直行すると信じているのだ。

The female Kurdish fighters are feared by Islamic State militants, who believe that they'll go straight to hell if they are killed by a woman.




ベアボックはこれらの女たちよりもさらにズーッと怖そうだからな・・・、別の意味でもさ。

処女性のタブーは、性生活全体を包含する大きな文脈に属している。女性との初性交だけでなく、性交渉全般がタブーであり、ほとんど女自体がタブー[das Weib sei im ganzen tabu]といってもいい。女性の性生活から続く月経、妊娠、出産、産褥の特別な状況においてタブーとされているだけでなく、これらの状況以外でも、女性との性交は深刻かつ非常に多くの制限を受けており、未開人の性的自由と言われるものを疑うだけの理由がある。

確かに原始人のセクシュアリティは、ある時はあらゆる抑制を超越しているが、通常は高次の文化レベルよりも禁止事項によって制限されているように思われる。男は何か特別なこと、遠征、狩り、戦争に参加するやいなや、女性から遠ざかり、特に女性との性交渉を避けなければならない。そうでなければ、彼の力を麻痺させ、失敗をもたらすだろう。日常生活の習慣の中にも、まぎれもなく男女の区別をつけようとする姿勢がある。女性は女性と、男性は男性と一緒に暮らす。多くの原始部族は、私たちの感覚ではほとんど家族生活をしていないと言われている。その分離は時に、一方の性が他方の性の人名を発音することを許されず、女性たちは特別な語彙を持つ言語を発達させるほどである。しかし、ある部族では、夫婦の逢瀬さえも家の外で密かに行わなければならないのである。


原始時代の男がタブーを設置するときはいつでも、或る危険を恐れている。そして議論の余地なく、この忌避のすべての原則には、一般化された女性の恐怖が表現されている。おそらくこの恐怖は、次の事実を基盤としている。すなわち女は男とは異なり、永遠に不可解な、神秘的で、異者のようなものであり、それゆえ敵対的な対象だと。

Wo der Primitive ein Tabu hingesetzt hat, da fürchtet er eine Gefahr, und es ist nicht abzuweisen, daß sich in all diesen Vermeidungsvorschriften eine prinzipielle Scheu vor dem Weibe äußert. Vielleicht ist diese Scheu darin begründet, daß das Weib anders ist als der Mann, ewig unverständlich und geheimnisvoll, fremdartig und darum feindselig erscheint.


男は女によって弱体化されることを恐れる。その女性性に感染し無能になることを恐れる。性交が緊張を放出し、勃起萎縮を引き起こすことが、男の恐怖の原型であろう。性行為を通して女が男を支配することの実現。男を余儀なくそうさせること、これがこの不安の拡張を正当化する。こういったことのすべては古い時代の不安ではまったくない。われわれ自身のなかに残存していない不安ではまったくない。

Der Mann fürchtet, vom Weibe geschwächt, mit dessen Weiblichkeit angesteckt zu werden und sich dann untüchtig zu zeigen. Die erschlaffende, Spannungen lösende Wirkung des Koitus mag für diese Befürchtung vorbildlich sein und die Wahrnehmung des Einflusses, den das Weib durch den Geschlechtsverkehr auf den Mann gewinnt, die Rücksicht, die es sich dadurch erzwingt, die Ausbreitung dieser Angst rechtfertigen. An all dem ist nichts, was veraltet wäre, was nicht unter uns weiterlebte.

(フロイト『処女性のタブー』1918年)



このフロイトだけじゃなく、ドゥルーズのマゾッホ論を思い起こすね、ベアボックを見てると。彼女がどのタイプに見えるかは言わないでおくが。



マゾッホによる三人の女性は、母性的なものの基本的イメージに符合している。Les trois femmes selon Masoch correspondent aux images fondamentales de mère :

すなわちまず原始的で、子宮としてあり古代ギリシャの娼妓を思わせる母、不潔な下水溝や沼沢地を思わせる母がある。la mère primitive, utérine, hétaïrique, mère des cloaques et des marais 


それから、愛を与える女のイメージとしてのエディプス的母、つまりあるいは犠牲者として、あるいは共犯者としてサディストの父親と関係を結ぶことになろう女がある。– la mère œdipienne, image de l'amante, celle qui entrera en rapport avec le père sadique, soit comme victime, soit comme complice 


だがその中間に、口唇的な母がいる。ロシアの草原を思わせ、豊かな滋養をさずけ、死をもたらす母である。– mais entre les deux, la mère orale, mère des steppes et grande nourrice, porteuse de mort.

(ドゥルーズ『マゾッホとサド』「マゾッホと三人の女(Masoch et les trois femmes)」の章、1967年)



ま、彼女に限らず、だいたい女ってのは怖いよ。



女が憎むときは、男はその女を恐れるがいい。なぜなら、魂の底において、男は「たんなる悪意の者 Seele nur böse」であるにとどまるが、女は「悪 schlecht」(何をしでかすかわからない)だから。

Der Mann fürchte sich vor dem Weibe, wenn es hasst: denn der Mann ist im Grunde der Seele nur böse, das Weib aber ist dort schlecht.(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部「老いた女と若い女」1883年)



ボクはシリア古代彫刻の女性像に惚れていてね、




これだったら訓育の手間が省けるよ、《マゾヒストは専制的女性を養成せねばならない。〔・・・〕マゾヒストは本質的に訓育者なのである[Il faut que le masochiste forme la femme despote. ... Il est essentiellement éducateur. ]》(ドゥルーズ『マゾッホとサド』1967年)