ミュンヘン安全保障会議の議長クリストフ・ホイスゲン(Christoph Heusgen)がヴァンス演説を受けて泣いたという話が一部で流通している。
要するにクリストフ・ホイスゲン(Christoph Heusgen)はミュンヘン安全保障会議議長の引退ーー後任はあのイェンス・ストルテンベルグ(Jens Stoltenberg)ーーにあたってのスピーチ最後での個人的涙であって、涙自体はヴァンス演説とは何も関係がないらしい。
ま、でもツイッターってのはこういうもんだな。もっともらしく「哀れな男」とか「幼児化」とかのたぐいを言いたくなる場だ。もって他山の石とすべし。
ワカルカイ? そこのキミに言ってんだよ、誤解してしまったほうがむしろ「哀れな男」あるいは「幼児化」に見えるからな。
ま、ツイッターに限らずこういった誤解はどんな場でも誰にでもあるからな、重要なのは知らんぷりするんじゃなくて、「キャッと叫んでロクロ首」になることだよ。 |
傷が痛みはじめるときの反応は、各人各様で、たとえば作家の牧野信一は、その状況を、 「きゃっと叫んでロクロ首になる」 と、表現し、たしか広津和郎氏だったとおもうが、 「バカバカバカ、と小声で自分を罵る」 ということになる。〔・・・〕 キャッと叫んでロクロ首になることのない人間は、紳士ではない。(吉行淳之介『不作法のすすめ』1973年) |
誤解のないように強調しておけば、ここでの記述自体、自戒として投稿してるからな |
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする[Habituellement, on déteste ce qui nous est semblable, et nos propres défauts vus du dehors nous exaspèrent]。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! (プルースト「囚われの女」) |