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2025年4月9日水曜日

あの時、日本で何が起こったかを考えてみてください

まず前段として岩井克人を引用する。


◼️岩井克人『貨幣論』1993年

貨幣の系譜をさかのぼっていくと、それは「本物」の貨幣の「代わり」がそれ自体で「本物」の貨幣になってしまうという「奇跡」によってくりかえしくりかえし寸断されているのがわかる。そして、その端緒にようやくたどりついてみても、そこで見いだすことができるのは、たんなるモノでしかないモノが「本物」の貨幣へと跳躍しているさらに大な断絶である。無から有が生まれていたのである。いや、貨幣で「ない」ものの「代り」が貨幣で「ある」ものになったのだ、といいかえてもよい。 貨幣とは、まさに「無」の記号としてその「存在」をはじめたのである。……(岩井克人『貨幣論』第3章「貨幣系譜論 」25節「貨幣の系譜と記号論批判」1993年)

人間社会において自己が自己であることの困難と、資本主義社会において貨幣が貨幣であることの困難とのあいだには、すくなくとも形式的には厳密な対応関係が存在しているのである。(岩井克人『貨幣論』第4章「恐慌論」34節「不均衡累積課程から乗数課程へ」注16、1993年)


◼️「インフレはイノベーション促す」岩井克人・東大名誉教授、2023年12月6日

――日本はなぜデフレになったのか。

「経済政策に問題があった。出発点は1985年のプラザ合意だ。米国からの圧力に負け、円高を誘導するために実施した拡張的な財政金融政策はバブルを生んだ。次に、バブル退治の急速な財政金融の引き締めは巨額の不良債権を生みだし、処理に手間取る中でデフレが進んでしまった」


………………


ここからが本題である。



ーー《Wikipedia プラザ合意:2025年,全てに対する「相互関税」を発表するなど貿易赤字を問題視しているトランプ大統領が、米ドル安誘導を目的に「マー・ア・ラゴ合意」にこぎ着けるのではないかとの「第2プラザ合意」臆測が金融関係者の間でささやかれています。[16]》



マイケル・ハドソンインタビュー記事にて、プラザ合意をめぐって「日本で何が起こったか考えてみてください」という発言を拾ったので、その前段も含めて引用する。


◼️マイケル・ハドソン「民間銀行が公的資金に取って代わった経緯」

How Private Banking Replaced Public Money By Michael Hudson, April 8, 2025 

マイケル・ハドソン:問題は政府債務ではなく、民間債務です。政府債務が問題だと主張する人々は、政府を廃止して自ら支配しようとする人々です。


お金に価値を与えるものは何でしょうか?


お金は基本的に公共事業です。西洋文明以前、お金は常に公共部門、つまり宮廷部門に保管されていました。それは、お金に価値を与えるのは、政府が税金の支払いとしてそれを受け入れるからです。お金は常に政府の産物でしたが、19世紀後半には銀行業は徹底的に民営化され、それを支配していた政府の手から奪われ始めました。


銀行は2つの戦略をとりました。1つは、19世紀に独立した新興共和国のようなグローバルな独立国家は債務を返済できないため、イギリスとフランスは国家通貨委員会を設置して政府の財政政策を統制するというものでした。そのため、政府は外国の金融セクターへの課税権と政策決定権を失いました。アメリカ合衆国は対外債務を抱えていませんでしたが、銀行が財務省を連邦準備制度と中央銀行に置き換えました。

そして今日、どの国でも中央銀行の目的は、税制、金融政策、信用創造を政府ではなく商業銀行の手に委ねることです。青銅器時代のメソポタミアのように、政府が債権者となることの利点は、債務の大部分が宮廷に対するものであった場合、宮廷の支配者が債務を帳消しにできたことです。しかし、民間部門のない政府では、債務を帳消しにすることはできません。


Michael Hudson: The problem is not government debt, it’s private debt. People who say that government debt is the problem are people who want to get rid of the government and take it over themselves. 

What gives money its value? 

Money is basically a public utility. Prior to Western civilization, money was always kept in the public sector, in the palace sector, and that’s because what gives money its value is that governments accept it for paying taxes. Money has always been a product of the government, but in the late 19th century, banking began to be thoroughly privatized and taken out of the hands of any government that controlled it. 

The banks did two strategies. One was, if you were a global self-country, one of the new republics that got independent in the 19th century, they couldn’t pay their debts, and so England and France would impose national monetary commissions to take control of the fiscal policy of governments. So governments lost their ability to tax and make policy to the foreign financial sector. In the United States, the United States did not have a foreign debt, but the banks replaced the treasury with the Federal Reserve and the central bank.
And the purpose of central banks today in every country is to take control of tax policy, monetary policy and credit creation in the hands of the commercial banks, not in the hands of the government. Well, the advantage of having the government as the creditor, as it was in Mesopotamia, in the Bronze Age, is that if most debts were owed to the palace, the palace ruler could cancel the debts and write them down. But if you have a government without a private sector, then you can’t write it down.


日本で何が起こったか考えてみてください。あなたは日本について言及しました。日本は不動産購入のための融資をどんどん増やし続けました。そして、不動産、住宅であれオフィスビルであれ、その価値は銀行が融資する金額に比例します。日本の銀行は多額の融資を行い、皇居周辺、銀座地区の不動産だけでもカリフォルニア州全体の価値を上回りました。プラザ合意後、日本は為替レートの引き上げを余儀なくされましたが、アメリカの新自由主義政策を採用し、これらの債務を全て放置しました。


そして、1990年頃までに日本は永続的な不況に陥り、そこから抜け出すことができませんでした。つまり、日本は基本的に民間銀行の利益のために運営されている国に何が起こるかを示す好例です。今、中国は債務を帳消しにする力を持っています。なぜなら、債務は民間銀行への負債ではなく、政府への負債であるため、国内の寡頭政治に打倒される可能性がないからです。そして政府は、最終的には自らが負っている債務を帳消しにすることができます。また、再貸付のために銀行を設立するために借金をした多くの人々に対する債務も帳消しにすることになります。債権者層を一掃することになります。


Look at what happened in Japan. You mentioned Japan. Japan kept lending more and more money to finance the purchase of real estate. And the real estate, housing or an office building, is worth however much a bank would lend to buy it. And the Japanese banks lent so much money that just the real estate around the palace area, the Ginza district, was worth more than the entire state of California. Well, after the Plaza Accord and Japan was obliged to raise its exchange rate, Japan adopted America’s neoliberal policy and left all of these debts in place. 

And so Japan entered a permanent depression by about 1990 that it’s never been able to escape from. So Japan is an example of what happens to a country that basically is run to serve the interests of private sector bankers. In China right now, China has the ability to write down the debts because there’s not going to be a domestic oligarchy that’s going to overthrow it because the debts are not owed to private sector banks, they’re owed to the government. And the government can write down debts that ultimately are owed to itself. You’d also be writing down debts that are owed to a lot of people who borrowed money to create banks to relend. You’d wipe out the creditor class.


中国、そして数千年にわたるアジアの発展の理念は、商人階級や債権者階級によって運営されない社会を築くことでした。彼らはいわば社会構造の底辺に位置していました。そしてアジアは、西洋文明とは異なり、まさにその理念を持っていました。


しかし、前世紀、アメリカと西洋文明の影響下でアジアは西洋化され、今では借金倫理に陥っています。借金の社会的影響を考慮せずに、借金はすべて返済しなければならないというのです。そして、その社会的影響は、生活水準の慢性的な低下と人口減少です。日本を見ればわかるように、借金に苦しむ国民は、家族形成が衰退し、出生率も低下し、経済は縮小に陥ります。バルト諸国や旧ソ連諸国でも同じことが起こっています。


And the whole idea of Chinese and also all of Asian development for thousands of years has been to create a kind of society that is not run by the merchant class or the creditor class, they’re sort of at the bottom of the social structure. And Asia had that, unlike the case of Western civilization. 

But under US influence and Western civilization in the last century, Asia has been westernized and it’s now fallen into the same debt ethic that somehow all of the debts have to be paid without taking into account what the social consequences of these are. And the social consequences are to move into a chronic decline in living standards, a decline in population. You end up looking at Japan where if you’re a debt-ridden population, family formation falls off, fertility rates fall off, you end up to be a shrinking economy. Same thing in the Baltic states and the post-Soviet states.



バブルとバブル崩壊は過去の問題ではない。これは晩年の古井由吉が繰り返し語っていたことだ。


バブル崩壊というのはとても大きな事件で、今の若い人でも、バブルのころに親が中年だったり、あるいは自身が青年だったりして、バブルの後遺症を引きずっていると思うんです。それは孫たちにも伝わっている。ところが、バブルの総括がなかなかできない。年々先送りで来たせいでしょう。(古井由吉「しぶとく生き残った末裔として」聞き手:富岡幸一郎 「すばる」2015.9)


二十世紀のことを前世期といいにくいのは、二十世紀を総括しかねているからです。二十世紀とは、日本では日露戦争の直後からバブルが崩壊する頃までです。この間の変動を一つのまとまった時代と摑みがたいわけです。(「キノノキ」古井由吉×平野啓一郎 特別対談、2017年)


十九年を振り返っても、自分が年を取ったということのほかは、にわかに格別の感慨も湧かない。長年の仕事の抜け落ちたその跡の空白に、さまざまな記憶が集まってくるのにも、まだ間がかかる。

芥川賞の選考会の末席に私が加わったのは昭和六十一年、一九八六年の一月のことなので、後にバブルと呼ばれた過剰流通景気のいよいよ走り出す直前にあたる。その崩落の事後処理はいまだに終っていない。


この間に倒れた、あるいは重傷を負った多数の犠牲者のことを考えれば、もうひとつの戦中と戦後だとも言える。文学もその変動の波間に吞まれた、と岸から見た人もあるだろう。(古井由吉『楽天の日々』「文学は可能か」の泥沼で、2017年)


僕も、文学が残る、やがて必要とされるとかたく信じていますけれども、差し当たっては厳しい。人がそれほど強く求めていないということは確かです。〔・・・〕

だけど、今の世の中は行き詰まると思う。日本だけではありません。世界的に。そのときに何が欠乏しているか。欠乏を心身に感じるでしょう。そのときに文学のよみがえりがあるのではないかと僕は思っています。〔・・・〕

空白の中で誰かが粘っていなければ、いざというときに継ぎようがない。バブル崩壊の後遺症を誰かがそろそろ書かないといけないと思います。(古井由吉「群像」2015年7月号 堀江敏幸対談)





私は「枯木の林」の《物をまともに考えるには足もとが、底が抜けたような時代に入っていた》という文にまずは打たれた、ああ、あのバブル期の私だ、と。


窓の下の人の足音に睡気の中を通り抜けられる間も、血のさわさわとめぐるのを感じていて、これは自分の内で年月が淀みなく流れはじめたしるしかしら、それなら年と取っていくのはすこしも苦しくない、と思ったりした。隣の部屋では自分から方針を定めて受験の準備にかかった娘が、起きているのか寝ているのか、ひっそりともしない。要求がましいことは言わないかわりに、家の内で日々に存在感を増していく。朝起きて来て母親の顔を見て、元気になったようねと言うので、そんなに落ちこんでいたとたずねると、いえ、ぜんぜん、と答える。あの子が生まれるまで、自分はどんなつもりで暮らしていたのだろう、と女は寝床の中から振り返って驚くことがあった。人よりは重い性格のつもりでも、何も考えていなかった。まだ三十まで何年かある若さだったということもあるけれど、物をまともに考えるには足もとが、底が抜けたような時代に入っていた。世間は未曾有の景気と言われ、余った金が土地などの投機に走り、その余沢からはずれたところにいたはずの自身も、後から思えば信じられないような額の賞与を手にすることがあった。ましてや有卦に入った会社に勤めて三十代のなかばにかかっていた夫は、当時の自分から見ても、罰あたりの年収を取っていた。


罰あたりという感覚はまだ身についてのこっていたのだ。世の中の豊かになっていくその谷間にはまったような家に育って、両親には早くに死に別れ、兄姉たちも散り散りになった境遇だけに、二十代のなかばにかかるまでは、周囲で浮き立つような人間を、上目づかいはしなかったけれど、額へ髪の垂れかかる感じからすると、物陰からのぞくようにしていた。その眼のなごりか、景気にあおられて仕事にも遊びにも忙しがる周囲の言動の端々から洩れる、投げやりのけだるさも見えていた。嫌悪さえ覚えていた。それなのに、その雰囲気の中からあらわれた、浮き立ったことでも、けだるさのまつわりつくことでも、その見本のような男を、どうして受け容れることになったのか。男女のことは盲目などと言われるけれど、そんな色恋のことでもなく、人のからだはいつか時代の雰囲気に染まってすっかり変わってしまうものらしい。自分の生い立ちのことも思わなくなった。


その頃には世の中の景気もとうに崩れて、夫の収入もだいぶしぼんで、先々のことを考えてきりつめた家計になっていた。どんな先のことを考えていたのだろうか、と後になって思ったものだ。会社を辞めることにした、と夫は年に一度は言い出す。娘の三つ四つの頃から幾度くりかえされたことか。なにか先の開けた商売を思いつくらしく、このまま停年まで勤めて手にするものはたかが知れているなどと言って、一緒に乗り出す仲間もいるようで、明日にでも準備にかかるような仔細らしい顔をしていたのが、やがて仲間のことをあれこれののしるようになり、そのうちにいっさい口にしなくなる。その黙んまりの時期に、家に居ればどこか半端な、貧乏ゆすりでもしそうな恰好で坐りこんでいたのが、夜中にもう眠っている妻の寝床にくる。声もかけずに呻くような息をもらして押し入ってくるので、外で人にひややかにされるそのかわりに家で求めるのだろう、とされるにまかせていると、よけいにせかせかと抱くからだから、妙なにおいが滴るようになる。自分も女のことだから、よそのなごりかと疑ったことはある。しかし同棲に入る前からの、覚えがだんだんに返って、怯えのにおいだったと気がついた。なにかむずかしいことに追いつめられるたびに、そうなった。世間への怯えを女の内へそそごうとしている。(古井由吉「枯木の林」初出2008年『蜩の声』所収) 


…………

※附記


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