このブログを検索

2025年4月9日水曜日

大局が見えない至高の通俗道徳家

 

しかし、キミたちはホントに大破局は目に見えないんだな、大破局と言わずに「大局」、あるいは「大問題」が見えない、と言ってもいいが。

分裂病親和者と執着気質者

農耕社会の強迫症親和性〔・・・〕彼らの大間題の不認識、とくに木村の post festum(事後=あとの祭)的な構えのゆえに、思わぬ破局に足を踏み入れてなお気づかず、彼らには得意の小破局の再建を「七転び八起き」と反復することはできるとしても、「大破局は目に見えない」という奇妙な盲点を彼らが持ちつづけることに変わりはない。そこで積極的な者ほど、盲目的な勤勉努力の果てに「レミング的悲劇」を起こすおそれがある--この小動物は時に、先の者の尾に盲目的に従って大群となって前進し、海に溺れてなお気づかぬという。(中井久夫『分裂病と人類』第1章、1982年)


執着気質的職業倫理〔・・・〕この倫理、二宮に従えば「こまごまと世話をやいてこそ人道は立つもの」であるという認識に立つ倫理は、その裏面として、「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するするものである。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』第2章「執着気質の歴史的背景」1982年)


農耕社会の強迫症親和性、つまり執着気質的職業倫理の日本人はだいぶ減っていると思っていたがね。

つまり、勤勉と工夫で生きるマジメな人は。

勤勉と工夫に生きる人は、矛盾の解決と大問題の処理が苦手なのだ。そもそも大問題が見えにくい。そして、勤勉と工夫で成功すればするほど、勤勉と工夫で解決できる問題は解消して、できない問題だけが残る。(中井久夫『「昭和」を送る』初出「文化会議」 1989年)


僕はこのタイプではまったくないにしろ、分裂病親和者でもないんだけどな。


私は一方では、分裂病になる可能性は全人類が持っているであろうと仮定し、他方では、その重い失調形態ならば軽うつ状態をはじめ、心気症などいろいろありうると思う。


分裂病親和性を、木村敏が人間学的に「ante festum(祭りの前=先取り)的な構えの卓越」と包括的に捉えたことは私の立場からしてもプレグナントな捉え方である。別に私はかつて「兆候空間優位性」と「統合指向性」を抽出し、「もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」と述べた(兆候が局所にとどまらず、一つの全体的な事態を代表象するのが「統合指向性」である)。(中井久夫『分裂病と人類』第1章、1982年)


ま、ときにいくらかもっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」ところがないではないがね。さらに言えば、恐怖よりも憧憬のほうが強いかも。



中井久夫は執着気質的職業倫理と、安丸良夫の名高い「通俗道徳」を結びつけつつ、次のように記しているけどね。

では、わが国の歴史において、執着気質的職業倫理が登場するのはいつの頃であろうか。それは意外に最近である。具体的にいえば、地方によって違うが、おおよそ江戸中期以後、すなわち十八世紀後半とみてよい。近世民衆道徳の数少ない、すぐれた研究者の一人である安丸良夫によれば、この倫理ーー彼が「通俗道徳」と呼ぶものーーの出現は江戸中期の農村の様相を一変させるだけの力があったらしい。


安丸の引く前田正治の『日本近世村法の研究』所載の、わが国の村法集に照らせば、飲酒や博奕の禁止、踊り、芝居、三味線、長唄などの制限、婚礼・葬式・節句などの簡略化、夜遊びや夜話の制限あるいは禁止、髪飾り、傘、下駄、羽織などの制限、勤労の強調や規定、親孝行や村内の和合 、等に主要な関心が払われるのは、博奕の禁止が近世初頭からのことであるのを除けば、ほぼ天明期(1781一88年)以降のことである。そして二宮尊徳(1787-1856)や大原幽学(1797-1858)がするどく問題にしたのもこれらの事柄である。近代以前の農村に存在した「この世の楽しみ」、たとえば祭りの行事、踊り、芝居、若連中や娘宿、さまざまな講、よばいなども次第に禁止され、代わって禁例、勤勉、倹約、孝行、忍従、正直、早起き、粗食などが、事実はそのとおりでないにしても、美徳、当為として受容されるようになる。


われわれはこれらの徳目の忠実な実践者では必ずしもないし、わが国の、とくに僻遠の諸村落にこれらの徳目が成立する以前の慣習が残存していることは、それらを対象とする「民俗学」がいくぶん美化して記述しているとおりである。


しかし、これらの徳目はわれわれになお巨大な強制力をふるっている。われわれは、多くの新興宗教がこれらの徳目をくり返しくり返し再提出するのをみるであろう。厳密にいえばかなりの新興宗教はこれらの徳目の重圧への、しばしば激烈な反動として出発するのだが、社会に受容される過程でこれらの徳目を、はじめは安全証明として採り入れ、次第にこれと習合してゆく。西欧化された知識人すら例外でない。彼らの外国批判が、還元すればこれらの徳目に照らしての批判にすぎないことは、例を挙げる暇のない位である。もっとも価値自由的であるべきわれわれ精神科医にとってさえ、これらの徳目が意識的・無意識的に、開かれた態度で病者をみる妨げとなっていないとは言えない。社会的合意からみての少数者である分裂病者に対しては、治療者におけるとくに大きな眼の梁となりうる。うつ病者に対しても、彼らを失調させたものに対してわれわれが中立的な態度をとることを難しくし、たかだか、そのきびしさの「ゆるめ」をすすめることに終わりやすい。うつ病気者はあまりにも文字通り「社会復帰」し、そして再発をくり返す。(中井久夫『分裂病と人類』第2章「執着気質の歴史的背景」1982年)


1982年の記述だが、当時には《これらの徳目はわれわれになお巨大な強制力をふるっている》とある。で、21世紀のこの今は、この江戸時代に発生した通俗道徳倫理から日本人はまだ十分には免れていないんだろうか。ーーさあてね。


次の記述は時期的には通俗道徳発生期以前も含む指摘である。



江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。特に家康の決めた「祖法」は変更を許されなかった。その下で、江戸期の特徴は航海術、灌漑技術、道路建設、水道建設、新田開発、手工業、流通業、金融業の発達である。江戸は人口百万の世界最大都市となり、医師数(明治二年で一万人)も国民の識字率もおそらく世界最高であった。江戸期に創立された商社と百貨店と多くの老舗は明治期も商業の中核であり、問屋、手形、為替など江戸の商業慣行は戦後も行なわれて、「いまだ江戸時代だ」と感じることがたくさんあった。(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」初出2007年6月「神戸新聞」『日時計の影』所収)



一九八〇年代後半になっても、いまだ江戸時代に築かれた対人関係の暗黙のルールが生きているのではないかということである。われわれの職場にいくらコンピューターがはいっても、職場の対人関係は、江戸時代の侍同士の対人関係や徒弟あるい丁稚の対人関係、または大奥の対人関係と変わらない面がずいぶんあるということである。政治にも、官僚機構にも、変わっていない面があるのではないか。非公式的な集まりである運動部や、社会体制に批判的な政党や運動体においても、そういう面があるのではないか。(中井久夫「意地の場について」初出1987年『記憶の肖像』所収)


ーーサラリーマンの人間関係自体が江戸時代の対人関係システムかもよ。



話を戻そう。私は学生時代、安丸良夫の『日本の近代化と民衆思想』をチラ読みしただけで、いまは手元にまったくないんだが、ネット上でいくつか拾ったので掲げておくよ、どうぞ参考までに。


◼️『文明化の経験』2007年

この議論の要点は、戦後日本の啓蒙主義的な時代思潮のなかでは前近代的とか封建的などとされて来た『通俗道徳』(勤勉、倹約、孝行、正直などの民衆的な日常道徳)が、じつは民衆の自己規律と自己鍛錬の様式であり、こうした形態をとった自己規律・自己鍛錬を通じて膨大な人間的エネルギーが発揮され、それが近代化していく日本社会をその基底部で支えたのだということにあります。(安丸良夫『文明化の経験  近代転換期の日本』2007年)

『通俗道徳』は、その時代の多くの人びとの日常意識において納得されうる普遍性と価値性をもち、生活上の諸現象を因果的に説明することのできる論理となっている。(安丸良夫『文明化の経験  近代転換期の日本』2007年)



◼️『日本の近代化と民衆思想』1974年

(通俗道徳は)元禄・享保期に三都とその周辺に始まり、近世後期にほぼ全国的な規模で展開し、明治二〇年代以降に最底辺の民衆までまきこんだ、といえよう。石田梅岩と心学、二宮尊徳と報徳社、大原幽学、中村直三のようなたくさんの老農、後期国学、黒住教・金光教・天理教・不二道・丸山教などの民衆的諸宗教、真宗史における妙好人などがそれであり、有名無名の地方の指導者、農民一揆や民権運動に参加した豪農や民衆、民俗学者のいう故老や世間師などの思想も(それに該当する)。(安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』1974年)

富や幸福をえた人間が道徳的に弁護されており、貧乏で不幸な人間は、富や幸福から疎外されるとともに、その事実によって道徳からも疎外されているのだ、と判定されてしまう。こうして、成功者たちは、道徳と経済の、そしてまたあらゆる人間的領域における優越者となり、敗北たちは、反対に、富や幸福において敗北するとともに道徳においても敗北してしまう。そして、成功しようとすれば通俗道徳のワナにかかって支配秩序を安定化きせることになってしまう。(安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』1974年)

こうした通俗道徳には、たくさんの人々の真摯な自己鍛錬の努力がこめられていたこと、こうした自己鍛錬によってある程度の経済的社会的地位を確保しうるということが、この通俗道徳に容易に反駁しえない正当性をあたえていた。道徳的な優者が経済的社会的優越者でもある、という表象がつくられたこの表象は一つの虚偽意識であることはいうまでもないが〔・・・〕道義的に敗北させるということが、イデオロギー闘争においてはもっとも有効なのだ。〔・・・〕"自己責任"の論理が、広汎な人々の批判の目をとざしてしまった。(安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』1974年)




◼️『日本ナショナリズム前夜』1977年

模範村の秩序原理は、強力な普遍性をもった虚偽意識(イデオロギー)となった。天皇制国家主義は、そうした秩序原理を吸いあげて編成構築されたものであるがゆえに、広汎な民衆にとって、容易には反論しがたい正統性のこめられたものだった。(安丸良夫『日本ナショナリズム前夜』1977年)

通俗道徳的自己規律は、人々の全人間的な努力を、支配体制を下から安定化する形態へと誘導していく導管であり、くり返して再生産される社会体制の保守的な基盤(幕藩制においても、近代天皇制国家においても)であった。(安丸良夫『日本ナショナリズム前夜』1977年)

近代日本の支配イデオロギーを天皇制国家主義とよぶとすれば、それは、一方では文明開化=欧化の論理を、他方では通俗道徳型の民衆思想を、それぞれそのもっとも重要なある本質的部分を骨抜きにしながら、天皇制絶対主義のもとに包摂したものだった。(安丸良夫『日本ナショナリズム前夜』1977年)

通俗道徳は、〔・・・〕民衆が家を単位としたその生活を維持し発展させてゆくさいの自己規律の原理であり、その本質は民衆の家エゴイズムであった。〔・・・〕

国家は、民衆のエゴイズムをふまえて公的な価値観をつくりあげているのだから、批判者たちは容易に社会的な異端者だとされ、それゆえに暴力装置による抑圧も当然のことだとされてしまう。(安丸良夫『日本ナショナリズム前夜』1977年)

ナショナリズムがナショナリズムたりうる本質的な契機は、それが一方では大多数の国民の利害関心のなかにふかく根をおろしながら、他方では、しかもその利害関心を擬似普遍的な価値へと昇華して、多数の国民の能動的な献身を獲得することである。(安丸良夫「日本ナショナリズム前夜」1977年)



ここでは天皇制イデオロギー信者を除外して、ナショナリストかつエゴイストのみを抽出して言えば、そこのキミたちにピッタンコかもしれないよ。


フロイトにとってはナショナリズムは、《些細な差異のナルシシズム[Narzißmus der kleinen Differenzen]》におおむね関わるんだがね[参照]。もちろんこれは日本人に限らないんだが、この手のナルシシストは日本にはウヨウヨいるよ。それに勤勉と工夫の人が合わさったら、「大局が見えない至高の通俗道徳家」かもな。



ま、いずれにせよ、大半のキミたちがヴェイユの云うエゴイズムやってるのは確かだろ?

一般にエゴイズムといわれるものは自己愛ではなく、遠近法の効果である。人は、自分がいるところから見える物の配置が変わることを悪と呼び、その地点から少し離れたものは見えなくなってしまう。中国で十万人の大虐殺が起こっても、自分が知覚している世界の秩序は何の変化もこうむらない。だが一方、隣で仕事をしている人の給料がほんの少し上がり、自分の給料が変わらなかったら、 世界の秩序は一変してしまうであろう。それを自己愛とは言わない。人間は有限である。だから、正しい秩序の観念を、自分の心情に近いところにしか用いられないのである。


Ce qu'on nomme généralement égoïsme n'est pas amour de soi, c'est un effet de perspective. Les gens nomment un mal l'altération d'un certain arrangement des choses qu'ils voient du point où ils sont ; de ce point, les choses un peu lointaines sont invisibles. Le massacre de cent mille Chinois altère à peine l'ordre du monde tel qu'ils le per-çoivent, au lieu que si un voisin de travail a eu une légère augmenta-tion de salaire et non pas eux, cet ordre est bouleversé. Ce n'est pas amour de soi, c'est que les hommes étant des êtres finis n'appliquent la notion d'ordre légitime qu'aux environs immédiats de leur coeur.

(シモーヌ・ヴェイユ 「前キリスト教的直観」Intuitions pré-chrétiennes )


この文自体、大問題は目に見えないエゴイストを語ってる。ここから安丸良夫の通俗道徳までには半歩ぐらいしかないかもよ。