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2025年4月15日火曜日

無知のパッション

 


この図表は「トゥキュディデスの教え」で掲げたところだが、ま、気持ちはわかるが虚しくなってもしょうがないところはあるよ。


人には無知のパッションがあるからな。


人には三つの根源的パッションがある。


想像界と象徴界の交差点にある「愛」

想像界と現実界の交差点にある「憎悪」

現実界と象徴界の交差点にある「無知」である。


les trois passions fondamentales…


- à la jonction du symbolique et de l'imaginaire…qui s'appelle l'amour,  

- à la jonction de l'imaginaire et du réel, celle qui s'appelle la haine ,   

- à la jonction du réel et du symbolique, celle qui s'appelle l'ignorance.  

(Lacan, S1, 30 Juin 1954)


無知のパッション、すなわち何も知りたくないパッション[passion de l'ignorance… c'est de cela qu'il ne veut rien savoir] (Lacan S20, 15 Mai 1973)   




で、愛のパッションと憎悪のパッションはみなさん日々やってることだな。でも、これだって無知だろ? ーー《憎悪は愛の親である[la haine est parente de l'amour]》(ラカン, S24, 10 mai 1977)


愛憎コンプレクス[ Liebe-Haß-Komplex](フロイト『鼠男』第2章、1909年)

憎悪は対象にたいする関係としては愛よりも古い[Der Haß ist als Relation zum Objekt älter als die Liebe](フロイト『欲動とその運命』1915年)

愛は非常にしばしば「アンビヴァレンツ」に、つまり同一の対象にたいする憎悪衝動をともなって現れる[Liebe …daß sie so häufig »ambivalent«, d. h. in Begleitung von Haßregungen gegen das nämliche Objekt auftritt. ](フロイト『欲動とその運命』1915年)



さらに、これも無知じゃないかい?ーー《愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない[les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime]》(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第2版、1970年)

とすれば、パッションってのは全部無知だよ。


芥川みたいに自殺しないためには、人間ってのはもともとそういうもんだと早いとこ悟ることだよ、

そのうちに又あらゆるものの譃であることを感じ出した。政治、実業、芸術、科学、――いずれも皆こう云う僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかった。(芥川龍之介『歯車』昭和2年)