ははあ、こんな画像があるのか、知らなかったね、噂の東野篤子さんはなかなか世論啓蒙に貢献してるじゃないか。
で、「転向者」篠田英朗くんをあまりイジメちゃダメだよ、こんな風にさ。
僕も2年ぐらい前まではイジメ投稿をしたことがあるがね
とかで。
でも折角、彼は「転向」したんだからさ、遅くてもしないよりはマシだよ。むしろ最近の篠田センセの発話は、まさに前回示した「他者非難は自己非難の投射であり、自己を語る遠回しの方法」の実践として「優しく」見守ってあげることが大事だよ。
僕はこの3年のあいだ何度かこの写真を掲げてきたがね、
いまイジメるなら、この6人のなかでは篠田英朗くん以外だよ
特にイジメの対象は、過去に親露派に対して「池内恵と細谷雄一の「工作員」発言」したような人物で、いまだ知らんぷりしてる連中だな
なおミアシャイマーがルサンチマンか、篠田英朗くんがルサンチマンかはいざ知らず?、おおむねニーチェ起源として利用されることの多いこの語のドゥールーズ版とニーチェ自身からもいくら引用しておこう。 |
ルサンチマン。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする[Le ressentiment : c'est ta faute, c'est ta faute... Accusation et récrimination projectives. C'est ta faute si je suis faible et malheureux. 反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「ルサンチマン」となる。ひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その〈力〉から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」 La réaction devient quelque chose de senti, « ressentiment », qui s'exerce contre tout ce qui est actif. On fait « honte » à l'action : la vie elle-même est accusée, séparée de sa puissance, séparée de ce qu'elle peut. L'agneau dit : je pourrais faire tout ce que fait l'aigle, j'ai du mérite à m'en empêcher, que l'aigle fasse comme moi... (ドゥルーズ『ニーチェ』1965年) |
|
貴君が奴らの言葉だけを信頼していたら、ルサンチマンをもつ人間どもばかりの間にいるのだということに感づくであろうか?…… Würden Sie ahnen, wenn Sie nur ihren Worten trauten, daß sie unter lauter Menschen des Ressentiment sind?...(ニーチェ『道徳の系譜』1887年) |
猛禽は幾らか憐憫の眼を向けながら、おそらく独り言を言うだろう、《俺たちは奴らを、あの善良な仔羊どもを毛ほども憎んでなんかいない。俺たちは奴らを愛してさえいる、柔らかい仔羊より旨いものはないからな》と。[daß die Raubvogel dazu ein wenig spöttisch blicken werden und vielleicht sich sagen: »wir sind ihnen gar nicht gram, diesen guten Lämmern, wir lieben sie sogar: nichts ist schmackhafter als ein zartes Lamm.« ](ニーチェ『道徳の系譜』第1論文13節、1887年) |
とはいえ、誰が食べ頃なんだろうか? |
……………
ところで、いま見たら「現代ビジネス」にこんなのもあるよ |
◼️欧米批判に終始…プーチン大統領が世界中の陰謀論者に訴える「破綻したメッセージ」 「ルサンチマンの道徳論」その波及力 篠田英朗 2023.03.16 |
プーチン大統領が世界中の陰謀論者にアピールしているルサンチマンの道徳論は、残念な現実の一様相として、認識し分析していかなければならない。だがそれは弱者のルサンチマンの道徳論である。ルサンチマンに基づく行動に、建設的な未来はない。 強者は、それを反省的に捉えていく視点を持つべきではあるだろう。だが弱者におもねるだけでは、何も生まれない。それどころか永遠のルサンチマンの発露が繰り返されていくだけだ。 国際秩序の維持には困難が伴う。反省的な思弁も必要ではあるだろう。しかし大枠では、現代国際秩序を維持すべき者たちが、現代国際秩序を維持するための努力を惜しむようでは、待ち受けているのは永遠のルサンチマンの発露による混乱だけである。 |
さっきのミアシャイマールサンチマンツイートーー《ミアシャイマーが、 DCの外交エリートに根深いルサンチマン (怨恨)を持っていることを今回、痛感した。日本でも、 日本外交の基軸に対するルサンチマンの有無程度が、 親露派である度合いを見極めるポイント。》ーーは行き当たらないから削除してるんだろうが、これは残っちゃってるね、念の為、スクショしとくよ。
マズイな、この投稿はひょっとして至高のイジメになっちまったかもな。
反省しとかないとな、頽廃の時代に生きる「意図せざる?」自らの残酷性について。 |
人はよく頽廃の時代はより寛容であり、より信心ぶかく強健だった古い時代に対比すれば今日では残酷性が非常に少なくなっている、と口真似式に言いたがる。しかし、言葉と眼差しによる危害や拷問は、頽廃の時代において最高度に練り上げられる。 nur so viel gebe ich zu, dass jetzt die Grausamkeit sich verfeinert, und dass ihre älteren Formen von nun an wider den Geschmack gehen; aber die Verwundung und Folterung durch Wort und Blick erreicht in Zeiten der Corruption ihre höchste Ausbildung](ニーチェ『悦ばしき知』23番、1882年) |