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2025年6月24日火曜日

いのちのあかし

 

彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンスにふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。j'étais froid devant des beautés qu'ils me signalaient et m'exaltais de réminiscences confuses ; …je m'arrêtai avec extase à renifler l'odeur d'un vent coulis qui passait par la porte. « Je vois que vous aimez les courants d'air », me dirent-ils. (プルースト「ソドムとゴモラ」)

私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。〔・・・〕最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての少年の私だった。

je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…] Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, (プルースト「見出された時」)


……………


いやあ、眩暈のするようなツイートだ、久しぶりに震えたよ。



なるちゃん@美容@Narururu_v 2025年6月23日


万博に行ってきた。予約も要らないとあるパビリオンで、人生の価値観が少し変わってしまうような不思議な体験をしたので語りたい。


今回1週間前と3日前予約戦争に敗北、朝も寝過ごし当日予約すらゼロで万博に挑む事になった。予約必須の人気パビリオンに行かないと正直ショボいと聞いており期待値がかなり下がった状態。その場で入れるパビリオンをぷらぷら回ってた。この時はまさかこんな体験をするとは思っても無かった。


その建物は突然目の前に現れた。外見はあまり見栄えしないものだった。木を使った割とシンプルな建物。各国のプライドが感じられる豪華絢爛な建築物に見慣れたのもあり、休憩スペースなのかパビリオンなのかもよく分からなかったというのが正直な感想。ただ34℃屋根なしの外気が暑過ぎて「とりあえずクーラーの効いた部屋で椅子に座れれば何でもいい」そんな気持ちで入った。ただ、入口に少し違和感があったのだけ覚えている。







木で出来た扉を開ける。木枠が曲がってるのかガタガタして開けづらい。トイレに2億円かけるなら綺麗な休憩所を作れと思った。少し力を込めるとガラッと扉が開く、瞬間クーラーの冷気がビュッと顔に吹いてきて、汗ばむ私は勝利を確信した。

正方形に近い室内には椅子が縦横等間隔に一席ずつ並んでいた





混んでいた訳では無いが椅子はほとんど埋まっていた。1番前には中程度の大きさのモニターがあり、その映像を見る展示の様だった。座っていたほとんどが40代以上で、皆クーラー求めて辿りついたのかな一緒一緒~笑 なんて思いながら真ん中辺りの空いてる席にサッと向かい、腰を下ろした。その時だ。


私は気付いた、全ての違和感の正体に。

ここはただの仮設休憩所では無い。映像を見るだけに用意された小屋でも無い。

ここは〝教室〟だ。学校の教室だ。

それは何かを教わるという比喩の意味では無い。物理的に教室だった。万博の一角に、あの頃の教室がそのまま存在していた。

正確に記載すると、


木造の教室の骨子やドアはそのまま、壁や天井は全てガラスに置き換えられている。座りにくいと思った椅子も、中学生の掃除の時間上げ下げしたあの簡素な椅子を彷彿とさせるものだった。古い木造部分と外の日光を美しく取り込むガラスの壁。その絶妙な割合を実現した空間は、あの頃の感情を引き出し、夢の中で思い出すような淡く美しい学生時代へ、ふわっとタイムスリップさせた。



動画


話は少し変わるが、私はTwitterを長年やって来たが、一番好きだと言えるツイートはずっと変わらない。それは学生時代のとある1シーンをそのまま切り取ったような呟きだ。


「プールの授業が終わったあとの国語の授業のときに開けてる窓から入ってくる風がいちばん好きな種類の風なんだけど、その風にはもう一生会えないのかとおもうととても悲しいです。みんなからほんのり塩素の匂いがして、何人かは疲れて爆睡していて、たまに風が窓際の何人かのノートをバラバラめくってきて、朗読の声がスッと響いていたあの時間は世界でいちばん穏やかな場所だったとおもう。」


何となく、このツイートを思い出した。教室の中に座った、名前のしらない大人達の間を、確かにあの頃の穏やかな風と光が包み込んでいた。それは人工的に作られたクーラーの風だったかもしれない。でも本物に感じられた。


暑かったはずの身体に降り注ぐガラス越しの太陽光はまるで映画のように大人となった私たちを照らし、それがとてつもなく心地よかった。





実はこの建築物は元々奈良県に実在した小学校の廃校後校舎をそのまま活用し作られたものらしい。映像にはその事について語る映像と、戦争について語る映像が交互に流れていた。


ふわふわと多方向に向かった感情を抱えつつ、先生を中心に何となく1つにまとまっているあの授業中の曖昧な空気。それが、万博に疲労しつつも映像をぼんやり見ながらふわっとまとまった私たちの今と重なった。


歳を重ねて大人になると「当時の学生時代に戻って、1日だけ授業を受けてみたい」なんて考えた事は無いか。私はあった。特別じゃない何でもない日にタイムスリップして、当時のあの空間を味わいたい。


今回この場所に来て、その夢が少しだけ叶った。それだけ異質な場所だった。

ガヤガヤとした万博のカオス的喧騒の中一角で、ここだけは、時間がゆっくりと、たおやかに流れている。


映画監督、河瀬直美さんの「いのちのあかし」というパビリオンです。ここだけではなく予約制で色々と体験出来るゾーンもある。


この解釈が正しいか正しくないか分からないけど、少なくともこんな長々と感想を書きたくなるくらいには良かった。大人になってあまり動かなくなった心がぐっと震えた。これから万博行く方は是非寄ってみてください。


p.s.

(写真はお借りしました)




………………


◼️奈良の廃校舎、万博パビリオンに 河瀬直美さんが感じた「懐かしさ」2023年7月4日 




なるちゃん@美容@Narururu_vさんが引用している文、「プールの授業が終わったあとの国語の授業のときに開けてる窓から入ってくる風がいちばん好きな種類の風なんだけど、その風にはもう一生会えないのかとおもうととても悲しいです。みんなからほんのり塩素の匂いがして、何人かは疲れて爆睡していて、たまに風が窓際の何人かのノートをバラバラめくってきて、朗読の声がスッと響いていたあの時間は世界でいちばん穏やかな場所だったとおもう。」は、鯨庭さんの2016年のツイートだそうだ。




私がこの10年強のあいだに出会った最も震えた文を掲げておく。

またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.そこで片親とひとり子とが静かに並んでいた.いなくなるはずの者がいなくなって,親と子は当然もどるはずのじょうたいにもどり,さてそれぞれの机でそれぞれの読み書きをつづけるまえのつかのま,だまって充ちたりて夕ばえに染みいられていた.そういう二十ねん三十ねんがあってふしぎはなかったのだが,いなくなるはずの者がいなくなることのとうとうないまま,親は死に,子はさらにかなりの日月をへだててようやく,らせん状の紅い果皮が匂いさざめくおだやかな目ざめへとまさぐりとどくようになれた.(黒田夏子『abさんご』2013年)




ま、「いのちのあかし」は、ときに湯豆腐食っても、あるいは蚊取り線香の匂いを嗅いでもフラッシュバックすることがあるがね、


湯豆腐やいのちのはてのうすあかり(久保田萬太郞)


長い病気の恢復期のような心持が、軀のすみずみまで行きわたっていた。恢復期の特徴に、感覚が鋭くなること、幼少年期の記憶が軀の中を凧のように通り抜けてゆくことがある。その記憶は、薄荷のような後味を残して消えてゆく。

 

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『砂の上の植物群』1964年)