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2025年6月7日土曜日

眩暈のする蜘蛛の巣作戦[Operation Spider’s Web]

 




蜘蛛よ、なぜおまえはわたしを糸でからむのか。血が欲しいのか。ああ!ああ![Spinne, was spinnst du um mich? Willst du Blut? Ach! Ach!   ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第4節、1885年)


月光をあびてのろのろと匍っているこの蜘蛛[diese langsame Spinne, die im Mondscheine kriecht]、またこの月光そのもの、また門のほとりで永遠の事物についてささやきかわしているわたしとおまえーーこれらはみなすでに存在したことがあるのではないか。

そしてそれらはみな回帰するのではないか、われわれの前方にあるもう一つの道、この長いそら恐ろしい道をいつかまた歩くのではないかーーわれわれは永遠回帰[ewig wiederkommen]する定めを負うているのではないか。 (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部「 幻影と謎 Vom Gesicht und Räthsel」 第2節、1884年)



お前は、お前が現に生き、既に生きてきたこの生をもう一度、また無数回におよんで、生きなければならないだろう。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛とあらゆる悦[jeder Schmerz und jede Lust]、あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく小なるものと大なるもののすべてが回帰するにちがいない。しかもすべてが同じ順序でーーこの蜘蛛、樹々のあいだのこの月光[diese Spinne und dieses Mondlicht]も同様であり、この瞬間と私自身も同様である。存在の永遠の砂時計[ewige Sanduhr des Daseins]はくりかえしくりかえし回転させられる。ーーそしてこの砂時計とともに、砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!(ニーチェ『悦ばしき知』341番、1882年)


アブラハム(1922)によれば、夢のなかの蜘蛛は、母のシンボルである。だが恐ろしいファリックマザーのシンボルである。したがって蜘蛛の不安は母子相姦の怖れと女性器の恐怖を表現する。

Nach Abraham 1922 ist die Spinne im Traum ein Symbol der Mutter, aber der phallischen Mutter, vor der man sich fürchtet, so daß die Angst vor der Spinne den Schrecken vor dem Mutterinzest und das Grauen vor dem weiblichen Genitale ausdrückt.(フロイト『新精神分析入門』29. Vorlesung. Revision der Traumlehre, 1933年)


………………

しかし、蜘蛛の巣作戦[Operation Spider’s Web]っていい名前だなあ。若い頃、エロ友が「おい、あの女、蜘蛛の巣張ってるよ」と言ってたのを思い出すよ。


◼️ドミトリー・コルネフ「ウクライナの最も無謀な攻撃: NATOは背後にいたのか?」

攻撃の背後にあるロジスティクス、タイミング、テクノロジーは、誰が本当に関与していたのかについて、より大きな疑問を投げかけている。

Ukraine’s most reckless attack: Was NATO behind it?

The logistics, timing, and technology behind the attack raise bigger questions about who was really involved

By Dmitry Kornev, military expert, founder and author of the MilitaryRussia project  6 Jun, 2025 


西側諸国の見出しは「スパイダーズウェブ作戦(蜘蛛の巣作戦)」 Operation Spider’s Webをウクライナの創意工夫の大胆な偉業として称賛したが、よく見てみると、はるかに計算された、そしてウクライナらしからぬ作戦が展開されていることがわかる。これは単なるロシアの飛行場への攻撃ではなかった。ハイテクな破壊工作、秘密裏に潜入、そして衛星誘導によるタイミングを、世界最先端の情報網だけが実現できる精度で融合させた、いわばテストだったのだ。そして、疑問が湧いてくる。一体誰が真に糸を引いていたのか?

率直に言ってみよう。ウクライナ情報総局は単独で行動したわけではない。そんなことはあり得ない。

たとえ西側諸国の機関がこの作戦に直接関与していなかったとしても、全体像は明らかだ。ウクライナ情報総局、軍、そして最高指導部でさえ、西側諸国の情報に大きく依存しているのだ。ウクライナはNATOの情報共有体制に深く組み込まれている。ウクライナ独自の情報エコシステムという概念は、ほぼ過去のものとなった。最近、キエフは主にNATOから提供されるデータを利用し、可能な場合は自国の情報源も活用している。


これが背景であり、過去2年間で標準となったハイブリッドモデルである。では、「蜘蛛の巣作戦」そのものを詳しく見てみよう。計画には約18ヶ月かかり、ドローンをロシア領内に秘密裏に持ち込み、隠蔽した上で、主要飛行場への協調攻撃を画策したことは周知の事実である。では、これほど複雑な作戦に西側諸国の情報機関が関与していた可能性はどれほどあるのだろうか?


まずは兵站面から見てみよう。117機のドローンがロシア国内で発射準備されたと報告されている。現在、ロシアでは多くの民間企業が戦争活動のためにドローンを製造していることを考えると、その隠れ蓑の下で必要な装置を組み立てることは難しくなかっただろう。実際、ほぼ間違いなくそうだった。部品は「特別軍事作戦」への供給を装って国内で購入された可能性が高い。それでもなお、ウクライナ情報総局が単独でこれほどの大量調達と組み立てを成し遂げたとは考えにくい。西側諸国の情報機関が、特に特殊な部品の確保において、静かに、しかし極めて重要な役割を果たした可能性が非常に高い。


そして爆発物の問題もある。一部の主張のように、作戦の司令部がウラル地方にあったとすれば、爆発物やその部品は近隣のCIS諸国を経由して密輸された可能性が高い。このような国境を越えた精密な作戦は、外部からの支援なしには不可能だ。実際、これは米国と西欧の情報機関が長年にわたり磨き上げてきた戦術を体現している。


誤解しないでほしい。これはCIAだけの領域ではなかった。欧州の情報機関、特に英国、フランス、ドイツの情報機関は、このような作戦を実行し、隠蔽する能力を同様に備えている。NATOの情報機関は国旗は異なるかもしれないが、現場では意見を一つにまとめている。


しかし、真の手がかりは攻撃のタイミングにある。これは静止した標的への盲目的な攻撃ではなかった。ロシアの戦略爆撃機は頻繁に基地をローテーションさせている。せいぜい数日おきに更新される商用衛星画像では、移動中の航空機を追跡することは到底不可能だ。しかし、これらのドローンは絶妙なタイミングで攻撃を行った。これは、信号諜報、レーダー追跡、そして衛星ライブ映像といった、西側諸国の情報機関が持つ様々なツールから得られるであろう、継続的なリアルタイム監視体制の存在を示している。


ウクライナが単独で、これほどの持続的で多領域的な状況把握能力を身につけたのだろうか?それは、あり得ない。このレベルの状況情報収集は、NATOで最も有能な機関、特にロシアの軍事インフラ監視を日常業務として担う機関の専門分野だ。


長年にわたり、ウクライナは西側諸国のメディアによって、低コストの戦術を用いてより大きな敵に立ち向かう、勇敢な弱者と評されてきた。しかし、このダビデ対ゴリアテの物語の裏には、より不都合な真実が隠されている。ウクライナの情報システムは、今やNATOの作戦体系に深く組み込まれている。米国と欧州の衛星からのリアルタイム映像、英国のSIGINT(情報通信技術情報局)からの傍受情報、西側諸国との作戦計画協議――これが新たな常態となっているのだ。


ウクライナは依然として独自の情報源を有しているものの、もはや独立した諜報活動は行っていない。その時代はHIMARSの最初の打ち上げをもって終焉を迎えた。


西側諸国の当局者はもちろん、直接の関与を否定している。しかし、ロシアの捜査当局はすでに着弾地点周辺のモバイル通信を分析している。もしこれらのドローンが商用モバイルネットワークに接続されておらず、暗号化された軍用レベルのリンクを経由して誘導されていたと判明すれば、それは決定的な証拠となるだろう。外国の作戦介入を裏付けるだけでなく、西側諸国の資産がロシア国内でどのように検知されずに運用されていたか、その全容が明らかになるからだ。


その時点では、いくらもっともらしい反証をしても真実を覆い隠すことはできない。

問題はもはや、NATOが参加したかどうかではなく、その参加がどれほど深いものであったか、ということになるだろう[The question will no longer be whether NATO participated – but how deep that participation ran.]



ドローンの蜘蛛の巣はニーチェ=フロイト的というより、ドゥルーズ=プルースト的と言ったほうがもっとピッタリくるかも。。



しかし器官なき身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、蜘蛛はただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もない蜘蛛は、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。

『失われた時を求めて』は、大聖堂や衣服のように構築されているのではなく、蜘蛛の巣のように構築されている。語り手 = 蜘蛛。その巣そのものが、或るシーニュによって動かされるそれそれの糸で作られ織りなされつつある『失われた時を求めて』である。巣と蜘蛛、巣と身体は、ただひとつの同じ機械である。


語り手に極度の感受性、異常な記憶力が与えられても役に立たない。それらの能力についての、意志的で有機的ないかなる使用もできない範囲で、彼には器官がない。逆にひとつの能力は、余儀なく強制されるときには、語り手において行使される。そしてこの能力に対応する器官が、この能力に重ねて置かれるが、しかしそれはその無意志的な使用を惹起する活動によって眼覚めさせられた強度の素描としてである。


そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する「器官なき身体」の包括的で強度な反作用として存在する無意志的感受性、無意志的記憶、無意志的思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれを開けるか閉じるために動くのは、この身体 = 巣 = 蜘蛛である。


語り手の異者的可塑性。スパイ、警官、嫉妬する者、解釈する者、そして要求する者ーー狂人ーー普遍的な分裂症者である語り手のこの身体= 蜘蛛が、そこから自分自身の錯乱の操り人形、おのれの器官なき身体の強度な力、おのれの狂気の輪郭を作るために、パラノイアであるシャルリュスに一本の糸をのばそうとし、色情狂であるアルベルチーヌにもう一本の糸をのばそうとする。

Mais qu'est-ce que c'est, un corps sans organes ? L'araignée non plus ne voit rien, ne perçoit rien, ne se souvient de rien. Seulement, à un bout de sa toile, elle recueille la moindre vibration qui se propage à son corps en onde intensive, et qui la fait bondir a rendrait nécessaire. Sans yeux, sans nez, sans bouche, elle répond uniquement aux signes, est pénétrée du moindre signe qui traverse son corps comme une onde et la fait sauter sur sa proie.

La Recherche n'est pas bâtie comme une cathédrale ni comme une robe, mais comme une toile. Le Narrateur-araignée, dont la toile même est la Recherche en train de se faire, de se tisser avec chaque fil remué par tel ou tel signe : la toile et l'araignée, la toile et le corps sont une seule et même machine.


Le narrateur a beau être doué d'une sensibilité extrême, d'une mémoire prodigieuse : il n'a pas d'organes pour autant qu'il est privé de tout usage volontaire et organisé de ses facultés. En revanche, une faculté s'exerce en lui quand elle est contrainte et forcée de le faire; et l'organe correspondant se pose sur lui, mais comme une ébauche intensive éveillée par les ondes qui en provoquent l'usage involontaire.


Sensibilité involontaire: mémoire involontaire, pensée involontaire qui sont chaque fois comme les réactions globales intenses du corps sans organes a des signes de telle ou telle nature. C'est ce corps-toile-araignée qui s'agite pour entrouvrir ou pour fermer chacune des petites boîtes qui viennent heurter un fil gluant de la Recherche.


Étrange plasticité du narrateur. C'est ce corps-araignée du narrateur, l'espion, le policier, le jaloux, l'interprète et le revendicateur ― le fou ― l'universel schizophrène qui va tendre un fil vers Charlus le paranoïaque, un autre fils vers Albertine l'érotomane, pour en faire autant de marionnettes de son propre délire, autant de puissances intensives de son corps sans organes, autant de profils de sa folie.

(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能ーークモーー」第3版追加章、 1976年)


無意志的シーニュは、言語の卓越した組織化に抵抗し、語と句に支配されることを許容せず、ロゴスを逃走させ我々を別の領域に導き入れる。 

…signes involontaires qui résistent à l'organisation souveraine du langage, qui ne se laissent pas maîtriser dans les mots et les phrases, mais font fuir le logos et nous entraînent dans lin autre domaine.(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能ーークモーー」 1976年)