こういったのを貼り付けてくれると大いに助かるね、加藤周一の「宣長問題」をネット上で検索しても片言隻語の引用しか見当たらず要領を得ない。半ば諦めかけて、ふとツイッター検索したら行き当たった。
実に密度が濃い。我々の世代はこういった批評文を、新聞の特に夕刊で読んで育ってきたのだがね(もっともたいして役に立ってないじゃないか、と言い返されたら黙るしかないが)。何はともあれ、いま、こんな文に巡る会えることがあるかい?
文字変換しとくよ。老眼の目で一度だけ読み返したが、誤変換等がありうるのでそれは上を見てほしい。
◼️加藤周一「〈夕陽妄語〉宣長・ハイデッガ・ワルトハイム」『朝日新聞』(1988.3・22) |
『本居宣長全集』(筑摩書房)が第十七巻「書簡集」を出した。この「書簡集」は、新たに発掘された多数の書簡を含み、詳細な索引を備え、宣長という複雑な人物を知るための貴重な資料である。書簡の内容は、身辺雑事から学問的話題まで、多岐にわたるが、たとえば賀茂真淵に四度言及し、徂徠に触れることは一度もない。宣長の学問の画期的な方法が、徂徠の古文辞学に負うところは大きいが、宣長はその著作のなかで、ほとんど徂徠に触れていない。 著作よりも私的な書簡のなかでさえも、徂徠学について完全な沈黙をまもっていたということは、殊に宣長の複雑さの一面を強調する。 しかし宣長については、それよりも大きな謎が二つある。第一の謎は、生涯の著作を挙げて、儒仏を排し、「神ながらの道」を説いた宣長が、その晩年に写経をくり返し、神道の墓の他に、仏式の墓を造ることを遺言したのは、何故か、といことである。仏式の墓を世間体とする解釈は、写経の日課を説明しない。 小林秀雄が 『本居宣長』のなかで説いた「両墓制」の議論は、見当ちがいである。 「両墓制」は神道の枠のなかの習慣であり、神道式と仏式とを併用しようとした宣長の発想とは全く違う。 |
問題避けた小林説 第二の謎は、今さらいまでもなく、宣長の古代日本語研究が、その緻密な実証性において画期的であるのに対し、その同じ学者が、上田秋成も指摘したように、粗雑で狂信的な排外的国家主義を唱えたの何故かということである。「吾皇御国ぞ、よろづの国のおや国、本の御国にして、あだし国々は皆末つ国のいやし国になもありける」(『馭戒慨言』の「序」)。小林秀雄の『本居宣長』は、その面倒な問題を避けて通り、問題を問題として提起さえもしていない。 私は拙著『日本文学史序説』において、その問題に触れ、一つの解釈を示したが、それには今までのところ賛成もなく、批判もない。 「宣長問題」は、まだ議論し尽くされないままで、日本の空中に漂っている。 私があらためてそのことを考えはじめたとき、欧州では「ハイデッガ間題」が盛んに議論されているということが、 風の便りに伝わって来た。 「ハイデッガ問題」とは、一方で、今世紀の存在論的哲学を代表するハイデッガが、他方で、ナチズム (国家社会主義)を支持したのは、何故かということである。 ナチズムは、粗雑さわまる生物学的議論にもとづいて、人種差別政策をユダヤ人の大虐殺にまで推し進めた。そのナチズム支持が、 『存在と時間』のハイデッガと、どう関係していたのか、という問いは、まさに『馭戒慨言』が『古事記』の宣長と、どう関係していたのか、という問いに似ている。 |
統一的理解の試み ハイデッガについての議論には要約して三種類がある。ある人々は、ナチ支持の方を軽く見て、それはヒトラー政権の初期に大部分のドイツ人がとった手段にすぎず、哲学とは関係がない、とする。これは宣長についての小林秀雄とその支持者の態度に近いだろう。また反対にナチ支持を強調し、ハイデッガの哲学は要するに始めから終わりまでナチズムと密接に絡んでいたという人々もいる。 これは敗戦直後の日本の左翼の議論に似ているだろう。どちらにしても、問題の矮小化または無視によって、重大な問題を処理しようとする態度である。 第一の議論は、ハイデッガについて最近知られて来た事実に矛盾するし、宣長の超国家主義の影響がその演じた大きな役割と矛盾する。 第二の議論は、ハイデッガの存在論の知的密度と芸術論の深い洞察力と、折り合わないし、宣長の『古事記伝』の方法の記念碑的独創性と冷静で客観的な態度と、折り合わない。 そこでフランスやドイツでは、一方でハイデッガの哲学を評価しながら、他方で長期にわたるそのナチズムとの深い係りをみとめ、双方の関連を統一的に理解しようとする試みが、おこらざるをえなくしておこった(たとえば La Philosophie et le Nazisme.le Débat No.48.janvier-février. 1988。 また一九八八年二月五日ハイデルベルク大学での独仏の学者による『ハイデッガ、その思想の哲学的および政治的部分』についての討論)。たとえばハイデッガの哲学が、理想化された古代ギリシャ (殊にスパルタ)の観念とかかわり、後者の現代における実現の可能性をナチズムに期待することから、ナチ政権の積極的な支持へ向かったとする考え方は、その一つである(ストラスブール大学のPhilippe Lacoue-Laharthe) 。もしそういう関連のすじ道が成りたつとすれば、それはまたゴットフリート・ベンにもひきつがれたとみることができる(詳しくは原田義人訳『二重生活』とその解説)。いずれにしてもこの第三の型の議論は宣長については極めて少ない。 |
しかしそれは宣長だけのことだろうか。周知のように、いま、オーストリアでは、ワルトハイム大統領が戦時中の経歴について嘘をついていたことが明らかになり、国民の世論が二分されると同時に、嘘をついていたのは大統領だけではなく、ワルトハイム氏と同じ時代を生きたオーストリア国民の大多数ではなかったかという疑問が、国の内外で、表面に出てきている。 時あたかも一九三八年三月「オーストリア合併」の五十周年。 戦後のオーストリアは、「合併」以後ナチの犠牲者であったという前提の下に、暮らしてきたが、その前提は実は神話にすぎなかった。一九一八年、第一次世界大戦の後、サン・ジェルマンの平和会議で、オストリアの外務大臣オットー・バウアは、ドイツとの「合併」を提案して、連合国側に拒否された。一九三八年、オーストリアの首相シューシュニックが「合併」に抗して辞職するということはあったが、「合併」の後ヒトラーが乗りこんで来たとき、彼は抵抗されたのではなく歓迎されたのであり、ヴィーンの街には鉤十字の小旗と花束が舞ったのである。その写真は沢山あり、その記憶を語る人も沢山いる。 |
被害者かつ加害者 私はその光景を思い出すたびに、南京陥落にわきかえった提灯行列の東京を思い出す。日本国民は、軍部と米軍の爆撃の単なる犠牲者であったのだろうか。もちろんその面もあった。しかし同時に、進んで軍国主義を歓迎し、他国の人民におどろくべき犠牲を強いる面もあった。その一面についてのみ語り、他面を無視する傾向が、今日の日本の状況と深く関係するであろうことはいうまでもない。しかるに日本では、いまだにオーストリアでのような国民の過去の検討はない。日本の現代史を理解するためには、第一に、被害者であると同時に加害者であることの事実を直視し、第二に、その両面の関係をを追求することが、どうしても必要である。 歴史の複雑な二面性を認識する条件は、おそらく、思想的には、ハイデッガの、あるいは宣長の複雑な二面性を問題にすることができる条件と一致するだろう。その条件とは、勇気のある理性に他ならないのである。 |
……………
※附記
◼️加藤周一『日本文学史序説』(1975年)より |
「人のまことの心の奥のくまぐまを探りてみれば、みなただ、めめしくはかなきことの多かるものなるを、ををしくさかしげなるは、みずから省みて、もてつけ守りたるものにして、人に語るときなどには、いよいよ選びてよさにうはべを飾りてこそものすれ、ありのままにはうちいです……」(本居宣長『源氏物語玉の小櫛』) これはおそらく徳川時代を通じてもっとも鋭い社会心理学的洞察であり、日本人の精神における「うはべ」と「心の奥」、たてまえとほんね、意識的な価値と無意識的な心理的傾向、外来の「イデオロギー」と伝統的な世界観との関係を、はじめて明瞭に示した文章である。彼の思想はここでこそもっとも深く、もっとも正確であり、もっとも遠く彼自身の時代を超えていた。〔・・・〕 しかしその後の国学者が継承したのは、文献学的方法の技術的な面を別にすれば、宣長の体系の弱点である。その弱点は二つあった。一つは、神話と歴史との混同であり(したがって天皇制の神秘化)、もう一つは、文化の特殊性と思想の普遍性との混同である(したがってこじつけの著しいナショナリズム)。 |
◼️ハイデガー「アドルフ・ヒトラーと国家社会主義体制を支持する演説」1933年 |
ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。 ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただし党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくてむしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそうしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろうとしているのは他でもない、自分自身の未来なのである。 |
ハイデガーと似たようなことを言う政治家やその取り巻きが日本にも現れた(?)からな、注意してもし過ぎることはないぜ。
なおデリダは次のように言っていることを付け加えておこう。 |
親愛なる若き友よ(Mon cher jeune ami)、もちろん私はハイデガーが15年間ナチ党員だったことを知っています。しかし、それは知的な関心をそそる問題ではありません――残念ながら彼がナチ党員だったのは事実ですが。それに反して、知的な関心をそそる問題とはこのようなものです。つまり、ハイデガーは国家社会主義に巻き込まれることなしに20世紀最大の哲学者たり得たのでしょうか、という問題です。(ジャック・デリダ、Gumbrecht) |
さらに小林秀雄もーー、
宣長の皇国の古伝説崇拝は、狂信というより他はないものにまでなっているが、そういう弱点を度外視すれば、彼の学問の優秀性は疑えないという意見は、今日も通用している。(小林秀雄『本居宣長』第四十章) |
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宣長という人は、非常に論理的で、実証的な精神をもった学者であったが、それに反してしまいには狂信家になってしまった、と言う人たちがいる、……そんなばかなことはない、宣長さんという人は一人しかいないんだ、最後は狂信家になったというのもそう言っている人たちの目にはそう見えているというだけのことで、僕らが宣長さんの文章を一所懸命に読めば、きっとその一人しかいない宣長さんが現れて来るに違いない……、そう思って僕は僕自身が宣長さんの文章を一所懸命に読み、後にも先にも一人しかいない宣長さんとしっかり巡り合うまでのいきさつを本に書いたのです。(新潮CD「小林秀雄講演」第三巻『本居宣長』) |
なお小林秀雄が愛読したモンテーニュはこう言っている、《われわれはみな、もろもろの断片から成っており、その構成ははなはだ雑然として食い違っているから、各断片は各瞬間ごとに思い思いのことをする。だからある時のわれわれと、また別のある時のわれわれとの間には、われわれと他人との間におけるほどの距離がある。 》(モンテーニュ『エセー』第3卷1章)