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2025年9月5日金曜日

アンチ「戦争扇動」デモのすすめ

 

なんだ、噂の小原凡司くんと小泉悠くんがまだ「活躍」しているのか、前回記した〈強調すべきプーチン曰くの「日本の軍国主義は、架空のロシアや中国の脅威を口実に復活しつつある」〉に関して。



このふたり周りのことは3ヶ月ほど前、「この男はこの男だな」で示したところだがね、








こういうナチプロパガンダ手法丸出しの連中や組織に対してこそ、すぐさまアンチ「戦争扇動」デモ起こすべきだよ。



もちろん、普通の人間は戦争を望まない。〔・・・〕しかし、政治を決定するのは国の指導者だ。国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。 国が民主主義であれ、ファシスト独裁であれ、議会制あるいは共産主義独裁であれ。〔・・・〕とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。

Natürlich, das einfache Volk will keinen Krieg […] Aber schließlich sind es die Führer eines Landes, die die Politik bestimmen, und es ist immer leicht, das Volk zum Mitmachen zu bringen, ob es sich nun um eine Demokratie, eine faschistische Diktatur, um ein Parlament oder eine kommunistische Diktatur handelt. […] Das ist ganz einfach. Man braucht nichts zu tun, als dem Volk zu sagen, es würde angegriffen, und den Pazifisten ihren Mangel an Patriotismus vorzuwerfen und zu behaupten, sie brächten das Land in Gefahr. Diese Methode funktioniert in jedem Land.

(ヘルマン・ゲーリングHermann Göring ーー独房での法廷心理学者との対話にて、1946年4月18日)


これは、別の言い方をすれば、安全保障感喪失作戦である。

実際、人間が端的に求めるものは「平和」よりも「安全保障感 security feeling」である。人間は老病死を恐れ、孤立を恐れ、治安を求め、社会保障を求め、社会の内外よりの干渉と攻撃とを恐れる。人間はしばしば脅威に過敏である。しかし、安全への脅威はその気になって捜せば必ず見つかる。完全なセキュリティというものはそもそも存在しないからである。


「安全保障感」希求は平和維持の方を選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。まことに「安全の脅威」ほど平和を掘り崩すキャンペーンに使われやすいものはない。自国が生存するための「生存圏」 「生命線」を国境外に設定するのは帝国主義国の常套手段であった。明治中期の日本もすでにこれを設定していた。そして、この生命線なるものを脅かすものに対する非難、それに対抗する軍備の増強となる。1939年のポーランドがナチス・ドイツの脅威になっていたなど信じる者があるとも思えない。しかし、市民は「お前は単純だ」といわれて沈黙してしまう。ドイツの 「権益」をおかそうとするポーランドの報復感情が強調される。


しばしば「やられる前にやれ」という単純な論理が訴える力を持ち、先制攻撃を促す。虫刺されの箇所が大きく感じられて全身の注意を集めるように、局所的な不本意状態が国家のありうべからざる重大事態であるかのように思えてくる。指導層もジャーナリズムも、その感覚を煽る。  


日中戦争の遠因は、中国人の「日貨排斥運動」を条約違反として執拗に責めたことに始まる。当時の日本軍官民の態度は過剰反応としか言いようがない。実際、同時に英貨排斥運動も起こっているが、英国が穏やかにしているうちに、日本だけが標的になった。 (中井久夫「戦争と平和についての観察」初出2005年『樹をみつめて』所収)



そう言えば、昨日、ロシアの美女がこう言ってたがね、





これはウクライナに限らず戦争アオリ系はみな一緒だよ。問いは小泉悠くんのたぐいはグループ1かグループ2かだけだ。