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私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』1971年) |
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世界の根拠のなさについて(2001)
高橋悠治
〔・・・〕
世界はことばでうごかせるか
うごかせるとしたら
それは 世界を暴力でうごかすのと どこがちがうだろう
いま起こりつつあることがらも もう過ぎてしまったかのように
ことばは うごいて止まないものを 一瞬つなぎとめる
そして ことばはことばを呼ぶ
ことばはことばを凝視する
そのあいだも
爆弾はことばを持たないものたちの上に 花びらのように降る
現実は だれのものでもない
思うままにうごかせないから 世界はある
世界に意味があったら こんなにも多くの苦しみがあるだろうか
情報によって 知識によって はっきり見透せるものなら
世界は こんなふうになっていただろうか
こんな世界を ありのままに見ることは
もうひとつの苦しみだからといっても
なにかをしなければならないと思い
なにかできることがあるはずだと信じて
安全なところでうろうろしている
このありさまを見たら
空爆の下で毎日を生きているひとびとは どう感じるだろう
かみさま
あなたのひこうきが まいにち やってきます
きのうも ぼくたちのテントに
ばくだんを おとしていきました
ぼくははしって いわかげに かくれました
わらって わらって わらいました
(パレスチナの子どもの神さまへのてがみ)
(批評空間第III期第2号)