何度も言ってきたが、私は最近、ジジェクを「わけあり」であまり引用しないようにしてるのだが、10年くらい前まではそれなりのファンであって、彼の言葉の在庫は引き出しの奥にふんだんにある。ここではその中からーー巷間のポピュリストの方々に刺激を与えるためにーー「敢えて」掲げよう。
◼️ジジェク「ポピュリズムの誘惑に対抗して(Against the Populist Temptation)」2006年 |
ポピュリズムが起こるのは、特定の「民主主義的」諸要求(より良い社会保障、健康サービス、減税、反戦等々)が人々のあいだで結びついた時である。〔・・・〕 ポピュリストにとって、困難の原因は、究極的には決してシステム自体ではない。そうではなく、システムを腐敗させる邪魔者である(たとえば資本主義自体ではなく財政的不正操作)。ポピュリストは構造自体に刻印されている致命的亀裂ではなく、構造内部でその役割を正しく演じていない要素に反応する。〔・・・〕これは、ファシズムが間違いなくポピュリズムである理由でもある。 |
populism occurs when a series of particular "democratic" demands (for better social security, health services, lower taxes, against war, etc.etc.) is enchained in a series of equivalences,(…) for a populist, the cause of the troubles is ultimately never the system as such, but the intruder who corrupted it (financial manipulators, not capitalists as such, etc.); not a fatal flaw inscribed into the structure as such, but an element that doesn't play its role within the structure properly.(…) This is also why Fascism definitely is a populism: |
ファシズムとあるのは、その前に「結びついた」と訳した"enchained"は「鎖化される=束になる」であって、ファシズムの原義は「束」だからである。少し前、柄谷行人の民主主義の定義を➤「柄谷の「民主主義=排外主義=ナショナリズム=ポピュリズム≒ファシズム」」と抽出したが、大衆の支配という意味での民主主義はポピュリズムとファシズムにひどく親和性があるのである。
とはいえその話は当面どうでもよく、問いは「ポピュリストはシステムに無関心」というジジェクの指摘である。そうなんだろうか、民主主義者のみなさん?
例えば福祉国家がもはや成り立たないという現在の資本主義システムの「常識」に無関心で、システムを腐敗させる邪魔者にのみ文句タラタラ言っているのが、ポピュリストのみなさんなんだろうか。
◼️ジジェク「永遠の経済的危機(A PERMANENT ECONOMIC EMERGENCY)」2010年 |
一つのことが明らかになっている。それは、福祉国家を数十年にわたって享受した後の現在、我々はある種の経済的非常事態が半永久的なものとなり、我々の生活様式にとって常態になった時代に突入した、という事実である。こうした事態は、給付の削減、医療や教育といったサービスの逓減、そしてこれまで以上に不安定な雇用といった、より残酷な緊縮策の脅威とともに、到来している。〔・・・〕現下の危機は早晩解消され、ヨーロッパ資本主義がより多くの人びとに比較的高い生活水準を保証し続けるだろうといった希望を持ち続けることは馬鹿げている。 |
One thing is clear: after decades of the welfare state, …we are now entering a period in which a kind of economic state of emergency is becoming permanent: turning into a constant, a way of life. It brings with it the threat of far more savage austerity measures, cuts in benefits, diminishing health and education services and more precarious employment.(…) It would thus be futile merely to hope that the ongoing crisis will be limited and that European capitalism will continue to guarantee a relatively high standard of living for a growing number of people. |
別の言い方をすれば、世界的に高齢化に向かっているのにそんなことは視界に入らず、身近な出来事のみに「束になって」正義感を吐露しているのが、ツイッター社交界の、例えば「減税ポピュリズム=減税ファシズム=減税カルト」のみなさんなんだろうか?
日本は高齢化先進国だとはいえ、今後、世界は日本と似たようになっていくんだから既存の社会保障システムがもつ筈ないだろ。
このシステムの必然的成り行きに不感症で「消費税減税!」とか叫んでいるのならとっても恥ずかしいからヤメトケヨ、ーー《一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 》(中井久夫『看護のための精神医学』2004年)
キミらの言説構造はとてもよく似てるんだな、それを「視野の幅が狭い」庶民的正義感のファシズムっていうんだよ。 |
ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。〔・・・〕マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。〔・・・〕正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」2003年『徴候・記憶・外傷』所収) |
より一般化して言わせてもらえば、時には芸術的遠方から自らを眺めて、自身の道化師ぶりを笑い飛ばして見ることだな、 |
われわれは時折、われわれから離れて休息しなければならないーー自分のことを眺めたり見下ろしたり、芸術的な遠方[künstlerischen Ferne]から、自分を笑い飛ばしたり嘆き悲しんだりする [über uns lachen oder über uns weinen] ことによってーー。われわれは、われわれの認識の情熱の内に潜む英雄と同様に、道化をも発見しなければならない。 われわれは、われわれの知恵を楽しみつづけることができるためには、 われわれの愚かしさをも時として楽しまなければならない!(ニーチェ『悦ばしき知』第107番、1882年) |
ツイッター社交界のポピュリストのみなさんに必要なのは何よりもまずこれだよ。 もっとも愚かさはヒト族の宿命として仕方がないがね、こう記している私もときに愚かになる事を認めるのに吝かではないさ、それゆえにいっそう芸術的な遠方の眼差しが必要なんだ。 |
なかには例外的に聡明な個体も混じってはいるが、これからこの文章を書こうとしているわたくし自身もその一員であるところの人類というものは、国籍、性別、年齢の違いにもかかわらず、おしなべて「愚かなもの」であるという経験則を強く意識してからかなりの時間が経っているので、その「愚かさ」にあえて苛立つこともなく晩期高齢者としての生活をおしなべて平穏に過ごしている。蓮實重彥『些事へのこだわり』2024年1月18日) |
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とはいえ、次のことだけはやめとけよ、とっても恥ずかしいから。
ツイッター装置というのは「何かを理解したかのような気分」になる安堵感装置だからな、特に「互いに湿った瞳を交わし合い、頷き合う」形式で使っている大半の方にとって。繰り返すが、はしたないからやめとけよ、ワカルカイ? |