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2025年10月8日水曜日

グローバリストの「トロイの木馬の話」

 アンジェロ・ジュリアーノ曰くーー 

Most are too naive to see the real enemy:

**The globalist elites who control the US and Israel.**


だってよ。これは、「コントロールド・オポジション(Controlled Opposition)の顔ぶれ」の後半で記した内容の別ヴァージョンでもあるな。






私はグレタ応援団の「善意」の人々ためにこのトロイの木馬の話にはあまり突っ込みたくないんだが、悪い臭いがするのは確かだよ。







しかしグレタ応援団の方々は次のような話をどう思ってんだろうね、




目を瞑って耳を塞ぎ、当面の善意の人として応援してんのかね。


反時代的な様式で行動すること、すなわち時代に逆らって行動することによって、時代に働きかけること、それこそが来たるべきある時代を尊重することであると期待しつつ。〔・・・〕

世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。

in ihr unzeitgemäß – das heißt gegen die Zeit und dadurch auf die Zeit und hoffentlich zugunsten einer kommenden Zeit – zu wirken.(…) Denn alles, was mit der öffentlichen Meinung meint, hat sich die Augen verbunden und die Ohren verstopft 

(ニーチェ『反時代的考察』)


おっと、私の「愛人」の言葉が向こうからやってきたな、《内部で止揚されたものは、外部から回帰する [daß das innerlich Aufgehobene von außen wiederkehrt. ]》(フロイト『症例シュレーバー 』第3章、1911年)



エドワード・ヤン『クーリンチェ少年殺人事件』




2002年3月13日(水)その2ーー八本脚の蝶

何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。

それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることが出来る。

自分で立たず、大きな価値にくるみ込まれて「意義のある」人生をおくることができる。

でも、それは偽物だ。



彼女とは「血縁」関係にあるんだ、

人々をたがいに近づけるものは、意見の共通性ではなく精神の血縁である。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)

人間は自分の精神が属する階級の人たちの言葉遣をするのであって、自分の出生の身分〔カスト〕に属する人たちの言葉遣をするのではない、という法則……(プルースト「ゲルマントのほう」) 




とはいえ、何かを信じたほうがいいかもしれないよ、深淵に呑み込まれないためには。ーー《怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein》(ニーチェ『善悪の彼岸』146節、1886年)





二階堂奥歯の日記は至高の日記だよ、一語一句震えるね


・・・芋蔓式にこんな言葉も向こうからやってきたよ、《巨獣の欲望に添う意見は善と呼ばれ、添わぬ意見は悪と呼ばれる》(小林秀雄「プラトンの「国家」」