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2025年10月19日日曜日

惚れ薬になるキノコ(南方熊楠)

 


いやあ、南方熊楠はひどく勉強になるな、天皇にもこういう風に講釈したんだろうかね。


一枝も こころして吹け 沖つ風 わか天皇のめてまし森そ(南方熊楠)


雨にけふる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ(昭和天皇)



やっぱり森のキノコの匂いがすべての肝なんだろうよ、


カビや茸の匂いーーこれからまとめて菌臭と言おうーーは、家への馴染みを作る大きな要素だけでなく、一般にかなりの鎮静効果を持つのではないか。すべてのカビ・キノコの匂いではないが、奥床しいと感じる家や森には気持ちを落ち着ける菌臭がそこはかとなく漂っているのではないか。それが精神に鎮静的にはたらくとすればなぜだろう。

菌臭は、死ー分解の匂いである。それが、一種独特の気持ちを落ち着かせる、ひんやりとした、なつかしい、少し胸のひろがるような感情を喚起するのは、われわれの心の隅に、死と分解というものをやさしく受け入れる準備のようなものがあるからのように思う。自分のかえってゆく先のかそかな世界を予感させる匂いである。〔・・・〕


菌臭の持つ死ー分解への誘いは、腐葉土の中へふかぶかと沈みこんでゆくことへの誘いといえそうである。〔・・・〕

菌臭は、単一の匂いではないと思う。カビや茸の種類は多いし、変な物質を作りだすことにかけては第一の生物だから、実にいろいろな物質が混じりあっているのだろう。私は、今までにとおってきたさまざまの、それぞれ独特のなつかしい匂いの中にほとんどすべて何らかの菌臭の混じるのを感じる。幼い日の母の郷里の古い離れ座敷の匂いに、小さな神社に、森の中の池に。日陰ばかりではない。草いきれにむせる夏の休墾地に、登山の途中に谷から上がってくる風に。あるいは夜の川べりに、湖の静かな渚に。〔・・・〕


もっとも、それは過去の歴史の記憶だけだろうか。菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。恋人たちに森が似合うのも、これがあってのことかもしれない。公園に森があって彼らのために備えているのも、そのためかもしれない。(中井久夫「きのこの匂いについて」1986年『家族の深淵』所収)


タナトスの形式の下でのエロス [Eρως [Éros]…sous  la forme du Θάνατος [Tanathos] ](Lacan, S20, 20 Février 1973)

ラカンによる享楽とは何か。…そこには秘密の結婚がある。エロスとタナトスの恐ろしい結婚である[Qu'est-ce que c'est la jouissance selon Lacan ? –…Se révèle là le mariage secret, le mariage horrible d'Eros et de Thanatos. ](J. -A. MILLER, , LES DIVINS DETAILS,  1 MARS 1989)


においを嗅ぐ悦[Riechlust]のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている[alte Sehnsucht nach dem Unteren fort, nach der unmittelbaren Vereinigung mit umgebender Natur, mit Erde und Schlamm]。対象化することなしに魅せられるにおいを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動[Drang]について、証するものである。だからこそにおいを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり――両者は実際の行為のうちでは一つになる――、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人であることにとどまっているが、嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう[Im Sehen bleibt man, wer man ist, im Riechen geht man auf. ]。だから文明にとって嗅覚は恥辱[Geruch als Schmach]であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。文明人にはそういう悦[Lust]に身をまかせることは許されないのだ。(アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』第5章、1947年)





南方熊楠「媚薬」

 小生は言った。
「秦の王猛はどてらを着て桓温を訪ねたところ、桓温は勝ち戦の勢いに乗じてこれを見下し、関中の豪傑は誰かと問うたという。じつは関中にも支那中にも王猛ほどの人物はなかったが、見下して挨拶が悪かったから帝王を補佐する才を空しく抱いて何の答えもせずに去って苻堅に就き秦を強大にした。周の則天武后が宰相人を失すと嘆じたが、このような大臣あるに出づ(※?※)。政府や世に聞こえた学者にろくなやつはいない」と言い、

「トウショウというアカザのようなものは、蒙古では非常に人馬の食糧となるものであり、それなのに参謀本部から農務省にこの物の調査どころか名を知った者もいない。支那では康煕帝親征のときみずから砂漠でこの物を試食し、御製の詩さえあるのだ。万事このようだ」と言っていろいろの例を挙げ、

「学問する者は愚人に知られないといって気に病むようでは学問は大成しないといって、貧弱な村に一生いて小学校の代用教師などをした天主僧メンデルは、心静かに遺伝の研究をしていわゆるメンデルの法則を確定したが、生涯誰ひとりその名さえ知らず、死後数年して急にダーウィン以後の有力な学者と認められた。人が知る知らないを気兼ねしては学問は大成しない」と言い放つところへ鶴見商務局長が入って来た。この日、英皇太子の入京で、諸大臣は大礼服で迎えに行くといって大騒ぎである。

 小生は山本氏にこの出迎えに間に合わないようにさせようと思いつき、いろいろの標本を見せるうち、よい時分を計り、惚れ薬になるキノコをひとつ取り出す。これはインド諸島から綿を輸入したが久しく紀州の内海(※うつみ:和歌山県海南市内海※)という地の紡績会社の倉庫に置かれ腐ったのに生えた物で、図(※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』 (河出文庫) 369頁※〕のようにまるで男根形、茎に癇癪筋があり、また頭から粘汁を出すのまで、その物そっくりである。60~70年前に聞いたままにこれを図したオランダ人がいるが、実際その物を見たのは小生は初めてである。

ゴボウのような臭気がする。それを女にかがせると眼を細くし、歯を食いしばり、髣髴として誰でも自分の夫に見え、大惚れに惚れ出す。それを見せていろいろ面白くしゃべると、山本が問うて言うには「それはしごく結構だが、いっそ処女を喜ばす妙薬はないかね」。


小生は政教社の連中から、山本の亡妻はとても夫の勇勢に耐えきれず、進んで処女を選んで下女に置き、2人ずつ毎夜夫の両側に臥せさせる、それが孕めば出入りの町人に添え物を添えて払い下げ、また処女を置く、しかし、前年夫人が死に、その弔いにこれも払い下げられて夫のある女が来たのを、花橘の昔の匂いがゆかしくてまた引き留め宿らせたが、情けが凝って腹に宿り、夫の前を恥じて自殺したということを聞いていたので、それこそおいでになったなと、いよいよ声を張り上げ、「それはあるともあるとも大ありだが、寄付金をどっしりくれないと、ただで聞かすわけにはいかない」と言うと、「それは出すから」とくる。




以前メモった熊楠をもうひとつ。


南方熊楠「処女を悦ばす妙薬」

 よって説き出す一条は、紫稍花(ししょうか)で、これは淡水に生じる海綿の細い骨である。海から海綿を取り出し、ただちに水につけて面を掃くと、切られ与三郎のように30余ヶ所もかすり傷がつく。それは海綿には、こんなふうの細いガラス質の針があり、それを骨として虫が生きているのである。その虫が死んでもその針は残る。ゆえに海綿を手に入れたら苛性カリで長く煮てこの針を溶かしきり、柔らかくなったのを理髪店などに売り用いるのだ。

痛いというのと痒いというのとはじつは程度の違いで、海綿の海に生ずるものは件の針が大きいため突くと痛む。しかしながら、淡水に生じる海綿は至って小さなものなので、その針は微細で、それで突かれても痛みを感ぜず、鍋の尻につける鍋墨に火がついたように、ここで感じここで消えるということが止まらない。すなわちハシカなどにかかったように温かくて諸所微細に痒くなり、その痒さが移動して一定せず、いわゆる漆にかぶれたように感じるのだ。それを撫でるとほんとうに気持ちがよい。

むかし男色を売る少年を仕込むのにその肛門に山椒の粉を入れたのをも、このように痒くてならないところを、金剛(男娼における妓丁のようなもの)が一物を突き込み撫で回して快く感じさせ、さてこのことを面白く感じさせるように仕込むのだ。

ちょうどそのように、この淡水生海綿の微細な針をきわめて細かく粉砕し(もっとも素女にはきわめて細かく、新造にはやや粗く、大年増にはさらに粗く、と精粗の別を必要とする)貯えておき、さて一儀に臨み、一件に付けて行なうときは、恐ろしさも忘れるほどに痒くなる(これをホメクという。ホメクとは熱を発して微細に痒くなり、その痒さが種々に移動するのをいうのだ)。


時分はよしと1上1下3浅9深の法を活用すると、女は万事夢中になり、今までこんなよいことを知らなかったことが悔しいと一生懸命に抱きつき、割れるばかりにすりつけ持ち上げるものである、と説教すると山本農相はもちろん鶴見局長も鼠色のよだれを流し、「ハハハハハ」「フウフウフウ」「それはありがたい」などと感嘆が止まない。初めの威勢はどこへやら、小生を御祖師さんの再来のように三拝九拝して、「寄付帳はそこへおいていらっしゃい、いずれ差し上げましょう、まことにありがとうございました」と出口まで見送られた。

 それから15日に山本氏から寄付金をもらい、25日朝、岡崎邦輔氏を訪ね寄付金1000円を申し受けた。そのとき右の惚れ薬の話をしたところ、「僕にもくれないか」とのこと、君のは処女でないから難しいが何とか一勘弁して申し上げましょう」「何分よろしく」「今夜大阪へ下るからそこでも世話しましょう」とのことで別れ、旅館へ帰るとすぐさま書面で処女でない女に効く方法をしたため、速達郵便で差し出した。

 それには山本農相などは処女を好くようだが、処女というものは柳里恭も言ったように万事気詰まりで何の面白さもないものである。それなのに特にこれを好むのは、その締まりがよいためである。


さて、もったいないが仏説を少々聴聞させよう。釈迦が菩提樹の下で修行して、まさに成道しようとするとき、魔王波旬(※はじゅん:「悪者」を意味する悪魔の名※)の宮殿が振動し、また32の縁起の悪い夢を見る。そのため心が大いに楽しまず、こうなっては魔道はついに仏のために破られるのだと懊悩した。魔王の3人の女は、姉は可愛、既産婦の体を現じ、次女は可喜、初嫁婦の体、三女は喜見と名づけ山本農相専門の処女である。この3人の女は釈迦の所に現じ、ドジョウスクイを初め雑多の踊りをやらかし、ついに丸裸となって戯れかかる。


最初に処女の喜見が何をしたって釈尊の心は動かない。次に次女の可喜が昨夜初めて男に逢った新婦の体で戯れかかると釈尊もかつての妻との新枕を思い出し、少し心が動きかかる。次に新たに産をした体で年増女の可愛が戯れかかると、釈尊の心は大いに動き、もう成道を止めて抱きつこうかと思ったが、諸神の擁護で思い返して無事を得た、とある。


だから処女は顔相がよいだけで彼処には何という妙味がなく、新婦には大分面白みがあるが、要するに34,5のは後光がさすとの諺通りで、やっと子を産んだのが最も優っている。それは「誰が広うしたと女房小言言い」とあるように、女は年をとるほど、また場数を経るほど彼処が広くなる。西洋人などはとくに広くなり、我輩のなんかを持って行くと、九段招魂社の大鳥居の間でステッキ1本持ってふりまわすような、何の手応えもないようなのが多い。だから洋人は1度子を産むと、もう前からしても興味を覚えず、必ず後ろから取ることが多い(支那では隔山取火という)。


しかしながら子を生めば生むほど雑具が多くなり、あたかもイカが鰯をからみとり、タコが梃に吸いつき、また丁字型凸起で亀頭をぞっとするように撫でまわすなどの妙味がある。膣壁の感度がますます鋭くなっているため、女の心地よさもまた一層で、あれさそんなにされるともうもう気が遠くなります、下略、と夢中になってうなり出すので、盗賊の防ぎにもなる理屈である。



ボクは若い頃、吉行淳之介に凝っていたのだが、熊楠に比べればエロ度はひどくチョロいね、

男根が子宮口に当り、さらにその輪郭に沿って奥のほうへ潜りこんで貼り付いたようになってしまうとき、細い柔らかい触手のようなものが伸びてきて搦まりついてくる場合が、稀にある。小さな気泡が次々に弾ぜるような感覚がつたわってくる(吉行淳之介『暗室』)