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2025年10月19日日曜日

支那人のやることは、あくどいが、徹底している(坂口安吾)

 

そうそう、中国文化は日本とはわけが違いひどく合理的だからな、


中国人は普遍的な原理から出発して具体的な場合に到り、先ず全体をとって部分を包もうとする。日本人は具体的な場合に執してその特殊性を重んじ、部分から始めて全体に到ろうとする。文学が日本文化に重きをなす事情は、中国文化重きをなす所以と同じではない。比喩的にいえば、日本では哲学の役割まで文学が代行し、中国では文学さえも哲学的となったのである。

(加藤周一『日本文学史序説』「日本文学の特徴について」1975年)


日本の文明が、かつて中国のそれの圧倒的な影響を受けて展開したものだということは、知らぬものはない。文学、宗教、学問、政治の制度等々。その結果、両国の間には多くの共通性があり、類似点ができた。にもかかわらず、日本は中国と、ひどく、ちがう。

中国の土地を踏み、はじめて北京に足を入れての私の最大の感想は、「ここは日本と何とちがうところだろう」ということだった。私は、中国を見るより、ずっと前から、何回かヨーロッパに旅行した人間だが、その私からみれば、中国は日本よりずっとヨーロッパに近かった。「中国旅行とは、ある意味では、第二のヨーロッパに出会う旅行のようなものだった」というのが、私の偽らざる感想である。

(吉田秀和『調和の幻想』「紫禁城と天壇」1981年)



政府が大衆を管理する手段としての超監視社会の徹底化も、日本よりはるかに先進国なのは当然だが、欧米よりもずっと先に行ってるんだろうよ。コロナ流行ののときそれを感じたけれど。


性についてもかつてから合理的だったからな


広東に盲妹という芸者があるということだが、盲妹というのは、顔立の綺麗な女子を小さいうちに盲にして特別の教養、踊りや音楽などを仕込むのだそうである。支那人のやることは、あくどいが、徹底している。どうせ愛玩用として人工的につくりあげるつもりなら、これもよかろう。盲にするとは凝った話だ。ちと、あくどいが、不思議な色気が、考えてみても、感じられる。舞妓は甚だ人工的な加工品に見えながら、人工の妙味がないのである。娘にして娘の羞恥がない以上、自然の妙味もないのである。(坂口安吾『日本文化私観』1942年)


広東に盲娼というのがいた。めくらが娼婦になったのではなく、めくらにされた娼婦である。

めくらになれば、抱え主から逃げ出すこともできないし、客の顔が見えないので、勝手な選り好みをせず、相手のなすがままにまかせる。そんな特長を狙ったというが、じつはそれよりも、視覚を失うとほかの感覚がそれだけ鋭くなり、性感帯なども性能を増すだろう、というアイデアであったらしい。悪魔のアイデアというほかはない。(陳舜臣「枇杷の木の下」『崑崙の河』所収、1986年)


盲妹だけでなく、宦官や纏足も同様だ。

万人が「善人」に、畜群に、お人よしに、善意的なものに、「美しき魂」にならねばならないとかーーもしくは、…利他的にならねばならないと要求することは、生存からその偉大な性格を奪うことにほかならない。人類を去勢して、あわれむべき宦官の状態に引き下げることにほかならない。ーーしかもこれがいままで試みられてきたことなのだ!・・・・・道徳と呼ばれていたことなのだ!・・・・・この意味で、ツァラトゥストラは、善人たちを、あるいは「末人」と呼び、あるいは「終末の開始」と呼ぶのである。何よりも、彼は善人たちをもっとも有害な人種と感ずる。それは、彼らが真理を犠牲にし、また未来を犠牲にして、おのれの生存をつらぬくからである。(ニーチェ『この人を見よ』「なぜ私は一個の運命であるのか」1888年)


かつての男たちが纏足という風習を手放さなかった理由の一つに,儒教的な家父長制による女性支配や,歪んだ美意識などを挙げることができる。もう一つの理由としては,女性のセクシュアリティとの関係があり,これについても多くの研究がなされている。 1920 年代には,機能主義的なドイツの「科学」説が中国社会に紹介された。その説は,足への損傷行為を性欲と結びつけ,纏足で歩くと太股を発達させることにな り,外陰部が擦れて性欲を昂進させるので,天然の足の女性より性欲が強まるという(坂元,2004,p.186)。妓女は纏足の身体を商品として,エロティックな魅力を意識していた。つまり,身体の不愉快さ,不自由さよりもさらに大きな喜びがそこから導き出されるというのだ。 こうした論点は,台湾の医師で三寸金蓮文物館館長である柯基生(解剖学や心理学の視点から纏足を研究し,纏足のコレクター)が『金蓮小脚 ―千年纏足与中国性文化』 の中で,纏足と性の関係を身体的構造や医学的視点から解釈している。挿絵の春画に描かれている足は素足ではなく,刺繍の施された靴に包まれている小さな足である。 その説明文には「纏足は女性にとってもう一つの性器である」と記載されている(柯,2013,p.40)。 そして,柯は,女性自身が自分の足を小さくする過程で生じた痛み自体が癖になり,やめられなくなっていくのだと説く。つまり,女児が幼い時から,足を少しずつ巻いている過程において,傷んだ皮膚や骨,神経まで敏感になるので,少しの刺激で感じるようになる。こうして女児は徐々に性的感覚が芽生え「開発」されていく。 それ故に,纏足の風習が長く続けられたのは,女性自身の性に対する感覚から,自ら足を布で巻くことになるのだとし,似たような内容は『采菲録』にも記載されているという(柯,2016)。 

(謝黎「纏足から放足へ ―中国女性の装いと身体性―」2024年)



纏足から放足へになったのはそれほど昔のことじゃないらしいね(➤PDF)。


ま、いずれにせよ、日本の芸者のこれなんかカワイイもんだよ。



(四畳半襖の裏張り、神代辰巳、1973)