いやあ、これは勉強になるね、
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被虐待女性症候群(バタードウーマン症候群。Battered woman syndrome , BWS)についてはWikipediaにはこうあるね、 |
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被虐待女性症候群(バタードウーマン症候群。Battered woman syndrome , BWS)は、男性パートナーから身体的、心理的、性的な暴力を執拗に受けた女性が示す徴候や症状の類型である[1][2]。被虐待女性症候群は ICD-9(コード995.81)では被虐待症候群(Battered person syndrome , BPS)に分類されているが[2]、DSM-5にはない[2]。心的外傷後ストレス障害(PTSD)のサブカテゴリーとして診断されることもあるが[2]、PTSDではなく複雑性PTSDという新しい診断が適切だという指摘もある[3]。被害者は、自己隔離(孤立)、自殺念慮、薬物乱用などのさまざまな行動や、暴力を受けたことによる打撲、骨折や、慢性疲労などの身体的傷害や病気の徴候を示すことがある。 被虐待女性症候群は、身体的・心理的に虐待されパートナーの男性を殺害した女性の法的弁護の基礎となってきた。レノア・E・ウォーカー(英語版)が男性パートナーから暴力を受けている多くの女性被害者と面談して研究し、マーティン・セリグマンの学習性無力感の理論と暴力のサイクル理論を用いて、なぜ女性が虐待的な男性との関係に留まるのかを理論化し、被虐待女性症候群という概念を提唱した[1][4][5]。 診断の中心は主に女性であるが[6]、被虐待症候群という呼び方で、法的弁護の一環として時折男性に適用されることもある[4][7]。法的弁護としては、正当防衛、誘発(英語版)(provocation)、心神喪失に基づく防御といった抗弁で使われることがある。被虐待女性症候群という用語はサバイバー支援者の一部から、法廷以外では使われない時代遅れの用語であるとして批判されている。しかし法廷の変化は遅いため、証拠提示の手段としていまだに使われている[8]。支援者や裁判所の外で使用される新しい用語は、criminalized survivor である[9]。 |
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Lenore WalkerのBattered Woman Syndrome Battered Woman Syndrome については、このPDFに比較的詳しい説明がある。ここではサワリだけ引用する。 |
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レノア・ウォーカーが『虐待された女性』(1979年)で初めて提唱したBWSは、IPV分野において今もなお最も喫緊の課題の一つである、なぜ女性は虐待的な関係にとどまるのかという問いを解明しようと試みた。BWS理論が提唱される以前は、虐待を受けた女性は「マゾヒスト」である、あるいは不確実で危険な状況をより予測しやすいものにするために、パートナーによる虐待を自ら引き起こしたという通説が一般的だった。しかし、ウォーカー(1979年)は、実際にマゾヒストである虐待を受けた女性はごくわずかであると主張した。ウォーカーによれば、虐待を受けた女性が暴力的な関係にとどまるのは、学習性無力感と暴力の連鎖という2つの重要な心理社会的要因によるものだという。 |
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BWS, first described by Lenore Walker in The Battered Woman (1979), sought to explain what continues to be one of the most pressing questions in the IPV field – why do women stay in abusive relationships? Prior to BWS theory, a popular myth was that battered women are “masochistic” or even that they chose to precipitate their partner's abuse in order to make an uncertain and dangerous situation more predictable. Instead, Walker (1979) asserted that very few battered women are masochistic. Instead, according to Walker, two important psychosocial components keep battered women in violent relationships: Learned Helplessness and the Cycle of Violence. |
この被虐待女性症候群は中井久夫が次で言っていることときわめて近似しているんじゃないかね、
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治療における患者の特性であるが、統合失調症患者を診なれてきた私は、統合失調症患者に比べて、外傷系の患者は、治療者に対して多少とも「侵入的」であると感じる。この侵入性はヒントの一つである。それは深夜の電話のこともあり、多数の手紙(一日数回に及ぶ!)のこともあり、私生活への関心、当惑させるような打ち明け話であることもある。たいていは無邪気な範囲のことであるが、意図的妨害と受け取られる程度になることもある。彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか。世話になった友人に対してストーキング的な電話をかけつづける例もあった。 特に、男性治療者に対する誘惑的な態度は、不幸にもレイプによって女性としての歴史を始めた場合に多い印象がある。それは必ずしも治療者ではなく異性一般に向かい、時に結ばれるところまで行くが、結婚の場合、男性側の「同情結婚」となっていることも多く、しかも結婚当初から波瀾が多く、不仲を継続している。その中には結婚に伴う行為が配偶者にはわからないままでセカンド・レイプになっている場合もあるにちがいない。配偶者がこれに気づくことは一般に期待できず、事態は螺旋状に悪循環となって、精神科医に相談されるならまだしも、そのまま離婚となっている場合も少なくないのではないか。「夫の理不尽性」が主訴であって、しかも具体的内容に乏しい時には、特にその可能性が高い。 |
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それが思春期の事件であった場合だけでなく、幼児の性虐待の再演である場合もある。成人期における男女交際において、同情的な男性も親密になれば性的接近にうかうかと陥る。これが女性には過去の再演となる。これは、児童期の性虐待自体がまず同情を示して児童に接近する場合が少なくないからであろう。一見「堅い」人物が性的劣等感を持ち、あるいは社会的に禁欲を強いられ(寡夫や障碍者)ているうちに、たまたま攻撃者となり、攻撃が児童に向かって時に噴出することがありうる。男性教師が、不幸な家庭の、才能があって美しい女性徒に同情し可愛がることが、性的凌辱に終わることもあり、結婚に至ることもあるが、幸福な結婚となる場合もそうでない場合もある。婚外関係において、打ち明け手と選んだ「立派な」人が性的接近者となってしまう場合もある。彼女は「結局はこの人も男性にすぎないのだ」と結論し、隠微な方法でこれは世間に暴露する。男性一般への一つの復仇である。こういう場合に「境界型人格障害」という診断を下すのはまだしも、インテンシヴな治療を試みて難症化が起こることは大いにありうるのではないか。 |
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犠牲者は聖者ではない。彼女が傷口に塩を塗るような「精神的リストカット」を行うことも、外傷の再演を強迫的に求めることも、どんな男性もしょせん男性であることを確認しようとすることも、これらがすべてないまぜになっていることもありうる。 |
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スイスの研究者ヴィリーがその論文「ヒステリー性結婚」において挙げているいくつかの例は明らかに同情結婚である。彼は同情する男性でなく同情される一見清純な女性のほうに過去の男性関係があることを述べ、さらに彼のいうヒステリー性結婚においては性は妻の権力の道具となり、同情する夫が性的に迫れば「不潔」と退け、遠ざかっていると「冷たい」と罵ることによって、夫の立つ瀬をなくし、支配するさまを、最後の乾ききった「ヒステリー性欠損結婚」期まで四期にわけて追跡しているが、ヴィリーがいささか辛口の皮肉を交えて述べている女性たちがかつての性被害者である可能性を私は思わずにはいられない。性を権力の道具として女性を支配するのは性加害者の特徴であるからである。妻の現在の行動は加害者との同一視を経ての性の権力化であろうか、それとも転移を経ての、あるいは異性一般への端的な復讐であろうか。「男性は皆五十歩百歩である」ことを反復確認しているのであろうか。そしてそれは被害者の自責感を軽減するのであろうかまた、「同情的結婚者」も意識的・無意識的に「恩に着せる」支配者でありうる。夫からのDVへの通路も開かれている。 |
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幻想的復讐を初め、これらの被害者側の行為は外傷の治癒に寄与せず、むしろ「化膿」をひどくするからこそ強迫的反復が起こるのであろう。治療者も、この行為の被害者(にして加害者)となることがあり、その確率は相手の外傷被害性に気づいていない場合に特に高い。特定の具体的被害を同定する前に、これらを含めて外傷被害者的特性に対する感覚を持っている必要がここにある。通常の逆転移分析では足りない。いずれにせよ、このような例では、治療者が困惑する事態が頻繁に起こり、対処に苦しむことが多い。 時には、被害者が、家族の誰かの治療者役を演じることによって、その誰かの「病気」を永続させる結果になっていることもある。その誰かが治癒した時に、被害者の重大な障害が明らかになったこともあった。 |
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私たち治療者も、私たちが治療者になった動機の中に外傷性の因子があって、それが治療の盲点を創り、あるいは逆転移性行動化に導いていないかどうか、吟味してみる必要があるだろう。男女を問わず成人になる過程で、あるいは成人以後に外傷を負わない人間はあっても少ない。直感的に「苦手な患者」が自己の外傷と関係している場合もある(たとえば私の戦時下幼少時の飢餓体験とそれをめぐる人間的相克体験は神経性食欲不振者の治療を困難にしてきた)。逆に「特別の治療に値する患者」と思い込む危険な場合もある。いずれも、治療者を引き受けないことが望ましく、外的事情でやむをえず引き受ける際には、スーパーヴァイザーあるいはバディ(秘密を守ってくれる相互打ち明け手)を用意するべきである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |

