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2026年2月12日木曜日

口の周りに反射的な言葉をビラビラさせているだけの「リベラル左派」

 

斎藤幸平 くんが次のように言ってツイッター社交界では賑わっているようだな、


「どうしてリベラル左派が嫌い」って、キミのような「口の周りに反射的な言葉をビラビラ」させている人間がリベラル左派だからだよ。


自分の頭と心とを通過させないで、唇の周りに反射的な言葉をビラビラさせたり、未消化の繰り返しだけやる連中がいるけれどーー学者に、とはいわないまでも研究者にさーー、こういう連中は、ついに一生、本当のテキストと出会うことはないんじゃないだろうか? (大江健三郎『燃え上がる緑の木』第三部「大いなる日」)


そもそもキミは本当にマルキストかね、マルクスを共同体が容認する物語へと凡庸化してるだけじゃないかい?


蓮實)僕がやっている批評のほとんどは無駄に近い列挙なんです。〔・・・〕ところがいまの若い人たちは列挙しないんですね。非常に優雅に自分の言葉に置き換えちゃっている。〔・・・〕僕の無駄というのは、その無謀な列挙にある。なぜ列挙するかというと、列挙することそのものがかろうじて根拠たりうるようなものしか論じないからです。〔・・・〕


流通するのは、いつも要約のほうなんです。書物そのものは絶対に流通しない。ダーヴィンにしろマルクスにしろ、要約で流通しているにすぎません。要約というのは、共同体が容認する物語への翻訳ですよね。つまり、イメージのある差異に置き換えることです。これを僕は凡庸化というのだけれど、そこで、批評の可能性が消えてしまう。主義者が生まれるのは、そのためでしょう。書物というのは、流通しないけど反復される。ドゥルーズ的な意味での反復ですよね。そして要約そのものはその反復をいたるところで抑圧する。批評は、この抑圧への闘争でなければならない。(蓮實重彦-柄谷行人対談集『闘争のエチカ』1988年)



彼は宇露紛争勃発初期にドイツ緑の党イデオロギーに染まり切った「気候戦争としてウクライナ侵略を読み解く 経済思想家・斎藤幸平」(AERA 2022/03/09)を語った人物として私の記憶に刻印されているがね。どうなんだい、この「何かを理解したかのような気分」になるだけの浅薄ぶりを少しでも振り返ってみたことがあるんだろうか?


何かを理解することと「何かを理解したかのような気分」になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっております。にもかかわらず、人びとは、 多くの場合、「何かを理解したかのような気分」になることが、何かを理解することのほとんど同義語であるかのように振舞いがちであります。たしかに、そうすることで、ある種の安堵感が人びとのうちに広くゆきわたりはするでしょう。実際、同時代的な感性に多少とも恵まれていさえすれば、誰もが「何かを理解したかのような気分」を共有することぐらいはできるのです。しかも、そのはば広い共有によって、わたくしたちは、ふと、社会が安定したかのような錯覚に陥りがちなのです。


だが、この安堵感の蔓延ぶりは、知性にとって由々しき事態だといわねばなりません。「何かを理解したかのような気分」になるためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされてはいないからです。とりわけ、その対象がまとっているはずの歴史的な意味を自分のものにしようとする意志を、その安堵感はあっさり遠ざけてしまいます。そのとき誰もが共有することになる「何も問題はない」という印象が、むなしい錯覚でしかないことはいうまでもありません。事実、葛藤が一時的に視界から一掃されたかにみえる時空など、社会にとってはいかにも不自然な虚構にすぎないからです。しかも、その虚構の内部にあっては、「何も問題はない」という印象と「これはいかにも問題だ」という印象とが、同じひとつの「気分」のうちにわかちがたく結びついてしまうのです。(蓮實重彥『齟齬の誘惑』1999年)



斎藤幸平 くんは日本言論界の潮流「みんなで渡れば怖くない」に乗っかっただけじゃないのかい?


伝統的にロシア(ソ連)に対して悪いイメージが支配する日本の政治・社会がロシアのウクライナに対する武力侵攻に対してロシア非難・批判一色に染まったのは、予想範囲内のことでした。しかし、一定の肯定的評価を得ている学者、研究者、ジャーナリストまでが一方的な非難・批判の側に組みする姿を見て、私は日本の政治・社会の根深い病理を改めて思い知らされました。〔・・・〕日本の政治・社会の際立った病理の一つは、「赤信号一緒に渡れば怖くない」という集団心理の働きが極めて強いということです。ロシア非難・批判一色に染まったのはその典型的現れです。(東アジアの平和に対するロシア・ウクライナ紛争の啓示 浅井基文 3/21/2022


◼️『加藤周一講演集2 伝統と現代』(1996)より

 まァどこの国でもそういう面はあるかと思いますが、殊に日本の社会では集団指向性が強い。"みんな一緒に"という傾向。横断歩道を渡る時も()みんなで一緒に渡ろうとするし、遊ぶ時もみんな同じ遊びをということが多い。文化的にも、あるいは娯楽の面でさえも、また政治にも付和雷同性がある。何かがあるていど流行しだすと、みんなそこへ行く。だから歯止めがない。社会がまずい方向に動き出しても、付和雷同し、その動きが雪だるま式に大きくなる。これは非常に危険です。その歯止めは個人主義のほかにないでしょう。日本では個人主義を付和雷同性の解毒剤として、強化する必要があります。


ま、誰にでも愚かさはあるとはいえ、何よりもまずききたいのは、4年経ったこの今、キミはウクライナ戦争についてどう思ってるかだよ。最近でもウクライナ応援団長のひとり、志位和夫に褒められてウキウキしてたんじゃないのかい?


こういうツイートを拾ったがね、




これは少なくとも間接的には斎藤幸平 くん向けだろうよ。「リベラル左派は政治的に終わった」とあるがね、少なくとも私の偏った脳髄では、キミも終わってんだよ、とっくに。


知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。(渡辺一夫『敗戦日記』1945 3 15 日)



知識人として死んだといってもメシを食っていかないとならないのだから、キミは今後は芸能人に専念してガンバッタライイさ。


・・・ところで、中野は、ここで芸術家でもなく職人でもない芸能人というものをもちこむ。


《芸術家とならべて考える言葉に職人というのがある。たいていは、芸術家は職人よりも上のもの、職人は芸術家よりも下のものとなっている。芸術家とならべて考えるもう一つの言葉に芸能人というのがある。芸能人という言葉はあたらしい。それは、芸術家よりもあたらしく、ほんとうをいえば、言葉としてどの程度安定したものか、いったい安定するものかどうかさえすでにうたがわしい。しかし、とにかく、日本の現在でその言葉はあり、それは、なにかの程度で何かをいいあてている。そしてたいていは、芸術家は芸能人よりも上のもの、芸能人は芸術家よりも下のものとなっている。》(中野重治「芸術家の立場」)


芸能人という言葉は、事実この当時はまだ新しかったけれども、今日ではむしろ中野がいったとは違った意味で「安定」している。そもそも職人や芸人が消滅してしまったからだ。したがって、中野がいう「芸能人」は今日われわれがいう芸能人とは別であることに留意すべきである(むしろ「文化人」という語がそれに該当している)。ここで中野が意味するのは、芸術家でも職人でもないタイプ、職人に対しては芸術家といい、芸術家に対しては職人というタイプである。それは「枠」を自覚し越えるようなふりをするが、実際は職人と同じ枠のなかに安住しており、しかも職人のような責任をもたない。中野は、これを「きわめて厄介なえせ芸術家」と呼んでいる。なぜなら、彼らを芸術家の立場から批判しようとすれば、自分は職人であり大衆に向かっているのだというだろうし、職人の立場からみれば、彼らは自分は芸術家なのだというだろうから。中野はこういっている。


《そこへさらに例の芸能人が混じってくる、職業として芸術家になって行って、芸術家にも職人にもなるのでなくて芸能人になる。部分的にか全面的にか、とにかく人間にたいして人間的に責任を取るものとしてのコースを進んで、しかし部分的にも全面的にも責任をおわぬものとなって行く。ここの、今の、芸術家に取っても職人にとっても共通の、しかし芸術家に取って特に大きい共通の危険がある、この危険ななかで、芸術家が職人とともに彼自身を見失う。》(中野重治「芸術家の立場」)


こうした「芸能人」のなかに、中野はむろん学者や知識人をいれている。中野がこの「芸能人」という言葉が「何かの程度で何かをいいあてている」と書いたとき、彼はたしかに何かをいいあてていたといってよい。というのは、まさにこの時期「大衆社会」という言葉があらわれ、且つその言葉が「いいあてている」ような現象が出現していたからだ。

(柄谷行人「死語をめぐって」初出1990年『終焉をめぐって』所収)



いま検索してみたら、いかにも芸能人がお似合いのようじゃないか。